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25周年番期同門祭

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada


 セイゴオ先生の月命日までに『侍JOTO』を描きあげ、掲載することができた。ありがたい。今回は特に加工に時間がかかった。手を動かすスピードには限界があるから、コツを掴んで方法を更新し判断のスピードを上げるしかないんだなと発見。カラー表紙に関しては、一話目と同じ構図になった。ぼくにはムンクみたいなところがあるらしい。



 

 【第84回感門之盟】「25周年番期同門祭」は、守破離と花伝所が一緒になって祝う、最後の感門だったが、同時に先生が不在のはじめての感門之盟だった。


 9/14(day1)

  9/15(day2)

 

 ぼくは正確には、セイゴオ先生とエヴァレット・ブラウンさんの『日本力』を読む前、『情熱大陸』という番組で、初めて松岡正剛という人を知ったのだった。今回は25周年を記念して、番組内でクローズアップされていた「松丸本舗」が復活するので、思い切り愉しむために『松丸本舗主義』を読んで感門へ行った。できたらブックショップエディター(BSE)のかたに本を薦めてもらいたいなぁと憧れウロウロしていたら、運良くお着物にエプロン姿のBSEさんのお一人に声をかけてもらえた。森茉莉さんの『父の帽子』をあてに父の面影について、柳田国男さんの『海上の道』から『古事拾遺』の一族の無念や、昔の日本の地形について交わすことができ、ちょっとした松丸体験ができた。

 それにしても松丸のロゴには「、」と「。」がついていて、天ちゃんとまる吉先生が、松丸本舗と時を越えてコラボしているようではないかと一人でムフムフしてしまう。

 

 今回の旅の目的としては、14離企画会議で、16離や離学衆の人々の言葉を聞いてくるというお題を設けてた。加えて随分前に買ったけど、アニまるズに渡せなかった本の栞を渡したいというのと、もし可能であれば先生に歌を届けたいと思ってノートを持って行っていた。

 

 一日目は宿泊先が意外と遠くて、会場到着が遅れてしまい、感門団のお手伝いがあまりできなかった。ひさびさの仲間との再会に興奮して、うっかり量も多かったように思う。退院式ではアニマ臨風教室の一人、カミカゲ師範代が典離を受賞した。みんな彼が典離になると思っていたけれど、やっぱり実際にその瞬間が来ると、小躍りしたくなるほど嬉しい。アニまるズ3人に無事栞を渡せたし、感門団を手伝ってくれたパズル師範代、変速師範代とも歓談できて良かった。

 

 Oさんやイズミさんを介して曼中組のヴァンキさん、オジー師範を介して「ほんのれん」のニレさんや、はるにゃさんらと、ちょっと話せたのも嬉しい。寺平さんによると、YUTO君はぼくの甥の一人と同い年のようだ。

 

 一日目の夜はイズミさんが大急ぎで、これだけたくさんある東京の居酒屋の中から、今からでも行ける場所を探したのに、何故だか当期の離学衆や火元らと、14離の打ち上げ場所が一緒になるというタマタマが起きて笑ってしまったが、おかげでクラタ方師やコニシ別番と乾杯できたのも最高だった(今はお二人とも別のロールだがついつい当時のロールで呼びたくなるものだ)。ノズミンとぼくは結構いつも一緒だが、ハナエさんとはリアルで会うのも実は初めてなのに、自然栽培の話で盛り上がった。

 

 二日間で形を変えつつ時間をかけて、イシス・コミッションの紹介があったので、ぼくは感門団のお手伝いの合間に、何人かの人々のお話を、これもはじめてじっくり聞いた。みなさんがセイゴオ先生の何かを引き継ぎながらもそれぞれ別の、別でありながらもそれぞれ先生と呼応する部分を使って言葉を紡いでくださっていたように思う。四歩八歩師範代は今福龍太さんの『霧のコミューン』についてのお話に、しきりに頷いていた。イシス人にも「コミッションの誰を推す」みたいな好みができていったりするのかな。

 

 一番心臓が爆発しそうになったのは、先生に少しだけ歌を届けることが出来たことである。イシス編集学校が「多読アレゴリア」というものを始めようとしており、その中でイシスきってのピアノレディと、オネスティさんのコンビが、音楽のプログラムを実施するという。その宣伝のために会場にピアノがあり、二人で連弾をしたり、ピノコ師範代のタップダンスとコラボしていた。

 ぼくも二日目そろそろとピアノに近づいたところ、丁度ちろろ師範代が居合わせ、盛り上げてくれたのに背中を押され、思い切ってお願いしてみたら、オネスティさんがすぐさまその場で快く、ぼくの拙い曲を流麗なメロディーへと変身させてくれた!

 

 多読アレゴリアは、EDEXではるにゃさんが言っていたクラブ活動のイメージが、多読ジムと合わさり(?)、さらにイシス・コミッションメンバーそれぞれの独自講座が乗っかったもののようである。オネスティさんにも、ちろろさんにも誘われたのだが、あまりに魅力的な講座が複数同時に開かれており、一体どうしたらよいか困ったものである。

 

 ぼくは感門団として会場の撤収作業のお手伝いするので、アフ感(アフター感門之盟)には行けないかなと思ったが、いつの間にかアフアフやアフアフアフ感もあるという話になっていた。おい、どんだけなのだい。

  撤収作業は、なんと変速師範代も手伝ってくれた。パズル師範代も、新幹線の時刻(しかも翌日仕事!)が迫る中、縦横無尽にがんばってくれてた。アニまるズ、なんて気のいい連中なんだと思う。

 

 それにしても、今回の撤収を手伝ってみて、ぼくははじめて黒膜衆のみなさんの仕事の大変さを知ったと思う。キヌガサさんが男前すぎる。これで黒膜がアマチュアなんて信じられない!手伝う人も合わせて全員が、足りないものが出ても分からないことがあっても、すぐ次の手段を探し颯爽と動くのが当たり前になっているから、予定よりかなり早く終わったようだ。なのでモリモト師範について行き、ぼくもアフ感に参加することにした。

 

 アフ感はパーティー会場という感じで、少々面食らってしまった。マイクの音やBGMが響き、お互いの声が聞こえない。これはしっぽり交し合いがしたいイシス人には向いていなかったかもしれない。ぼくはこういう場所でぽつんと一人になるのが得意なのだが、このときはノズミンや四歩八歩師範代、おにぎり師範代やドロシー師範代と暖笑しあった。ヤスヨ学匠にエディットツアーのことを褒めていただき嬉しかった。

 

 雷蔵さんに「寺田さんアフアフアフまで行くんでしょ」と言われたからか、まあ翌日の出発時刻が遅めだったので、ついて行ってみたら急な土砂降りに遭った。目の前に白い着物の裾をからげ、赤の蹴出しを婀娜にひらめかせた、妙に画になる離学衆の女のひとがいて、みんなずぶ濡れで大変なのに、なんだか愉快、そこから異界に迷い込むような仕立てになっていた。もしかしたら先生の悪戯だったのではないだろうか。

 

 カミカゲ師範代と話せたらと思ったけど、典離受賞ということもあり、みんなに囲まれて忙しそうだった。人見知りも手伝って、Oさんの近くにいたらおもしろい話が聴けるのでそこで落ち着いた。そういえばバニーさんとは2夜続いて飲み合った(ぼくは下戸だからほとんど飲んでないけど)。バニーさんに言ったのだが、ぼくはなんとなくこれから先、マツケン的なことで、ノズミンが編工研や先生の事務所の救世主になるのではないかと思う。

 

 Oさんは前々から、イシスは大奥みたいにみんな番(つがい)になっているという考えを持っている。ぼくは番は決定的なものではなく、場合によって変わるとも思うのだが、この日はアフアフということもあって、Oさんが色々込み入った事情も話してくださるのを聞いていると、おこがましい気もするが、Oさんの見方からすると、ひょっとしてぼくとOさんが番なのかもしれないと思ってしまった。ぼくよりOさんのほうが知識の量も広さも深さもメチャクチャハンパなく、思考が飛びすぎていて、人間界の速度に合わせるのに苦労しておられるようなのだが。

 

 参加してよかったのは、ぼくが思っていたよりも、離の火元を中心に、かなり色々なことが前提とされてきているのを確認できたということだ。ただ、みんな「コロナ禍」というワードの便利な呪いにかかって、ウィルスが病因死因と考えているのか、ワクチンが死因病因と考えているか、その人の「地」と、場の文脈をすり合わせて推測するしかない。痒いところに手が届かなくなっているため、「マジでヤバイのに、この程度でいいの?」「それで大丈夫なの?」という危機感や焦燥感があるようだった。

 上や表に立つほど、開け伏せの加減というのは本当に難しくなる。セイゴオ先生は「感門之盟の校長講和」で、自分の立場で言える限界ギリギリまで攻めて、分かる人には分かるし、今分からなくても時間差で効いてくるような超絶編集をされていた。

 それをそのまま擬くことは誰にもできないけど、もっとそこを攻めてくれないと「じゃあ何のために編集工学やってるの?」ということらしい。

 

 ぼくは外側で普段考えるときは、5Gなどの電磁波の健康被害をどう考えるか、気象操作や人工地震をどう見るかが、ワクチンの奥でさらに絞っていくときのフィルターになるけど、そうしたことも分かってはいるけど、兵器となると物理的にどうしようもない面もあって、だったら他のところに投企するしかないと思っておられる人もいるのではないかと思う。だからそういう人は、そもそもそういう話をしないのかもしれない。だがせめて、そういうこともあるのだということを知っておいて「あんたがたは日本を潰そうとしてやってるつもりなんだろうけど、それやること自体が無駄なエネルギーだし、大気汚染で環境破壊だし、あんたらが暑くすりゃあ日本に住む外人も含めて、みんなクーラー使ってコストがもっとかかるんだから、資源が枯渇したり、メガソーラーだの風力だのバイオマスだの原発だので、森や海の本来の機能が阻害されてさらに暑くなって、このままじゃ結局あんたらの子孫も地球ごと終わるよ」というくらいは言っておいていいのではないかと感じている。

 

 ぼくの最大の問題や矛盾や関心は、資本主義という、椅子に座れない人が死ぬ椅子取りゲームをしながら、ぼくらに椅子取りゲームをさせて嗤っている連中(00:52以降)を、どうやったらブッ飛ばすことができるのかということだ。

 日本の企業がいくら儲かろうと、日本のサブカルが何百何十億だか莫大な利益を上げようと、椅子取りゲームに参加している限り誰もが、誰も、何も、本当の意味で守ることなんか出来ない。それで先生も、さとうみつろうさんも坂口恭平さんなんかも、矛盾を孕みながら別の国をつくったり、ルールやシステムを編集してきたのではないかと思う。


 ぼくはもともと資本主義適応障害で、一月5万円くらい(今は無職)で暮らしているので、「多読アレゴリア」に参加することはできなさそうだ。ホントにお金以外のもので払えたらいいのに、トホホであることよ。14離のメンバーがアレゴリアのあちこちに潜入しているので、様子を聞いて、何かを編集することはできるかもしれない。ぼくはちょっとづつみんなと遊びたいので、とりあえずネズミーランドみたいな○Dayチケットとか年間パスポートみたいな感じにならないかな、イシス人割引無いのかな…と妄想している。



 

 番期同門祭で、曼名伽組のヴァンキ・コーヒーさんの作られたオブジェのひとつにティンカー・ベルがあって、ニレさんが「なんでティンカー・ベルなの?」と訊いていた。最期のほう、セイゴオ先生は林頭に「ぼくには妖精がいないからね」というようなことを仰ったという。

 スピリチュアルな世界では、人間は誰でも一人ひとりに必ず守護霊がついていると言われている。中には悪霊に憑かれてしまってる人間もいるのだろうけど、たいていどんなひとにもそんな存在がいて、その人を導こうとしてくれているのだ。

 

 ぼくは何故先生にティンカー・ベルがいないのか知っている。先生が地上に放ったからである。それを離したからである。

 

 どこへでも行ける気がする秋の虹

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