top of page

腸と脳

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada



 千夜千冊1844夜、エムラン・メイヤーさんの『腸と脳』を読んで思い浮かんだことを書いています。



 先生のご体調が思わしくないことは14離の仲間から聞いていたが、今回の千夜で具体的なことが分かって、自分が何を優先したらいいか見当がついてきて助かった。ぼくには先生の身体の辛さは到底分からないが、ぼくは小柄で、腕なんかがみすぼらしいほどガリガリなので、今の先生と体重などは近い。ショーガイの治療で尿道ドレーン(カテーテル)の経験はあるので、あの鈍い痛みがずっと続く辛さには憶えがある。想像すると切ない。新たな病根、何かの覚悟、とは何だろうと気になる。

 先生に会いたい。そばに控え、雑用でも何でもできたらいいが、ぼくはマンガを描くと決めてしまったからそれは難しい。せめて一目お会いして何時間かあれば、作った歌をその場で(下手なピアノだが)全部演奏するのになぁと妄想することはできるが、難しそうだ。ぼくはもう先生に直には会えないかもしれない覚悟をしなくてはならないのだろうか。


 ぼくは今『カンタ!ティモール』というドキュメンタリー映画の自主上映会を開こうと思っている。第二回のEDEXまでは、夢見る夢子さん的に、いつかそういうことができたらいいなぁと思っていたのだが、田中所長や八田律師らとディスカッションしているうちに、その気になったというか、勢いで翌日会場を申し込んでしまった。

 本当は地元の小さな場所を借りようとしたのだが融通が利かず、仕方なく少し遠い所に行ったら職員さんたちが親切で、困ったことに初心者のぼくに不釣り合いな、エラく立派な会場を借りることになってしまった。自分がとても無謀なことをしている気がしてきたが、こうなるともう手遅れである。とにかくやるしかない。

 しかしそんなぼくの頼りなさを察してか、会場の職員さんのみならず、映画の事務局の方々も丁寧な対応をしてくださって、非常に助けられた。編集学校のエディットカフェにある、EDEXラウンジでも何人か興味を持って応援してくれる人がいた。まだまだお客さん集めはこれからだが、なんとか前へ進んでいけそうだ。


 映画の中には国際家族計画連盟のことなども出てきて、普段は陰謀論扱いされている情報と、自然派の人々の取り組みに関連が深い情報に対角線が引かれた。ナレーションにあるワクチンとは、子宮頸癌ワクチンのことだろうか。 

 先生のご体調を知って、上映会をして大丈夫か、マンガが間に合うかと思ったが、映画の内容からして、このような今だからこそやるべきなのだと思った。


 先生の傘寿の華麗なるお祝いの品々は、遠くにいるぼくの目にも楽しい傑作ぞろいだ。特に中野さん乾坤一擲の九天玄氣組マガジン『龍』は、阿蘇山から飛び出ている龍の表紙に、ぼくも一目惚れしてしまった。曼名伽組の「編路杖」は、メンバーからの裏話がおもしろくて、今度本楼に行った際は是非実物を見てみたいなぁと思っている。

 イシスはこれからさらなる「もの・ことづくり」に向かっていくようだが、こういうふうに自分たちが本当に欲しいもの、したいことを、カタチにしていけばいいんだと思うとワクワクしてくる。


 ぼく自身の本分はというと、ネームを描き始めたところだ。長い一話になるかもしれないし、場合によっては分けるかもしれないが、最後までの道筋(今福龍太さんのいうところの島影)は見えている。こっちはどちらかというと背筋がゾクゾクする。


 今夜のお話は、こうしたワクワク・ゾクゾクをつくりだしている「外なる内なる情報環境」の主(ぬし)の謎にせまる。それだけ聞くと「なんじゃそりゃ」と思われるだろうけど、千夜千冊本編で、その正体がマイクロバイオーム(microbiome)、日本語で言う腸内微生物であることが明かされている。

 身体のことにあまり詳しくないぼくらの今までの考え方からすると、「え?ワクワク・ゾクゾクって、感情だから脳が作っているんじゃないの?」というのが大多数の意見かもしれない。だがみんな驚くべき腸の実態を知れば「なるほどだから gut feeling なのね」「だからガッツだぜなんだ!」と肚落ちすること間違いない(…と、なんとも決まり文句だらけの文章になってしまった…)。


 春を飲み五臓六腑や花の宴


 先月の14離会合は、お金がテーマだったのだが、Oさん節が炸裂してこちらは腹がよじれた。と言っても内容はかなりキワものなのかもしれない。多読ジムも「トイ人」も似たようなテーマを扱っていて、なにか資本主義問題に取り組む輪が、腸内微生物コミュニティばりの広がりになっている。

 今夜のお話も、ことごとく編集学校の社会実装のヒントになっているように思える。ぼくたちは、マイクロバイオームのコミュニティのごとく、それぞれ外界につながる機関の粘膜に高密度に群がってみたらいい(!?)のだろう。地域編集をしたいなら、イシス編集学校や、あるいは編集対象である腸内(町内)には、幼児から仙人・仙女まで、進化の歴史の最初期に活動を開始した先人生物たちが、どっさり控えているのだから、きっと彼らの絨毛(??)を借りない手は無いということだ。


 ぼくの場合、まだ頭が時々ズキズキ、耳鳴りがキュインキュインしているけれど、先生に比べたらまだ楽なのだから、止まってはいられない。何かに夢中になっていれば、耳鳴りは何とか気になりにくくなるし、ソマティック・マーカーを回収しているという島皮質(insular cortex)という部分と丹田などとの関係に、何かもう少し良くなるヒントがある気もする。自分なりに探求し、身体編集してみよう。


 それにしても脳-フォトショップメタファーは、実際フォトショップやクリスタなどのソフトを使っているせいか、ぼくにとってはイメージが掴みやすかった。そう言われてみると、ぼくはたしかに感情、認知、注意というツール、過去の経験を蓄積する記憶データベースを用いて、イメージの質や解像度を高めながら、マンガを描いたり行動している気がする。


 緊張で下痢になったことはないが、昔から胃腸が弱く、極度のストレスがかかると、ぼくは胃痙攣を起こしていた。また今でもスピーチをするとなると、心臓のバクバクがとまらなくなる。でもそうしたことは、自分のアタマ、つまり考え方が悪いせいなのだと、「ただの思い込み」なのだと時々言われてきた。なかなか理解してもらえなかった。そういう人は結構いるのではないだろうかと思う。

 ぼくは今回のお話を読んで、セイゴオ先生は、そうした症状は内臓感覚によるバイオフィードバックだから、ガッツでなんとかなることもあれば、ガッツがあるがゆえにどうにもならないこともあるのだと、ご自身の経験を顧みながら、ぼくたちの弱さや敏感さを、肯定してくださっているのだと感じたのである。ぼくの過去は今宵、未来から救われた。


 月光の匂ひ零れて梅白し


© 2023 EK. Wix.comを使って作成されました

  • w-facebook
bottom of page