日本の奇祭
- Hisahito Terada
- 7月27日
- 読了時間: 7分
更新日:4 日前

千夜千冊457夜・歴象篇、合田一道さんの『日本の奇祭』を読んで思い浮かんだことを書いています。
「地球温暖化で今年は蝉が少ないらしいよ」と誰かが言っていたが、ぼくの家の周りでは、今年もワンワンと蝉が鳴き、朝にはアキアカネが飛びはじめたので、なんでそんなことを言っているのか奇妙に感じた。ニュースで聞いた話らしい。
「地球温暖化」だとか「気候変動」と言うと、地球が勝手に暑くなったり、気候が自動的に変動しているように聞こえる。日本各地が暑くなってるのは、どう考えても人間が木を伐ってソーラーパネルを敷き詰めたり、田畑を潰して都市化や宅地化をしているからだ。それを「地球温暖化のせい」「気候変動のせい」「二酸化炭素のせい」にすると「そこ」で思考停止して、誰も緑地を増やそうとしないし、せっかく森を守り再生させようと活動をしている人がいても、協力したり応援する人がまだまだ少ない。政府も企業もマスコミも環境破壊を止めないし、責任を取らない。単純なことのようだけど、やっぱり言葉が一人ひとりの頭の中でその人の世界観を作るのだから、言葉を制する者が世界を制するのだろう。
今夜のお話では、日本の奇祭訪問記をベースに、セイゴオ先生が日本の祭りに対する意見を述べている。先生は日本の「祭」が単なるイベントと化してしまっていることに対する危機感があったようだ。今夜のお話はその懸念がかなり明確に表現されている。
ところが、それからわずか20年のあいだに、アエノコトをやる家はわずか数軒になってしまったのだ。
この20年こそが最悪な日本だったのである。昭和51年というのは1976年。ぼくはその数年後に「日本文化研究のためのジャパネスクの運動」を提唱したのだったが、周囲はまったく冷淡で、「なぜいまごろに日本文化なんだ」という風潮だった。
「おっかけ千夜千冊」が、「多読アレゴリア」の「千夜千冊パラダイス」に合わせた配信になっていくようなので、ぼくは(ここのところしばらく聞けていなかったのだが…)「本のれんラジオ」の、その月のテーマっぽい一夜を選んで、ブログを書いていこうかなと考えている。ちゃんと続けていけるか分からないが、ぼくはある程度習慣的なリズムがあるほうが、落ち着いて物事に取り組めるほうなので、ともかくやってみよう。
「本のれんラジオ」のオジー師範には、イシス編集学校の師範代になったとき、わかくさ道場でお世話になった。ニレさんやはるにゃさんやうめこさんとは、編集学校の行事や感門之盟で会ったことがあるくらいだ。
今月のテーマは祭りらしいので、ぼくもラジオの中でも紹介されている千夜を選んでみた。本のれんのメンバーのように祭りを幅広くとらえると、選挙も、ぼくが参加している「九州の千夜千冊」プロジェクトも、ぼくがマンガを描いてアップロードすることも「祭」なのだろう。
参議院選挙からかなり時間が経った。表面的には政権与党(自公)が過半数以下となったが、党の方針に自民と同じく基本的人権を削除する改憲案を掲げる政党が大半を占めており、危険な状態が続いている。
ぼくはそもそも選挙結果自体が嘘なのではないかと疑っている(でも投票には行ってる)。また、ワクチンや世界情勢について嘘をつき続けてきた日本のマスコミが、選挙だけ本当の結果を発表しているはずがないように思う。というか選挙管理委員会(情報を吸い上げて発表する上層部)が出す数字そのものも嘘なのではないかと考えている。ただ、嘘をつくにしてもあまりにも民意と離れていると嘘が通用しなくなるから、それらしいいくつもの不正な工作や組織的な動員、シャドウバンや「いいね」の数の改ざんなどの情報操作や印象操作を同時にすることで、既成事実を造っているのではないかと思う。
こんなことを言うと、じゃあ結局選挙なんて意味ないんじゃないのと感じる人もいるのかもしれないが、ぼくはそういうふうには考えない。
たとえ今の日本の選挙や政治が、既成事実を捏造するためのイベントだとしても、ぼくらが参加すれば、票は残るのだから、本当の選挙結果を明らかにするためのシステムを立ち上げて社会に実装することができればいいのではないだろうかと思う。そのためには選挙の際、投票結果を県や市に内的に報告する前に、地域の各開票所の結果を、現場から直にネットで公開していけたらいいのではないだろうか。選挙管理委員会の中でもまじめに働いている下部の人びとと共に、投票者一人一人が地元の選挙結果を注視するようになれば不正はしにくくなるし、たとえ仮にその地域で不正が行われていない場合でも、そうした詳細なデータは、地方政治に多方面で役に立ち、人々が政治に興味を持つキッカケになるはずだ。
もうひとつ、ふと思いついたのが「無所属連合という方法」だ。
ぼくは今回大西つねきさんを応援して来た。「はじめから集まるのではなくまず一旦分かれて集まったほうがいい」とか、大西つねきさんの言っていることはかなり編集的だと思う(編集は必ずわける・あつめるという順で行われる)。移民については、ぼくからすると危機感が薄いように感じられるが、つねきさんは酷い扱いを受けている外国人研修生などもふくめた外国人全般のことを言っていて、ぼくをふくめ移民を強く問題視する人は、不法移民を中心とした外国人による犯罪や背乗りや帰化といった政策移民(大量の移民によって特定の国や地域を実質的に支配するという国家戦略)や外国人によって日本の土地や資源が買い叩かれていることに注目している。意見が食い違っているという時は、互いに知らない情報があったり、上記のように話しているときの背景が違っていたりするので、これからは情報を出し合って擦り合わせていくという作業が、社会全体のいたるところで必要になってくるのだろう。
今回無所属連合は政党としては負けてしまったが、ぼくは今国会の中にいる人、あるいは今回の選挙で国政に参加することになった人々が、もしこれから自分の党が嫌になったら、離党して、つねきさんたちに相談するかなんかして、無所属連合になってしまえばいいのではないかと考えている。まあ無関係な人間の思いつきにすぎないが、つまり内側から無所属連合をつくってしまってはどうかと思うのだ。一部のまじめな議員たちが「いざとなったら無所属連合がある」と思えるようになることで、自分たちが本当にしたい政治、支持してくれる多くの国民のための政治ができるようになったらいいのになとぼくは思っている。
各選書のコメントを出し終えて、九州の千夜千冊が一段落した。具体的にどんな本を選び、どのようなコメントをしたのかはネタバレになるからは言えないが、ぼくたちの幕末チームは「黒幕」をテーマに全員で33冊の本を選び、ぼくはその中でも特に政治に関わる部分を担当して、キーブック1冊につらなる6冊の本を選んだ。ぜひ今の日本の政治や経済、生活、環境など、社会の様々なことに違和感を覚えるという人に読んでもらいたい。そういう人ならば、そのモヤモヤへの過去からの応答が、現在を打ちのめすようにこの7冊の中で結晶していることを感じ、そこに息づく方法の船に乗ってゆけるのではないかと思う。他にも計千冊の「世界」から、何艘もの船が出ている。
ぼくのマンガもようやく『L』の1話目を描き上げ掲載したところだ。先月から飼い始めた子猫があっという間に大きくなり、やんちゃざかりで、突進&飛びついてきて猫パンチやら猫キックを繰り出してくるので、相手をしながら描くのはなかなか大変だった(笑)。
今夜のお話を読んでいて、ぼくは祭りとイベントの違いについて考えさせられた。イベントは行事だ。祭りのごくごく一部分にすぎないのだと思う。千夜千冊にもこうある。
アエノコトが戻ってくるには、行事の復活だけでは足りない。農協がスケジュールを決めていること、減反指令を政府が出すこと、カリフォルニア米を食べろと言うこと、こういうことがひとつひとつなくならないかぎりは元には戻らない。
先生はアエノコトのような祭りにホッとすると言っていた。ぼくも地元の今年の子ども山笠が、素朴にほどよくにぎわっていてホッとした。
祭りと暮らしは、ハレとケで分かれているようでいて地続きなのだ。政治を、政府や官僚やマスコミだけがするものにしてはいけない。だからといって単に彼らが用意したイベントに参加動員させられて、いいように騙され操られているばかりでもいけない。ぼくら自身が、それぞれの暮らしと祭りに、祀りや政(まつりごと)を取り戻さなければならないのだろう。
山笠の子らを囃せり朝の蝉