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「縮み」志向の日本人

  • 執筆者の写真: Hisahito Terada
    Hisahito Terada
  • 5月12日
  • 読了時間: 7分


 千夜千冊1188夜・世走篇、李御寧(イー・オリョン)さんの『「縮み」志向の日本人』を読んで思い浮かんだことを書いています。

 

 

 今夜のお話は、日本人はなぜ「小さきもの」が好きなのか。日本人の「縮み志向」を、韓国や他の世界文化と比較しながら紐解く。「縮む」というと日本人からすると「縮みあがる」とか「縮こまる」といった卑小なイメージがあるため、日本人を批判する本なのかと誤解する人もいるのかもしれないが、著者はむしろ好意的に日本の特徴をおもしろがっていて、日本の専門家とは異なる日本社会の見方、日本好きの西欧人とも異なる日本文化の見方が興味深い。

 

 最近の韓国の若者は、グローバル勢力によるアジア分断戦略の一環としての、意図的な反日政策に気づき、それを乗り越えて、日本の若者とも連帯して自国の政治を変えていこうと努力していて、ぼくも感心させられることが多いが、李御寧さんのように、年配でありながら日本を深く理解してくれる韓国人もいるとはありがたいことだ。

 

 福岡で幅を利かせている、ある大企業のトップなどは日本人に恨みを持っており、日本で企業活動しながら納税せず、日本人を馬鹿にするCMやサービスを作り続けている。グループのマークである灰色の二本線が、そもそも反日を表しているという。なるほど変なマークだと思っていたが、背景を反転させると「日」という字が浮かび上がる。

 

 それだけならまだ単なる陰謀論という感じがするが、企業CMの、白い犬が父親役だという家族の苗字は、在日韓国人を帰国させようとした白洲次郎を文字っていて、母親の名も正子になっている。韓国では人間を犬として扱うというのは最大の侮辱なのだそうだ。その犬が一家の長なのだから、日本人は犬以下ということが言いたいらしい。また日本人の家族なのに兄が黒人というのも、古い考えの人々は、黒人を低く見ているので、日本人はその黒人以下と言いたいらしい。これは黒人の方々にも失礼極まりない二重の人種差別になっている。

 

 またその会社の採用しているペイペイという電子マネーは、中国語では「呸呸」と書き、「地位の低い、劣った者」とか相手を馬鹿にする意味があったり、「ちぇっ」とか「ふんっ」とか、中国人が不満を表すニュアンスで使われるそうだ。つまり日本人は電子決済をするたびに、周囲の中国の観光客から嘲笑の対象にされるということなのだろう。

 

 ぼくはスマホを持ってないからあまり関係ないが、これだけの情報が出そろうとうんざりしてくる。日本に来るすべての中国人観光客が悪い人というわけではないし、日本には在日韓国人や中国人であることで苦労をしていも、日本人とも仲良く暮らしていきたいと願っている平和的な人もいることは知っている。アイデンティティに苦しみながらも、調和を大切に生きている人もいるだろう。しかしそうした人々がいる一方で、自分たちの地位や権限にふんぞりかえって、日本人から搾取しながら日本人を虐げる者がいることによって、在日韓国・中国人全体のイメージがかなり悪化している。

 

 ペイペイに関しては、他の電子マネーを使うようにするか、電子マネーを使わないようにするのが一番だが、これだけ普及してしまっているとなかなかシステムを入れ替えるのは大変だろう。今夜のお話の、「縮み」という言葉が嫌ならば、「縮み」と言わずに「小さきもの」とか「盆景感覚」といえばすむという先生のご指摘が、せめて日本人が自分たちに卑小な言葉をかけないようにするための対処療法にはなるかもしれない。要するに編集稽古感覚で、何か自分たちに福を呼ぶような素敵な呼び名を考えて、代わりにその名で呼んでしまえばいいのだ。

 

 それより深刻なのは、通名を使い日本人として生きながら、実際は日本文化のことなどこれっぽっちも理解しようともしないし、日本人を差別し奴隷のように扱う人間が、政治や官僚組織やマスコミを支配しているということだろう。在日韓国・中国人のなかの、ごく一部の帰化人と呼ばれる政治家や財界人は、日本に何の想い入れも礼節も無く、過去の怨念と現在の優越感に浸っているように思われる。出世と保身が人生の目的になっていて、完全に中国共産党にコントロールされている。政治家をたらしこんだ中国は、あらゆる詐欺行為で日本人の資産や資源をむしりとり、自然も文化も社会も破壊し、日本という国を滅ぼそうとしている。

 

 こうしたことに気づく人もだいぶ出てきたものの、いまだに世界と日本で今何が起こっているのかほとんど知らない人も多く、何もしなければウイグル自治区のようになってしまうのではないかとぼくも心配している。昔カレイドスコープさんというブロガーが言っていた「超限戦」が現実のものになってきたということなのか。先月あったのはその警告だったのではないか。つい最近”離れ”を見返していて、クラタ方師はぼくが離に入った当初から、そうしたことを考えておられたのだと気づいた。

 

 アジアは欧米化とグローバル化によってすっかり拝金物質主義になってしまった。おまけに中国は仁義礼智心を失って、今やアメリカよりも世界中から嫌われる、迷惑侵略国家になってしまった。あの偉大で多様な世界観を持っていた中国、欧米の管理統制的なモラルとは違う孔子の礼の中国、山水を神仙の住処として敬い親しむ老子の道の中国、言霊の園に百花を咲かせる荘子の遊の中国はどこに行ってしまったのだろう。

 

 ぼくは新しいネームを描き、原稿を描き始めたところだ。


 セイゴオ先生は今夜のお話で、日本人が面影を近しくし、余白を生むには、「発想と入れ替え」と「小さなタブーへの挑戦」が必要なのだと仰っている。そうしたことを意識したわけではないが、ぼくはマンガについても、生き方においても、自分が嫌だと思うことは拒否し、ワクワクするほうへ進むことにした。

 

 オツ千も面影日本スペシャルを再開したようだ。なんと穂積さんが先生の字を真似しだしたらしく、そのおかげで書くという行為に伴う細やかな変化に敏感になり、わずかな機微によってしか伝わらないものがあることに気づけたという。やあなんとも嬉しいことだ。師範代たちにとっての宝物であり、イシスの名物である先生の手書きの教室名カードを、穂積さんが継いでくれたのだ。

 

 ぼくもキャラクターの眉毛一本のわずかな角度で、その場面の意味が変わってしまうことがある。今夜のお話では「縮み志向」のパターンが入籠型、扇型、姉さま人形型、折詰弁当型、能面型、紋章型などに分けられているが、紋章型から連想された日本人の「凝り性」は、どちらかというと職人的な「こだわり」に近いもので、「詰め」や「数寄」へ向かっていくのだと思う。

 

 14離企画会議の文巻読みが、丁度最初の商量前にさしかかったタイミングで、スサビ師範代から、ナカノさん率いる九天玄氣組が取り組んでいる「九州の千夜千冊」プロジェクトに誘われ、幕末チームに入ることになった。思いもよらぬことだったが、文巻の内容と今夜の千夜のお話と妙にクロスして、急にぼくのこれから取り組むべきことが浮かび上がってきた。今こそアジアと日本の歴史を見直し、現代社会とインタースコアさせる時なのかもしれない。

 

 セイゴオ先生がこの一夜をエディションの最後に持ってきたのは、本を読んだ人に、かつての美しい日本が失われていくことをただ嘆いて終わるのではなく、その面影のリプリゼント向かってほしいと願っておられたからではなかろうか。ぼくはこの一夜で先生は、著者の見方に寄せて方法日本を連打し、ぼくらの出遊を鼓舞してくださっているのではないかと思う。

 

 九州の千夜、幕末チームといっても、テーマは限定されるわけではない。プロジェクトを通じて幕末を起点に、何をどのようにどこまで拡張し、まだ見ぬ人々にどんな本を託し、残していけるだろうか。そう思うとなんだか滾るような興奮をおぼえる。これだこれだ。これぞ編集的自由。

 

漕ぎ出せば大海大空風青し

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