梁塵秘抄
- Hisahito Terada
- 3月2日
- 読了時間: 7分
更新日:3月3日

千夜千冊1154夜・意表篇、西郷信綱さんの『梁塵秘抄』を読んで思い浮かんだことを書いています。
岩手の大船渡で山火事が起こっているが、これは自然災害ではなく、メガソーラーを設置したり、スマートシティ、スーパーシティをつくるための侵略だとぼくも考えている。3箇所から出火と言うのも、マウイ島と同じだ。類似情報をまとめてくださった方のコメントを引用したい。
【スマートシティ・スーパーシティが計画されている地域】
●ロサンゼルス: 「SmartLA 2028」
ロサンゼルス市は2028年までにスマートシティ化を目指す「SmartLA 2028」計画策定。
●ハワイ・マウイ島: 「JUMPSmartMaui」
2010年代から日米共同のスマートグリッド実証事業「JUMPSmartMaui」実施。
●珠洲市: 「SDGs未来都市」
能登半島の先端に位置する珠洲市は、「SDGs未来都市」に選定。
持続可能な開発目標(SDGs)を達成するための先進的な取り組みを行う都市として認められる。
●能美市: 「第2期 能美創生総合戦略」
デジタル技術を活用した地方創生を目指す。 デジタル田園都市国家構想総合戦略(2023年度~2027年度)に基づく施策。
●大船渡市:「デジタル田園都市 国家構想」
デジタル田園都市 国家構想総合戦略は、市民、企業、市民活動団体、行政など、地域社会を構成する主体の共通の目標として、その実現に向けて協働で取り組む。
●ガザ地区:「ガザ2035」
2035年までに先進的なハイテク都市への変貌を目指す「ガザ2035」構想発表済み。この計画では、未来的な高層ビル群、最先端のビジネス拠点、広大な緑地化などが含まれる。
他にも愛知県や佐世保市など日本各地、バリ島などでも5G6G7G電磁波ゲットーが造られようとしている。反吐が出るほどどれもこれも似たようなグローバル再植民地化計画だ。自民公明維新以下ワクチン売国政党議員以外に投票する以外に、一体どうしたらいいか。どうしたらこのような環境破壊と搾取を止められるだろうか。ぼくは色々なことに興味があるものの、人間が一人で出来ることにも、人生の時間にも限りがあるので、自分がこれから何をするのか・何をしないかが大事になってくるということを考えさせられている。
最近ぼくは、砂浜に捨てられていたモンスターエナジー(アサヒ飲料)の缶が目についたので、ともかく地元の海のゴミを拾うことから始めることにした。ついでにこの世の中では、どんな商品を買う人間がポイ捨てや不法投棄をするのか、傾向を調べて発表したら、ゴミからその商品が人間の精神や社会におよぼす影響を研究でき、なかなか面白いのではないだろうか。
ゴミ拾いのボランティアについて知りたくて、一度近隣の団体がしている清掃活動に参加した。風の強い日だったが、海がきらきら輝いていて、無心でゴミを拾っていたら、良書に巡り合ったときのように氣分が澄んでくる感じがした。これはいい。在宅で仕事をしているので運動にもなりそうだと思った。30年以上活動しているボランティアの方が、色々教えてくれて助かった。明日もまた畑の近くの池のゴミを拾う予定である。
二月末の14離企画会議では、文巻の響読をしてみようということになっていた。最初なので、とにかくどのくらいの早さが適当なのか探りながら読んで、当時の回答を振り返ったり、あらためて気になったことや気づいたことについて交し合った。前もって一度目を通してはいたものの、ぼくは「認識の自由」について上手く話せなかった。またついつい、院の回答を読むのに夢中になってしまい、無言になってしまう場面があったが、物語編集女将の朗読と方針の提案が事態を進めてくれて、スサビ師範代が率直な問いを立て、アフロール師範代が過去の回答を使って解説してくれたので、ぼくは分かってなかったお題の理解が進み、やはり文巻を再読することは大きな学びになるなという確信が持てた。
他には侍留さんの出版や、ユイマ師範代が北海道(北)に居て、ヒラノ師範が沖縄(南)にいることや、ヤクザとロビンフッドの話で盛り上がった。最後にはなんとか、次回からだいたいどれくらいのペースで進めばいいかの見当がついたところである。
今夜は平安末期、建物の梁の上に積もる百年の塵さえ動くほどに心を揺さぶると言われた歌を、今様に狂った後白河法皇が自ら撰び、編纂した『梁塵秘抄』についてのお話である。当世風(流行歌)でありながら、歌詞の背後に神仏が控える深遠な今様は、どのように語り継がれ歌われてきたのか。
後白河法皇という人は二十九歳で天皇に即位し、宮廷に一大サロンを形成し今様三昧の日々を送ったいたけれど、年半で突如退位し、第一皇子二条帝に譲位して上皇となり院政を行ったそうだ。平治の乱の敗者の没収財産や平清盛らの出資などをもとに芸術事業を行い、身分を問わず多くの者とその成果を共に楽しんだらしい。その後1179年、五十三歳のとき、鹿ヶ谷の変で対立した平清盛によって、院政停止させられ、鳥羽御所に幽閉されるも、暇になったのを幸いと、『梁塵秘抄』の執筆に着手したという。
この日本編集史上における傑作を前にして、セイゴオ先生がこの千夜を書いた理由を問うこと自体が野暮なような気もする。本編にはただ、この千夜の2年前(2004年)から始めた「連塾」の第二荒で、タイトルにした今様の思い出が語られている。
『梁塵秘抄』を編纂したのは法皇のグループだが、今様の一つ一つをつくってきたのは、名も無き遊女や語り部たちである。先生は、それらの今様が広大で深遠かつ、言葉が徹底してよく陶冶され、それでいてシンプリファイされた編集推敲がされているのは、多くの語り方や歌い方が錬磨されてきたからで、どれひとつとして一夜でできたものではないからだと仰っている。一人の才能ではここまでの今様にはならなかった。自発能動的な相互編集による情報の凝縮力。そこにとてつもない面目があるというのだ。
ぼくは多様な法文歌や神歌を知って、ついつい曲をつくってみたくなってしまった。声は桃山晴衣さんのような感じがよく似合うと思うのだが、曲は『平清盛』のアレンジや『窓から見える』のように作曲できないものだろうか。
今夜のお話で先生は、どんな流行も今様であり、それはいずれ古様になっていくことをどうをどう見るか。どう感じるかという問いを立てている。
ぼくは最近地域の文化祭的なお祭りを見に行ったのだが、あるフラダンスのグループが、着物でつくったムームーを着て、森山直太朗さんの『桜』をアレンジした『プア・サクラ』で踊っていた。ぼくが見たグループの衣装は着物の袖が半分ついていて、フラの動きにひらひらとはためき、優美な舞いとなって、日本とハワイ両方の美しさがほどよく調和していた。
本来の国際交流とは、こんなふうに文化的なコラボレーションを通して、精神的に豊かになっていくことなのだし、本当の国際援助とは、ペシャワール会の活動のように、その国の人々がその国で暮らせることようにしていくことなのだろう。上から目線でその国や地域を「発展させる」ことでもなければ、まして詐欺的な交換条件でその国の資源や土地を搾取したり、自分たちの都合や価値観を押し付け、その土地の文化や生活を侵略することではないはずだ。
地球の存続のためにこそ、ぼくは日本がDSから自由になることが必要だと思う。山林や海が守られ、食料自給率が上がり、日本が自立できれば、ぼくたちは世界各国がその国らしく豊かに循環する方法を広め、伝授していくことができるだろう。
今の日本は売国奴によって穢されてしまっている。ケガレとは単に汚染されているということではなく、もともとは氣が枯れている状態(氣枯れ)であるらしい。今様の身体性に限らず、ぼくらが時代とともに失ってきたもの、奪われて忘れ去られたものはあまりに多いが、先ず今一番要るのは、身を賭して出遊するためのエネルギー、面影によってふるい立つ「氣(氣持ちや勇氣)」そのものなのかもしれない。
雀らが踊る瓦の雛祭り