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千夜千冊1771夜、アンリ・セルーヤさんの『神秘主義』を読んで思い浮かんだことを書いています。
セイゴオ先生は肺癌の手術をした。最近は政府のコロナ対策ので、入院患者すべてが家族や知人から隔離されている。コロナ詐欺のせいで、病院に入った親の死に目に立ち会えず、お年寄りが一人ぼっちで死んでいかなければならない非道がまかりとおっている。子や孫に会いたい一心のお年寄りが、騙されてワクチンを打ってしまうというのも可哀想だ。ぼくは製薬会社や政府、マスコミに対して非常に腹が立っている。
先生は幸い癌の転移もなかったものの、いまはリハビリ中で、酸素を補わなければならない。ぼくにもし余計なお金があったら、植物を送りまくって本楼をジャングルにしているかもしれない。今の時期なら朝顔なんかも良いなと思う。植物が作り出す酸素には副作用がなく、エアコンのようにわざわざ電気で動かさなくても良いし、単なる空気以上のさまざまな効用がある。緊急時の酸素ボンベとは比較しようがないが、森や山に行って深呼吸すれば、空調や空気清浄機は植物にはとうてい敵わないことが容易に体感できる。
さて、ぼくは「不思議、大好き」人間だが、神秘思想についてはそんなに知らない。神秘体験には事欠かないものの、体験をすることがそれほどめずらしいとは思わない。なぜなら知人にTさんという世にも不思議な人生を歩んできた人がいて、その師匠に増川いづみ先生というすごい方がいて、さらにセイゴオ先生がいて、こんなにあまりにも仙人や魔術師に囲まれていると、自分が特別などとは思いようが無いものだ。ただ、なぜ自分が奇妙な体験をしたのかぐらいは知りたいし、自分が何かのミッションを持って生きているのだという妄想を膨らませてほくそ笑むのは自由だと思うので、時々そんなふうに考えてみては、トトロや守護霊さんに慰めてもらっている。
先生は入院中に、神秘主義の歴史と現在のことを考えておられたようだ。実はぼくも〔離〕後、最近ユダヤ教や錬金術やらカバラが気になってはいたものの、身の回りがあわただしくて放って置きっぱなしになっていた。今夜のお話で紹介された中では、ルネ・ゲノンとは勝手に友達になれそうな気がしている。
ウェルビーイング的な日本のスピリチュアルブームに火をつけたのは『オーラの泉』ではないかなと思うけれど、こうも一大ジャンル化して、癒し系から陰謀系から宇宙人系スピリチュアルまで盛りだくさんだと、自分で占いなどやっておきながら、ぼくも「引き寄せ」「アセンション」ブームなどには食傷気味になっていった。右見左見して、占いもスピリチュアルも「欲を出せばキリがない」ことだけが分かった。
意外なのはセイゴオ先生がソルフェジオ音楽を聴いておられたことである。サウンドヒーリングといえば増川いづみ先生だ。増川先生はアメリカ大統領・レーガンのもとで水の研究をされていたが、音(波動)の研究者でもある。電磁波の研究においても世界トップの方だが、電磁波が健康被害につながることが公になるとインフラ利権勢力は金儲けができなくなるので認めない(だから海外では知る人ぞ知る)。増川先生は米大統領のもとにいたけれど、先住民族から直にその神秘思想を学び、彼らの居留地をめぐって政府の高官ともわたりあったことがあるような勇敢な女性で、しかしご本人は「言い争った」ことを反省し「もっと他の道があったのではないか」と思っておられるような、高潔で思慮深い方なのだ。
サウンドヒーリングとは波動療法の一種だ。つまり電磁波と反対の、身体に良い波動で人を健康にする。Tさんが弟子として勉強しサウンドヒーリングをしているので、ぼくはよく体験させていただいている。内容は「神秘主義」だけに秘密にしておくべきなんだろうか。ぼくはできることならTさんや増川先生にセイゴオ先生の治癒をお願いしたいものだ。
江戸時代まで時計の代わりをしていた寺の鐘など、古い楽器や古代音楽には同じような力があった。ところが昔ながらの生活に息づく力を、グローバル・エリートたちは略奪独占しようと画策し、ついに1953年に国際標準化機構(ISO)が、公共の周波数を身体にいい「A=432hz」から、病気やストレスを誘発する「A=440Hz」にした。対抗して「528Hz」で曲を作っていたジョン・レノンが、CIAが洗脳したチャップマンによって暗殺された話は有名だ。
電気機械を通した音と自然音では、同じ周波数でも量子的な効果はかなり違うことも言っておかなければならない。川のせせらぎ、海の波音、鳥の声や虫の声、風の梵(そよぎ)、人間のナマの美しい歌声などの自然音には、生命を癒す波動がある。
このように神秘主義の根元は思想史や文学史の変遷にくらべてずっと巨きく、ずっと尖っている。セイゴオ先生は神秘主義が本格的な宗教思想とは違う「まがいもの」や「あぶなっかしいもの」として扱われるようになった理由について取り上げることにした。原因のひとつには、近現代の結社型神秘思想の多くが深みを欠いて、大きな視座をもてなかったせいではないかと思われた。
以上のような難問に少しずつ分け入るためには、今夜はまず神秘主義の基礎的な特徴を描く必要がある。アンリ・セルーヤの『神秘主義』はスケッチの透視枠として選ばれた。他のスケッチ道具は千夜千冊本編で参照していただきたい。
ぼくは自分が不思議大好き人間であることをとくに隠そうとは思わない。自慢するのは変な気がするので、そういう話題になったら「占いできます」とカミングアウトする程度だが。先生の仰る通り、みんな内心では「不思議、大好き」なのだろう。そういえば、ぼくは今までの人生で占いが嫌いな女性には会ったことが無い。
神秘主義(mysticism)という言葉は、語源を辿っていくと本来は「ウニオ・ミュスティカ」(Unio Mystica)=「神秘的な合一」をさしていた。絶対者や超越者、つまりは神々との合一である。
合一(union)や合一化は、同一(identity)や同一化ではない。同化ではなく「一緒になれることを希う」という点が、現代の考え方と大きく違う。パリンダーの『神秘主義』という本は、ヒンドゥイズム、ユダヤ教、仏教、キリスト教、タオイズム、イスラム教スーフィなどが、実は古代的な神秘的合一をめざしてきたのだという歴史を解説している。
ミュスティカなヴェールゆらすは青嵐
セルーヤの本書はもっと今日的な神秘主義性についての解説だ。
オカルト(occult)には「隠す」とか「覆う」とか「マスキングをする」という意味がある。つまりオカルト的になるというのは「隠されたもの」が「気になる」ことだ。
何かが「気になる」ことはいろいろある。たとえば虫の知らせ、運やツキなどにはじまり、懐かしいおまじない、唄うことやお酒に酔うことやヨガ体操教室に通うことまで入れると、神秘の扉を開けるトリガーは結構幅広い。
危険なトリガーと言えば麻薬やドラッグだ。古代神秘主義宗教者たちはその用法に注意深かったが、60年代のロックスターは粗悪な薬物を過剰摂取して社会問題になっていった。この流れが「古代神秘主義=オカルト=麻薬=犯罪」という現代まで続く腐臭漂う関係を作っていったのではないだろうか。
とにかくこうした「説明がつかないもの」がオカルティックな神秘トリガーなのである。「説明がつかない」神秘を納得したくてスピリチュアルな旅をしたくなるものなのだ。特に神秘主義では、啓示感覚を得るための徹底が密儀化していった。
現代では、人が見えないものを確信することをヤバイとみなすことが常識になっているが、哲学や科学も、もともとは「説明のつかないこと」を「説明がつくこと」に転じてきたのである。あらゆる文学や芸術も、交感や畏怖、自然の力を感じることが寓意と類推を進め、想像力が飛び立つための風になっていった。
ぼくたちの「体」や「心」はもとから想像のための翼なのではないだろうか。
ウィリアム・ジェームズは「言葉でいいあらわせない経験」をすることが、思索を離れて直観に従おうとするようになるキッカケになることを見抜いていた。〔離〕の方師が仰っていた、「永遠なんて一瞬で決まる」とは、神秘体験のことだけではないと思うけれど、ぼくの最初の不思議経験も、せいぜい30分から1時間ほどの実感だった。
ただ、ぼくはこうした不思議体験が自分だけにおこっていて、他人にはおこっていない特別なことだとは思わずに済んでいる。ぼくの仲間はそれぞれ不思議体験をしている奇人変人が多く、互いの神秘を飲み会の酒の肴にしてしまっているのだ。これは神秘の超・世俗化なのだろうか。密儀化してはいないが(いや、美味い日本酒をトリガーにした密儀なのかな?)、ぼくらの間でも何をもって「本格」とみなすのかなんて議論したことも無い(『アナスタシア』など、その時々でブームはある)。
ぼくらは互いに起こっていることを、特別「神秘」だとは思っていないのだろう。基本的には、不思議な夢についてや、亡くなった知己の人が幽霊として会いに来てくれたことを話せる間柄というだけだ。大切なのは自分たちが体験者であることではなく、互いの物語の中身なのである。
かつてはヘルメス学、グノーシス、カバラ、空海の真言思想や闇斎の垂加神道などが「神秘主義思想」として真面目に議論されてきたことがあった。
けれどもいつの間にか学術や科学と宗教やオカルトは、「(難しくてよく分からないけど)正しい世界」と「怪しくてヤバイ世界」に意図的に分断されてしまった。
セイゴオ先生は社会思想やアカデミズムやジャーナリズムが、「説明のつかないこと」を十把一からげに蔑視する傾向が分断をもたらしたとみなした。一方で米大統領と増川先生の関係を知れば分かるように、Tさん曰く、グローバル・エリートと呼ばれるような人々ほど、神秘思想や量子力学を活用しているそうだ。彼らはたいてい動物愛護ではなく美容と健康のためにビーガンであり、世間に出回っている薬なんか飲まず、金をかけて自然療法を実践している(+アドレノクロムを摂取している?)。そして商売上は、抗がん剤やワクチンやファーストフードなどの化学工業製品を「正しく常識的な科学」として人々に売りさばき、マスコミを使って自然治癒力や自然療法や波動を「まがいもの」扱いすることで、自分たちだけが長寿にあずかろうとしてきたのだろう。その特権的な「知識」がだんだん世俗化されるとともに、増川先生やTさんのような人々を介して徐々に共有されだしたのではないだろうか。
しかしぼくも神秘主義の母体から、具体的に社会思想やアカデミズムやジャーナリズムどのように派生したのか、「小枝とフォーマット」がどうなっているのかは分からない。
分かっているのは安倍晋三が処刑され、上皇夫妻が暗殺され、(トランプ側がやったのか、ディープステートが口封じ的にやったのかは謎だが)合同葬儀が行われたのに、大事を隠して国民を騙しオリンピックを強行開催する、この日本株式会社の利権を貪る売国奴の汚さとおぞましさだけだ。安倍晋三は確信犯だが、上皇ご夫妻には自由は無く、ディープステートに利用されただけだろうに。なんで人殺しを続けてきた安倍と、古代から続く祭司としての役目を果たそうと、慰霊を続けてこられた上皇ご夫妻が一緒に葬儀をされなくてはならないのか、ぼくにはまったく納得がいかない。日本国民は国家という所在など、とっくに喪失しているのだろう。だが、国民国家は国(くに)ではない。
オカルトのトリガー探す夏休み
たぶんぼくたちはみんなでよってたかって、神秘のヴェールを脱がぬまま、その合間を通って出入りする何かを、向こう側にある何かを取り戻すべきなのだ。