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『外は、良寛。』を観に行く

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 朝、急いで旅行鞄を持ち上げて、人差し指の横の皮膚が5ミリほどズルリと剥けて血が滲んだ。怪我が厄払いになったのか、その日は一日色々な人の親切を受けた。


 ぼくはセイゴオ先生の本を、田中泯さんが踊り部としておどる『外は、良寛。』を見に行った。


 [破]の時の師範代とも劇場で久しぶりに会い、ランチがてら色々と話すことが出来た。zoom飲み会も十分楽しいけれど、実際に会える時間は格別・特別だ。14離の仲間二人も来てくださり、なんとお二人から本を貰ってしまった。


 Hさんからいただいたのは『江戸絵画八つの謎』。有名な若冲や写楽や北斎のことは、教育番組の特集や宇江佐真理さんの小説で多少知っていたけど、北斎と富士講の食行身禄との関連についての話を読んで、北斎のある浮世絵の謎が解けた。他に英一蝶や長沢芦雪など、名前と作品をなんとなく知っているくらいの絵師のことも興味深く学べておもしろい。


 Tさんからは懐かしのヴィトゲンシュタインの、一風変わったヴィジュアルブックをいただいた。富田伊織という方の作る標本とコラボした『透明な沈黙』だ。1ページごとに読み手を立ち止まらせる哲人の言葉が並び、タイトル通りこちらが「沈黙」してしまうけれど、以前は厳めく強いイメージだったヴィトゲンシュタインが、悩める律儀なひとりの人間として語り掛けてくるようだ。


 黙読の窓辺ぽつりと雪の音


 その日の公演には他にも、離の火元を務めたUさんなどイシスの方々が来ていて、当期師範代ではないぼくにも声をかけてくださった。

 学衆の頃から知り合いのTさんと近況などを交し合った。Tさんは新たに大学で教養芸術を学ぶという。Tさんは仕事をしながら、イシスの師範や感門の盟のスタッフもしていている、ぼくの何倍もの量の、幅広い情報を生きている愉快で豪快な人なのである。ぼくの近況に話が移り、ぼくが自分にとってのマンガが何なのか言い淀んでいると「それで食っていくプロでもないけど、ただ時間がある時にだけやる一般的な趣味でもないんだね」と、ぼくの微妙なところを察してくださって、なんだか嬉しかった。


 同じ舞台の感想が観客によって、また観客の座席の位置によって変わるのもおもしろい。2列目のTさんはまず泯さんの筋肉の躍動する美しさに魅せられたようだ。

 奥の列のぼくは山水画風に「風景・景色・景気」を見たいと思った。

 『意神伝心』のときは狂女、『影向』のときはまるで少年だった石原琳さんが、今回は表情もたたずまいも踊りも見違えるほどやわらかく、艶やかなロウソクの炎のようだった。

 泯さんがジッと立っていると、風貌からぼくには一休さんめいて見えてしまうのだが、泯さんは”here”と”there”の裂け目へ手を差し込んで、そこから時空全体をゆらしているようだ。塵の振動が見えるかと思った。肢体はおろおろと弱っていくような動きであるのに、不思議と同時に軽々自在になっていく。

 杉本博司さんが演出したスクリーンも、どこまでも白い雪の平原かと思うと、凪いだ越の海原に変わっていて、映された光の粒は雪にも星にも蛍にもなる。散ってゆく雪は風花だ。さとううさぶろうさんと同じく衣服機能の本来を知る帯匠・山口源兵衛さん着物や、冬ざるる景色にぼくらを誘う本条秀太朗さんの声…。乞食や童子こそが神になりうるという日本の二重・多重性が、劇場のそこかしこに舞い込んできていた。


 ぼくは夢の1日目でこの舞台のカーテンコールを見たので、その後に2日目・3日目の夢の出来事が連続して起こるのかなと思っていたが、今回は何も起きなかった。あの夢にはどんな意味があったのだろう。

 出発の前日に思いついて、手作りの干し柿なぞを贈ろうと計画したら、編集学校では何度もお会いしているのに、実際の先生を久しぶりに間近に見て緊張してしまった。先生からNさんと一緒ではないのかと訊かれたが、ぼくはNさんに昔ご迷惑をかけて以来、ぼくからは直接会って話しかけることができていない。そうした次第で、あの日はそれ以上どうしていいか実のところよく分からなかった。


 ぼくは公演を観に行く前に『外は、良寛。』をゆっくり読んで三回目になっていた。あの日は特にぼくに何が出来たというわけではなかったが、ぼちぼち本の内容がほどけて来て、なんだか良寛さん的にこれでいいのだと思えた。ぼくは公演の前に本で感動してしまっていた。この本は重要なことがたくさん書かれていた。だからぼくとしては、この本を世に送り出してくださった先生にお礼が言えた、それだけで出遊の甲斐があったと思えたのだ。


 それにしてもみなさんにたくさんの親切や贈り物をいただいてしまった。これではまるでぼくがほいとのおもらいさんである。


 心臓の音深々と雪踊る




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