かさねの作法
- Hisahito Terada
- 2025年10月5日
- 読了時間: 7分
更新日:2025年10月26日

千夜千冊1526夜・意表篇、藤原成一さんの『かさねの作法』を読んで思い浮かんだことを書いています。
好きなもの イチゴ 珈琲 花祭り サブカルズして世界編集
これはぼくがアニマ臨風教室の師範代になった時に、寺田寅彦さんの「物名賦物」を真似してみたものだ。
9月の本のれんラジオは「好き」はどこにある?という、誰もが気軽に入っていけそうなテーマだったのだが、千夜千冊からブログの題材を選ぶとなると、なかなか難しかった。編集学校の間で「好き」と言ったら、先生の『日本数寄』を思い浮かべる人は多いが、千夜千冊でフェチや数寄に真っ向から探すと、ラジオの内容のような色々な「好き」の中の一部に特化するように思えた。そこで月末にあったイシス編集学校の伝習座の話題をとりまぜて、こちらの千夜を合わせることにした。
今回の伝習座は、前半は今福龍太さんが、名古屋曼名伽(まんなか)組・ヴァンキコーヒーの小島伸吾さんや、遊刊エディストの副編集長をされている金さんと「花綵列島の新たなる憲法」をテーマにセッションを行い、後半はセイゴオ先生の過去の講義映像をもとに、師範や学匠が、これから守・破の講座へ向かう師範代に向けてのレクチャーを行った。
今福さんの講義については、14離の文巻読みの内容と掛け合わせて、折を見てnoteに記事を書こうかと思う。こちらでは後半の講義で感じたことや、今月の出来事、好き(数寄)について思い浮かんだことなどを記しておこう。
9月15日、ぼくは深田萌絵さんの『BIG PLOT』を買いに講演会へ行った。生で見た深田さんやジェイソンさんやパクさんは、目がキラキラしてて澄んでいた。ぼくはまさか本を買った人みんながサインをもらえるなんて思ってなかったので、緊張して間近では深田さんの顔をまともに見ることができなかった。しかもジェイソンさんとパクさんとはたまたま目が合って「本物だ…」などと興奮して言ってしまった。けれどみなさん笑顔で接してくださった。講演自体は深刻なテーマではあったものの、会場は終始明るい雰囲気に包まれていた。
中華マフィアが深田さんの出馬を妨害しているようだし、トランプ大統領は日本国民から80兆も奪って、アメリカ人を殺した浙江財閥傘下のTSMCやソフトバンクに投資し、世界監視システムを構築しようとしているシティ・オブ・ロンドン(主にパランティアという会社)に30兆円も貢ぐらしい。状況はおおよそ、何年も前にカレイドスコープさんが言った通りになってきているが、それが”ごく一部の人だけが知るこの世の実情”ではなく、こうして何とか本になって、日本でも韓国でもアメリカでも、これだけ多くの一般市民が知ることができるようになるなんて、彼もNWOサタニストたちも想像してなかったのではなかろうか。この奇跡は深田さんや、プログラマーのジェシーさんという女性や、ボランティアで手伝っておられる人々も含めた、彼ら一蓮托生のチームの、努力の賜物であると思う。
講演会にはそういう話が好きな、ぼくのような世間ずれした人ばかりが集まるのかと思ったら、会場は本当に満員で、若い男女やお子さんを連れた家族、老年のご夫婦、どこにでもいそうな友達同士らしき男性たちや女性たち、幅広い年代の、多様なタイプの人がいた。ぼくは講演会に行ったことで、この国の状況をなんとかしたい、日本を守りたいと思っている人がこれだけいるんだと実感することができた。敬老の日だったので、深田さんが久々に政党を大判焼き今川焼回転焼きに見立てるネタをしていたのを思い出して、食ってやるぜという意気込みで(?)蜂楽焼きをお土産にした。
深田さんらは現在も各地で公演を続けながら、政治活動に取り組んでいるが、既存のプラットフォームでは妨害攻撃が増しているようだ。やはり自社サイトから、イベントに参加したり本を買ったりできたほうがよいということなのだろう。深田さんはそのうちお店(リアル店舗)か、カフェを開こうともされており、みんなの意見を募集していた。丁度ぼくの14離の仲間の一人も、”サロン兼ギャラリー兼カフェにもなるような、セミパブリックな場所”を開こうとされている。ぼくも個人的には、その時々で流動的に様々なことができる「兼ねる場」であるほうがおもしろいのではないかと思う。深田さんはお寺や神社をみんなで掃除するという。なんと素晴らしいアイデアかと感心する。能登は通帳型の地域通貨をしたらいいのではないかと思う。
今夜のお話では日本語に潜む、日本文化を支えている方法について紹介されている。セイゴオ先生が本書を取り上げたのは、日本社会が「元」を取り違え、わかりやすい「子」ばかりを量産するビョーキにかかっていること、とくに日本通と言われる人々や専門家が、個別の知識はあっても当の「芸」や「味」についてちゃんと説明できないことについて業を煮やしたからだという。
そういえば、ぼくが師範代になった頃の伝習座というのは非公開で、どちらかというとセイゴオ先生の前で師範らが試される場のような感じがあって、ただならぬ緊張感が漂っていたものだ。今は公開になった分、和やかになったようでもあるが、オオタ総匠が先生の『見立て日本』を使って、「ずらし」の編集の重要性を解説するためのクイズを出した際、3・11被災地の自動販売機を「村立て」としている頁に関して、今福さんが「これは皮肉ではないかと思うんです」と言ったとき、ぼくは一番良い意味で場が揺れたと感じた。総匠もどこか、そうした会話ができることが嬉しそうにしておられるようだった。
たしかに今福さんの言う通り、あの自販機を使うのは、かつてここに住んでいた人ではなくて、視察の役人や開発業者なのだ。被災地域の当事者からしてみれば、あれは資本全体主義植民地グローバル化の印でしかない。ぼくは今年の参院選の無所属連合の政見放送で、大西つねきさんが被災地に真っ先にパチンコ店ができたことを取り上げていたのを思い出した。千夜千冊にもこのように書いてある。
日本各地の「名所」はこうした見立てによって確定された。また「名物」もここに派生した。総じては、これが日本の「景色」というもので、実は「景気」というものなのである。とくに「景気」がたんに経済の景気のことではなく、このように各地の景物・名所・名物の勢いが寄せられてきたことを、看過すべきではない。
全国全世界の均質化を目指す自販機やパチンコ店や大型ショッピングモールは、名物や名所にはなり得ない。むしろそれらをひたすら次々と破壊していく。だからぼくはこうしたものが嫌いだ。先生は
このように本来の見立てには、神々の寄って来たる原郷を見立てる気持ちが必要だ。それは見立てによって、その場が本来の由緒にもとづいたものとして立ち上がるからだった。かつてはそれを「村立て」とも言った。また、そのために高いところからその候補地を眺めることを「国見」とも言った。見立てによって、その場が地鎮され、それゆえそこが「ふるまい」や「しつらえ」や「もてなし」の可能な場所となったのである。
…と、仰っている。先生の切ないくらいの日本への想いが詰まっているこの千夜は、ぼくにとって色々と影響を受けた大切な一夜である。
今回は「好き」といっても、そこにはそれぞれの深さやパターンがあることなど、普段は意識することのない感覚について思いをめぐらすことができた。自分の好きなものについて「ぼくはそれの何が、どのように好きなんだろう」と、じっくり考えてみるのが楽しかった。
本のれんのメンバーと同じくぼくも、例えばイチゴやコーヒーについてそれほど詳しいワケでも、こだわりがあるわけでもない。またぼくは俳句を作ったり、ブログを書いたりするが、そういうことがことさら「好き」なわけではなかったりするし、マンガを描いているけど、サブカルについては相変わらずほとんど何も知らない。
ただ、ぼくにとってマンガを描くことは「サブカルズする」ことなのだ。また、伝習座に馳せ参じたり、久しぶりに今夜のお話を読んで、あらためてぼくにとってマンガは「数寄」なものであり、奄美の里英吉さんの三味と同じように心が震えたり揺さぶられるものであって、最高の「遊び」であり「すさび」なのかもしれないと思うことができた。
さらわれてしまいたくなる秋の濤



