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一般システム思考入門

  • 執筆者の写真: Hisahito Terada
    Hisahito Terada
  • 2月26日
  • 読了時間: 6分



千夜千冊1230夜・読相篇、ジェラルド・ワインバーグさんの『一般システム思考入門』を読んで思い浮かんだことを書いています。



今月のほんのれんラジオは「読解力」がテーマなのだが、韓国で反日カルト統一教会が捜査されているにも関わらず、日本ではそのカルトを生み出した台湾の中華マフィア企業のオーダーによって日中戦争や、グローバリストによる日本分割統治を目論む自民維新売国政党が、不正選挙で捏造された結果をもとに、増税、移民増加、改憲やスパイ防止法を推し進めようとしているという事態を受けて、ぼくはこれからはその時その時の状況によって千夜千冊を選ぶことにした。まあ読相篇なので、なにかしら通じることがあるのではなかろうか。


不正選挙に関しては、ゆうこく連合の原口さんのこと、大阪府知事選に出た無所属連合の大西つねきさんのこと、さらに色々な人の話を聞いて、さらにピンときたのでもう一度整理してみたい。ぼくは要するに投票日前に出される結果予測が、不正の目標値なのだと思う。だからぼくらが見ているのは「予想通りの結果」ではなく「シナリオ通りの結果」なわけだ。


①マスコミが予測(=政府による目標値)を出す。

 ↓

②投票日当日、目標値に合わせて各地で不正が行われる。

 ↓

③予測という名の目標値通りの当確情報を出す。

 そうするとみんな「やっぱり予測が当たったな」と思い込む。

 ↓

④各地の不正が明らかになる。

 マスコミはこれをたいした問題では無いかのように印象操作したり、

 ほかの情報(国家イベント、事件、災害など)で国民の気をそらす。


というわけだ。イルミナティカードによる予言=計画とよく似ているように思う。「予言や予測があたっている」のではなく、これは戦争屋や政府がそういうふうにしたいという「目標」なのだと思われる。


これに対抗するためには、不正の証拠というエディトリアリティを、エプスタインファイル並みに積み上げアーカイブ化していったほうがいいように思う(すでに取り組んでいる方々もおられる)。関心を持ち続け、動向を追っていくことが大切になるだろう。色々なことが同時に起きているから、横目で見ながら、ほかの運動も展開しながら生きていく。


ぼくは今月、深田萌絵さんとジェイソン・ホーさん、パク・ボヨンさんらの開催する講演会「【BgiPlot】米技術者が語る エプスタインと盗まれた日本」へ行ってきた。メインはエプスタインファイルのことだが、不正選挙に関する裏話も聞けた。ただ情報によっては、一般人が公開するにはかなりの危険を伴うくらいのリスクがあるようなので、背景を知りたい方は講演会に行ったり、もっと詳しい話が聞ける深田さんの有料のチャンネルに登録されるとよいだろう。


ぼくはネットでも海外を中心にすでに広まっている(が、日本のマスコミは出さないであろう)内容部分をまとめてみた。書いていても吐き気がするが、成年後見人制度のことや、憲法改正にともなうであろう徴兵制、伊藤穣一とチームみらいの件も考慮するに、お年寄りや子供たちとその家族にはとくに気を付けてもらいたいし、世代に関係なく日本人全員にも、普通に暮らしてマスコミのニュースを見ているだけだと見えにくい危険が迫っているので、ぼくはこんな酷い状態を再編集しないワケにもいかないと考える。


さて、なぜぼくはこの千夜を選んだのかというと、ぼくは選挙の時に起きた「#ママ戦争とめてくるから」に、今までになかった、しかしとても方法日本らしい別様の可能性を感じていて、さらに不正選挙の後たまたま観たヒロユキさんと、マルクスを専門にされている斎藤幸平さんの対談に、なるほどとおもうところがあったからである。ぼくは今まで一度もこの二人の出しているメディアをまともに見たことがなかったので、正直この人たちのことをあまり知らないのだけれど、ヒロユキさんが「デモは手段なのだから、デモをやるなら目的を持って効率的にやったほうがいい」と言って、「政治家と企業献金まる分かりサイト」をつくるとか(?)、具体例を提示してくれていたのが参考になった。


これから多くの人が、戦争に向かったり監視社会をつくろうとする自維統一カルト政府の悪法や政策、改憲やスパイ防止法などに反対する政治運動をするようになるのではないかと思う。ぼくはその時一番効果的に成果を出すにはどういったことをしたらいいかということを、編集工学を使って考えられないだろうかと思ったのである。端的に言うと、編集学校の破コースで本格的に学ぶことができる「プランニング編集術」を使って、平和デモシステムをハイパーにできないかなぁと考えているのだ。ぼくはそういう妄想をして遊んでみたい。日本には日本らなではの、ダイモーンストレーションがあるのではないかと思うのだ。


今夜のお話は、一般システム思考(General Systems Thinking)とは何か、編集工学的なシステムとはどういうものかということがテーマとなっている。加えて実際にシステムを設計するための編集的な方法や型が紹介されている。


システムというと、何か機械的なものを想像する人が多いと思われる。ぼくも編集学校に入る前はそうだったが、ここでいうシステムとは機械のような固いものだけではなく、生命的なやわらかいもの、例えば卵焼きや学校や猫も扱う。この方法で誰もが自分の卵焼きシステムや、学校システムや、猫システムを考えることもできるのだ。


詳しくは本編を読んでもらうとして、ぼくは今月の14離企画会議の文巻読みが24日の夜で、システム思考を使ったある種のディスカッションのお題に差し掛かっていたので、この千夜を思い出すのに最適のタイミングだった。離を受講した当時は、まだ一介の学衆だったのもあってか、師範代になってあらためてこの千夜を読み返すと、今の日本の逼迫した状況とも相まって、セイゴオ先生が何を伝えようとされていたのかが、もっと鮮烈に、高速に響いてくる感じがする。


今回ぼくが特にハッとしたのは、編集工学とは、複雑な相互作用にとりくむことによって、システムの新たな局面に創発をもたらしていくものなのだということ。システムとは分析的方法ではなくて、構成的方法であり、仮説的に構成するもの、いわばアブダクションするものだということだ。そして今のぼくは、先生のこの確信に一番共鳴した。


 ただ、今夜の話が「システム」をめぐったからといって、これがぼくのシステム論のすべてだとは思わないでほしい。なぜなら、ぼくにとってのシステムとは、たとえば漢字システムであり、文化人類学や民俗学であり、芭蕉の俳諧そのものでもあって、もっともっとナイーブ・フィジカルで、ナイーブ、カルチュラルなものなのだ。
ぼくにとっては文化こそがシステムの対象となるべきもので、そこには比類ないフラジリティが作動すべきものなのである。

文明の奥に閃く春の雷


 
 

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