コミュニティ
- Hisahito Terada
- 2 日前
- 読了時間: 9分

千夜千冊1237夜・思構篇、ジグムント・バウマンさんの『コミュニティ』を読んで思い浮かんだことを書いています。
もう執筆が十数年も前のものであるにも関わらず、セイゴオ先生の千夜千冊を読んでいると、今のぼくたちのために書かれたのではないかと思いたくなることが度々ある。今夜のお話もそんな一夜だ。冒頭付近にこのようにある。
このギリシア神話が何をメッセージとしていたかは歴然としている。幸福や知識というものは、いま与えられている幸福や知識をそのままなむなむと享受していればいいんだ、それ以上のことを望めば諸君はリンゴの実を齧ったアダムとイヴになる。
これを今風に翻訳するとこのようになる。常識的な知識というものは、マスコミ経由の大本営発表だけをそのままなむなむと享受していればいいんだ、海外の、とくに中東やロシアや中国国民の出している情報を独自に解釈する諸君は非国民や中国のスパイと認定する。
そういう輩は国家情報局を使い、スパイ防止法で逮捕して多額の罰金を科すぞ、長期間拘留するぞ、その間に拷問してバレないように殺すぞということなのだ。
今月も激動の一カ月だった。トランプ(福音派)とネタニアフ(シオニスト)の起こしているハルマゲドンのためのイラン戦争で、世界中が混乱に陥れられ大迷惑をしている。陰謀論界隈では、ユダヤ教の第三神殿建設を予兆する赤い牛の出現に、ハマスが怒ってテロが起き出したという話があるが、『ネタニアフ調書』の概要や中東情勢から察するに、ネタニアフはハマスを利用してわざとテロを起こさせ、それを口実にパレスチナの虐殺を正当化している。全て彼ら自身の利権と覇権のためのプロパガンダなのだと思われる。ちなみに、一部の人々の見方によれば、ネタニアフやトランプもただの傀儡に過ぎないそうだ。「エプスタイン文書」からも分かるように、背後にはロスチャイルドなど王侯貴族がいて、パランティアやソフトバンクなどのAI企業を使い、ウクライナと同じく日本を、悪魔崇拝儀式のための人身売買臓器売買牧場にしようとしている。
日本では、壺市政権のホルムズ海峡自衛隊派遣をはじめとした、数々の対米追従売国政策に対し、国民が抵抗の声を上げる動きが日に日に増している。マスコミでは壺市政権の支持率は高いことになっているが、同一IPアドレスから投票できないシステムを採用している支持率調査では、支持率は10%以下を記録し続けている。自民統一教会は国民を黙らせて強引に自衛隊派遣や改憲をしようと、国家情報局設立、スパイ防止法制定(治安維持法)、成年後見人制度改正(国民の財産乗っ取り)などを急いでいる。JAも盗られた。全部グローバリスト案件だ。
現在、イランは日本の船舶通過を許可する用意があると言ってくれているのに、日本の外務大臣の椅子に座っている茂木某とかいう男がこれに応じず、壺市政権がイランと交渉しないため、日本は石油枯渇の危機にある。すでに医療品が不足し始めており、透析や手術への影響に対する懸念も広がっている。自民統一カルト政権は意図的に石油を枯渇させることで、自衛隊を海峡に派遣せざるを得ないように世論を誘導し、改憲に結び付けようとしているが、すでに国民はこの欺瞞に気づいている。
改憲して自衛隊派遣するという見方もあるが、ぼくは現行法を捻じ曲げるやり方で自衛隊を派遣し、その際アメリカあるいはイスラエル軍が自衛隊を攻撃して隊員を殺害して、それをイランによる攻撃と見せかける偽旗作戦をすることで、改憲へとつなげるのではないかと予測している。なぜそんなことを思いついたかというと、ぼくもいつも最悪のシナリオを想像しておいてドン底から考える癖があるからかもしれないが、イスラエルがエルサレムに第三神殿を建てるために、現在あるイスラム教徒の岩のドームのしたに爆弾を仕掛けていて、イランのミサイル攻撃によってドームが破壊されたように見せかけ、あの場所を占拠しようとしているという話を聞いたからでもである。ロスチャイルド国家イスラエルと、国防総省を戦争省にした今のアメリカなら、3・11を起こした奴らなら、日本を戦争に引きずり込み滅ぼそうとしている奴らなら、あり得ない話ではないと思う。もちろんぼくは、そういうことを”想定外”と言わせないためにワザと言っているだけで、そうならないように願っている。
今月の辺野古沖の転覆事件はそのテストだったのではなかろうか。つまり女子高生(本番は自衛隊員)が、沖縄辺野古沖(イランホルムズ海峡)で、沖縄の辺野古反対の活動家(イラン軍)のせいで死ぬ破目になった。さあ国民はどう反応するか?ということを観察するため、世論を誘導するために、女子高生を殺したということになる。ただし今回の辺野古のケースは、安倍暗殺茶番や地下鉄ジョーカー茶番と同じくフェイクニュース撮影の「情報だけ」で、実際はそんな事件自体存在しない可能性もあるのではないか。沖縄の基地活動家というのも、左派を悪者にして世論を誘導するための偽物である可能性が高いとぼくは見ている。これからはこのような認知戦が繰り返されるのだろう。
色々な人が言っていることを比較してみて、真実なんてものは分からなくても、こういう時に誰がどういうスタンスで騒いでいるかを観れば、その人間が反日統一教会自民党政府案件で動いているかどうかは、なんとなく分かるものなのだなと思った。
一連の流れから、在日二世なのかどうかまでは知らないが、ぼくも壺市首相は日本社会に恨みを持っていて、その怨念を統一教会に買われて出世したのではないかという気がしてきている。そう考えると、壺市首相の演技じみた態度や、口約束=嘘や、あからさまな対米従属は、全部統一教会の教義通りに日本人を貶め苦しめ、日本を滅ぼすための行動だと納得できる。これでは統一教会を利用してきたつもりの日本人自民党員も、欧州とのパイプがある麻生サンがいなくなれば国もろとも終わることになるだろう。
ぼくのイシス編集学校の仲間にも在日の人はいたが、その人はとても誠実な方だったし、ぼくは在日だからダメだとか、そういうことを言いたいのではない。在日でもその人が正直で、本当に日本社会を良くしてくれているならそれでいいのだが、壺市首相や自民党幹部のやっていることは、すでに外患誘致罪に相当する。
先週の14離企画会議は、国際―国内情勢も相まっていつもより踏み込んだ情報交換になった。危機感はまちまちではあるが、ともかくゆるくともつながれていることが大事だ。
危機感の強い人たちはもう、どうすれば生き延びられるかという段階になったと感じている。ぼくも自分一人ならアテがあることにはあるが、家族や、甥や姪たちの命を守るためにも、本気のコミュニティをつくるにはどうしたらいいのか考えたい。
今夜のお話でセイゴオ先生は、かつてはコミュニティとはゲマインシャフト(共同社会)のことだと思われていたのに、グローバリズムの蔓延と液状化に伴い、それがゲゼルシャフト(利益社会)のもとに組みこまれてしまった事情について詳しく解説をしてくださっている。
なぜ資本主義社会ではコミュニティが育たないのかというと、それは大衆と社会がコミュニティを嫌っているからなのだ…という衝撃的な内容である。ぼくは「大衆と社会」というよりは「国家と資本主義社会が」と言ったほうが今の事情により近くなるようにも感じる。
では、国家や社会は(そして金融機関やマスコミは)、コミュニティではない何を奨励するかといえば、成長しつづける企業を応援し、やたらにペグ・コミュニテなどに手を出さない学生を育てる学校を作らせ、めんどうな社会問題に関心などもたないでしっかり貯蓄を投資にまわす庶民になるように旗をふる(それが郵政民営化だった)。これが今日の日本の姿なのである。
また著者は、ミシェル・フーコー(545夜)が警鐘を鳴らした「パノプティコン型(監視型)の社会」は、いまや上からではなくて、市民自身からも要望されてしまっているではないかと指摘しているようだが、ぼくはそこには異論がある。海外の移民政策失敗例をよく見ている人々は、自維連立政府はわざと移民を大量に入れて治安を悪化させ「監視社会化を国民民自身が要望している」というふうに印象操作し、いざ改憲などの準備が出来たら、外国人ではなく、現政権に抵抗し環境や人権を守ろうとする国内の活動家を弾圧しようと目論んでいるのだと理解している。
色々心配事は多いが、ぼくは今夜のお話を通じて、今回の「#オタクによる反戦デモ」を解釈してみて、おもしろい現象に気づけた。まず、先生は21世紀の現在日本は、かなり多くの信頼と紐帯を「信用の代用品」や「紐帯の代理品」に任せてしまっていると仰っている。
自分自身が選んで参加した「判断力のコミュニティ」や「価値観のコミュニティ」など、どこを探しても見つからない。それに、信用や信頼の代用品や代理品を品揃えしてくれている機関のほうが、ずっと便利で、迅速だ。
ぼくはここを読んで、もともとのオタ活や推し活というのは、この「信用や紐帯の代理品」だったのではなかろうかと思った。例えば同じアニメやアイドルを好きになることで、お互いに連帯しているような感覚を味わえることはあるし、それ自体はゲゼルシャフト(利益社会)にとっても都合がいい。ところが「#オタクによる反戦運動」は、その代理からのまさかの、「判断力のコミュニティ」や「価値観のコミュニティ」への逆流だったのだ。
オタクかどうかに関わらず、ここには日本ならではの依り代感覚があるように思われる。色々な「代わり」を推してきた人々が、それらをただ消費するのではなく、その「形代」が継いできたモノ=霊、そこに移ろいながら宿り続けてきたモノに共振感応して「戦争で殺されるのも人を殺すのも嫌だ」「監視社会はごめんだ」「小児性犯罪や人身売買を放っておいてはいけない」「人権や生存権や表現の自由のある憲法を守りたい」という判断をして、それぞれ多様に何かを愛でたいというだけの、似たようなゆるやかな価値観のもと連帯したのである。
そうした動きが邪魔になったのか、角川の筆頭株主が香港系アクティビストファンド「オアシス マネジメント」になったことからも、利益社会がいかにコミュニティを潰したがっているかが透けて見える。
だからこれからはこうした文化的な連帯を、いかにして生きていくことと接続するか、経済圏へと編集していくか、リアル世界の足元とつなげ自立していくかが課題となってくるだろう。ぼくには先日の政経プラットフォームでの、深田萌絵さんと山本理顕さんのベネズエラのお話が参考になった。大統領が連れ去られたにも関わらず、今年のWBCで優勝したベネズエラの民度の高さから学ぶべきことは多い。また、noteの「並行図書館—Alzhacker」さんの出してくれている記事もかなり勉強になっている。
多分ぼくがやろうとしているのは、先生の仰っている「勘弁を本気でつないでいくこと」なのだ。出来は悪くとも、とにかくやるしかない状況になった。さらに、これからはもっと動かなくてはならないなと感じる。戦争屋が本気の“修練”や“再生”などはしてほしくないならば、それをこそやってみようではないか。
タンタロスの子らよ掲げよ春灯り



