会社はこれからどうなるのか
- Hisahito Terada
- 2026年1月1日
- 読了時間: 8分
更新日:1月5日

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
千夜千冊夜・交貨篇、岩井克人さんの『会社はこれからどうなるのか』を読んで思い浮かんだことを書いています。
師走にふさわしく、寒くて忙しい年末になった。12月の「ほんのれんラジオ」は会社がテーマだったのだが、メンバーのみなさんが振り返っているように、会社というよりは、働き方や資本主義についてもう一度問い直すような内容になっていた。とはいえ、みなさんが今までそれぞれ違ったスタイルで働いてこられているので、色々な立場から意見が述べられているのがいいなと感じた。
会社自体についてはアフタートークの桂大介さんの解説で、目から鱗がぽろぽろ落ち、会社のイメージがかなり変わったし、おかげで今夜のお話もアタマに入ってきやすかった。桂さんはぼくが編集学校の「離」コースを受講したときの右筆でもあり、大変お世話になった方である。ぼくら14離は昨年から文巻という離のテキストを共読しているのだが、当時の回答と指南を振り返ると、桂右筆はぼくの回答の背後にあるものを読み取り、ぼくが興味を持ったことに関しての考えが深まるような問いをやわらかく投げかけてくださっていた気がする。これが離の火元組の指南なのだなぁと思って、あらためて堪能している。
今夜の『会社はこれからどうなるのか』という本は『情報の歴史』にタイトルがそのまま載っているくらい出版当時注目されたらしい。その2003年は、りそな銀行に公的資金投入されるなど、銀行合併を筆頭に、業界優位の会社同士が合併し、変な名前や短命の会社や銀行が次々に生まれた。「失われた10年」という言葉が流行ったころだ。今や「失われた30年」と言われているが。
今夜のお話では、いわゆる「会社」を意味する「法人」の複雑な定義と、日本の会社の日本的経営の特色、日本の会社はこれからどのようにしていったらいいのかについて、著者である岩井克人さんの主張が、セイゴオ先生の見方入りでまとめられている。
それにさらにぼくの見方を入れて、ものすごく簡単にまとめると、会社=法人というのは、自分たちの資産を自分たちで動かせる権利を持つヒトっぽいところと、同時に株主に所有されているというモノっぽいところがある。日本の会社は本来はヒトっぽかったのだが、だんだん「日本的経営」を捨て、官僚・財界・マスコミ・政界に言われるがままに、会社をモノとして判定し売り買いする風潮に乗せられるようになっていった。著者は、日本の会社がグローバル化やIT金融市場幻想に踊らされていることを危惧し、アメリカ式の株主主権型の発想から次々に送り出されてくる一見おいしそうな多様性の波に揉まれることなく、日本が日本の会社像を自信をもって確立していくことを強く勧めるためにこの本を書いたのだという。
ぼくも、どの民族も経済行為をする以上はそれぞれの工夫を凝らしてきたのだから、会社という“しくみ”おいても、日本には日本の方法があったっていいはずなのだという先生の考えに賛成だ。深田萌絵さんのお勧めで最近観始めた「ねずみ」さんの動画では、日本は従業員重視の会社共同体型の特色をもって、ながらく資本主義社会を乗り切ってきたどころか、実はその日本的経営がアメリカの手法よりも上手く行ったために、それをよく思わないアメリカによってバブルによる低迷を日銀経由で「仕掛けられた」のだと解説されていた。バブル後のアメリカ型会社モノ化の流れと合わせて見ると、さもありなんという感じがする。
何か「会社ではたらくこと」について感想を言うとしたら、なぜ今の世の中は、お金になる仕事ほどつまらなかったり、自然破壊につながることばかりで、本当に世界の役に立つような仕事ほどボランティアだったり、ほとんど無償のような活動だったりするのだろうかということである。
例えば一昨年前、ぼくはある派遣会社に登録して、そこで別の大手派遣会社が自社の登録スタッフを募集しているという現実に口があんぐりあいてしまったというか、この派遣のための派遣とでもいうような仕組みは一体何なんだろうと思ったものだ。
また、例えばある人は、もうすぐ単純労働を全部ロボットがしてくれる未来がやってくると考えているようだが、深田さんの『光と影のTSMC誘致』を読んだぼくは、それだけの性能のロボットを大量生産し、それらを稼働するエネルギーを創出するのに、どれだけの資源を必要とするのか、どれだけの自然が破壊されるかを考えるとゾッとした。
しかしその人と同じく、ぼくも移民(留学生も技能実習生も全部)は即刻止めなければ、日本人や日本で平和的に暮らしている多くの人の命が危ないレベルになってきていると考えている。
というのも、今政府が行っているのは、はっきり言って労働力なんかではなく、東ティモールで行われていた「政策移民」なのだろうとぼくは思っているのだ。大量に外国人を入れることで、治安を悪化させたり文化を破壊したりして、その国を実質的に乗っ取るための移民なのである。
ぼくが九州の千夜千冊企画で選んだ、南風島渉さんの『いつかロロサエの森で』には、インドネシア政府は85年以降、東ティモール人女性に対して強制的に避妊処置を施していたと書いてあった。ホルモン剤の一種であるデポ・プロベラは発癌性や催奇形性、不正出血などの副作用があるため欧米では避妊薬としての使用を認められていない。しかしティモールでは目的も効果も説明されぬまま投与されたのだという。一方でインドネシア政府は10万とも15万ともいわれる政策移民を東ティモールに送り込んだ。人口比率の作為的な操作による、東ティモールのインドネシア化計画。それはまさに民族浄化政策そのものだった。
日本でも政府は子宮頸ガンワクチンが問題になったにも関わらず、最近また新たなワクチンビジネスを始めているし、外交面では有事を煽って日本を国際的に孤立させ、内政では実質的な永住権を持つ移民をさらに123万人入れるという。規模と国と細かな方策は違うが、これは同じジェノサイドなのである。ちなみに、今日本は海底資源を中華マフィアとアメリカ政府に搾取されそうになっているが、東ティモールの悲劇も地下資源目的で起きた。日本は当時自民党政府で、当然のように、インドネシア政府による虐殺に加担した。
ラジオのメインの部分に関して言えば、とくに今回は、ぼくはウメ子さんの話に自分の違和感や気持ちを代弁していただけたように感じるところが多かった。
ぼくも会社に正社員として就職したことが無いので、負い目をもっているというか、社会人失格みたいに思われているような、見られているような気がしながら生きている。しかもぼくは去年「生産性が低い」ためにクビになってからは、良く言えばフリーランス(?)なのかもしれないが、まだほとんどと言っていいほどお金を稼げていない。だから貯金を切り崩しながら暮らしている。貧乏なので節約生活をしているし、ぼくの親戚は正月みんなで集まっておせちを食べるのが恒例行事なのだが、ぼくは大人になってからは、甥や姪にお年玉をやることができないので、気まずくて一人で年末年始を過ごしてきた。最近は就職するにもスマホが無いと何かと不便なようだが、今のぼくにはスマホ代を払う余裕なんかないように思われる。なのでイシスの活動もお金のかからないようなことしかできなくて、なかなか申し訳ないものである。
しかし「働く」の意味を「稼ぐ」ことと限定せずに、もっと広くとらえるなら、ぼくも家事や庭仕事や畑の手伝いや猫の世話やゴミ拾いやブログを書くなどしていて、自分なりに色々と「働いている」のかもしれない。そういえば先月Oさんの畑の野菜をFさんの奥さんと一緒に袋詰めする作業はとても楽しかった。Oさんの自然栽培の野菜はエネルギーに満ちていて、触ってるだけで元気になれる感じがした。お金は貰わなかったけど、余った野菜をたくさん貰って幸せな気分で家へ帰った。
また、ぼくもウメ子さんと同じく職人的な気持ちでマンガをつくっているので、描くのは好きだが売るのがスゴく苦手だ。他人のことを紹介するのは、自分が本当にそれを好きだったり興味があれば楽しんで出来るが、自分のマンガを自分で宣伝するのはなかなか難しい。なにせまだ読者も一人なので何をどのように話したらいいのかも手探り状態である。(それにしても、Sさん、いつもありがとうございます!)
何とかしないと干上がるのかもしれないが、描くだけで手一杯という現状だ。誰かがぼくのマンガを、『L』を紹介してくれたらとてもありがたい。
今年はSさんに誘われたので九天玄氣組の企画に参加できたが、来年はどんな風にイシスと関わっていくのか、まだ全く分からない。でもほんのれんの他にもたくさんコンテンツが出ているので、全部は無理だが、できるだけ追いかけている。最近は田中優子学長の「酒上夕書斎」第七夕『江戸から見直す民主主義』の意外な攻めの姿勢に驚いたり、テラダイラさんが率いてセンセン隊が続けている「千夜千冊・絶筆篇」の1858夜、マシュー・サイドさんの『才能の科学』に泣けたりした。じつは絶筆篇が始まった当初は「絶筆」という響きが悲しくて、なかなか読めなかった。個人的な思いつきに過ぎないが、センセン隊のみなさんは遠慮されているのかもしれないが、ぼくはテラダイラさんたちは先生の火を継いでいるのだから、灯火篇なのではないかと思ったりしている。
主人公の少年を描く去年今年



