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千夜千冊1219夜・意表篇、心敬の『ささめごと・ひとりごと』を読んで思い浮かんだことを書いています。
ぼくのまわりには、トランプ大統領を救世主として信頼している人もいれば、彼もNWOのためのカウンターパートの役者の一人にすぎないと見る人もいる。また、彼のやることが良いふうに運ぶこともあれば、彼の行動の影響が日本にとっては良くないふうになることもありうると考える人もいる。ぼくはどの意見も参考にしているが、だからといって○×で判断できるようなことは無く、そうかもしれないし、そうでないかもしれないと思うことが多い。人は誰でも、何に出会うかによって変わりうるのだし、役者だろうと救世主だろうと、その人が本当に何を考えているかは、その人にしか分からないものだ。
ぼくはそれよりも、日本の不法移民問題や食の問題についての危機感がある。ぼくの知っている人の中にも、親御さんが畑を手放す人がいるようなので、ぼくはさとうみつろうさんが、そうした畑や古民家を募集して、農業をしたい人とマッチングしているのを知らせたらいいかもしれないと思ったが、その親御さんについての詳しい事情を知らないので、直接言うのは憚られた。
ぼくらはただ日本に生まれて生きているというだけで、重税を背負わされ、それが払えなければ先祖から受け継いだ土地や、自分や子や孫の命までも差し出さなければならない破目に陥れられている。今の日本では、ぼくらは為政者から馬鹿にされ、まるで奴隷みたいな状態にあるので、今回の千夜本編最後にある「心を殺す春」の歌に、ゾッとしながらも感じ入る人は多いかもしれない。
昼間日が差すと少し暖かく、ぼくの地元では梅が盛りだが、まだ夜や明け方になるとぐっと冷え込む。
今夜は「氷ばかり艶なるはなし」と言い切り、日本文化を新たな場所へ導いた心敬が主人公である。心経は寒々とした景色を「冷え寂び」と呼んで数々の歌にした。冷え寂びることがどうして艶なのか。セイゴオ先生は唐木順三さんの『無常』をキーブックに、その格別の面影を辿っている。
歌僧として、師(正徹)から無常を学んだ心経は師を喪った後、応仁の乱の激突が起こりそうな都を逃れ、寛正4年(1463)、故郷の紀州に帰ったものの、畠山の家督争いに心を乱されることとなりながら『ささめごと』を綴った。その後59で帰京して64歳で『ひとりごと』を述作したそうだ。
先生は64歳の誕生日の夜に、同い年で『ひとりごと』を書いた心敬のことがしきりに心に考えられたという。30年前、唐木順三さんの名著『無常』で、唐木さんが「飛花落葉」の心性を追うにあたって、心敬をその出発にしたこと、心敬が飛花落花こそ「此世の夢まぼろしの心」のよすがであり、そのよすがのために「ふるまひをやさしく、幽玄を心にとめよ」といったことが、僥倖とも言える先生と心敬との出会いとなったことが思い出されたそうだ。
唐木さんが注目した心敬の思想に先生が注目するという、注意のカーソルのリレーみたいになっているのがおもしろい。
たしかに氷や雪を想像してみると、「消へるものの直前」の、それでもなお消え残って残響している「にほひ」や「ひかり」にこそ艶があるように思う。一見雪は真っ白なのに、枯野は一面茶色なのに、その中に「豊」な「色」があると見て、さまざまなヴァリエーションの色をつくってきた日本人の感性の発端が、心敬の「冷え寂び」にあったのだ。
今の世の中は何でもあるようだけど、本当に必要なものほど、どんどん失われていってる感じがする。金儲けのためにつくられた余計なものばかりあって、結局それはいづれ全部が、地球にとって有害になるものばかりだ。反対に、母の子供の頃の話など聞いていると、昔は物質的には「ないもの」のほうが多かったけど、人が生きていく上で大切なものごとや、本当の意味での豊かさがあったし、それこそが今のぼくらにも必要なのだと感じる。きっと「ない」と「ある」とは合わせ鏡なのだ。
ぼくが『侍JOTO』を描いた最初の頃から過去の物語のあらましを想像していて、雪にしたのは先生と出会うずっと前だから、世の中のことをほとんど何も知らなかったぼくの中にも、何かの「負の芽生え」があって、あの一話目の場面に「何もない」という言葉が浮かんできたのだと思う。しかしそれが深まって、最後にああしたかたちで結晶化したのは、先生やイシスとの出会い、そして千夜千冊のおかげに他ならない。
今月から14離では、文巻の「響読」をする予定である。先生が先人から引き継いだ「面影を負をもって編集する」方法を、ぼくも継いでいきたい。
早春の風にささめくひとりごと