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千夜千冊1823夜、リチャード・ミコッドさんの『なぜオスとメスがあるのか』を読んで思い浮かんだことを書いています。
https://1000ya.isis.ne.jp/1823.html 今夜はホズミどの主催の \ 猫祭りニャ!! / ∧ ¶ ∧ (* ・ω・) /\ / つつ ● ) ⊂、 ノ \/ し′ 画像は狐の男女、まる吉先生は一応オス猫(という設定)だが、ぼくがリアルに飼った猫たちは二匹ともメスだった。両方とも避妊手術をしていたので子供は産んでいない。今にして思うと、猫の幸せという点から考えるとどうだったのだろう。二匹とも最後までぼくら家族と一緒だったけれど。 今夜は染色体のお話から始まり、遺伝子モデルをベースに、生命進化の歴史と仕組みを通して「なぜオスとメスがあるのか」について語られている。 ざっくり自分なりに要約してみると、オスとメスによる生殖は、遺伝情報を子孫へ伝達する際の、情報の「組み換え」と「異系交配」を両立させるためにあるようだ。「組み換え」はDNA分子の物理的な切断とそのうえでの再結合のプロセスだが、「異系交配」は先代の二つのそれぞれ異なった個体、母方と父方の系の両方が交配する。多様な背景を持つ異なる情報の流れの交差というと、編集学校のインタースコアのようである。 このような複雑な情報を編集して伝達するには、情報が増えすぎたりダブったりして、キメラのような生物にならないようにするための減数分裂(meiosis)が必要になってくる。配偶子(単一の生殖細胞)は減数分裂の過程で乗り換え(crossing over)を起こしている。生殖細胞内の核にあるDNAは、この乗り換えプロセスのあいだにRNAに編集されながら組み換えを起こすのだが、DNAという設計図にはスペアが無いため復元や修復が欠かせない。そのため「複製(replication)→修復(repair)→組み換え(recombination)」を行きつ戻りつしながら生命情報は伝達されていく。この修復のためのサブシステムとして「性」=オスとメスがあるということらしい。 「性」がそんなに「ついで」とか「どさくさ」的なものだというのは意外だったが、全体の感想としてはスッキリしたようなしないような妙な気分だ。ワケが分からない気もするのに、同時に果たして生命とはこんなふうに製品のようにツルツル単純に出来ているものなのかと疑問にも思った。ぼくだけでなく先生も、染色体のことについても、なぜ性があるかについても、遺伝子発現でおこなわれていることは転写と翻訳だけなのかについても「それだけなのか」と思っておられるようなので、まだまだ未知の世界が広がっているのだ。分からないことがたくさんあると分かっているほうが、分かった気になってゲノム編集だの放射線照射育種だの、無責任な実験や事業を勝手にやるよりマシだし、生命に対して真摯になれると思う。
世界には「DNAは(単なるモデルであって)存在しない」と言う科学者も何人かいるので、興味本位で「DNAは見えるのか」探して見たら、ミミズが部分的に光っているような画像と、ロープ状に引き伸ばされた染色体の画像はあった。研究者たちは「この中にDNAの二重螺旋がある」と言っているが、デイビッド・マーティンの言っているように「コイル」にも見える。彼の考えるように染色体はアンテナであって、同時に設計図(DNA)を持っているということなのだろうか。だとすれば、もしかしたら宇宙からの信号をアンテナで受信することで編集可能な設計図なのかもしれない。
ぼくが他に聞いたことがあるのは、染色体(またあるいはその中にあるとされるDNA)は、電磁波などによって損傷するということ。そして特定の周波数の波動によって修復するということだ。それらしき周波数の音楽はネットでも聞けるが、Tさんによると本物の川のせせらぎや波の音、木の葉の揺れる音や鳥のさえずりや、生の人間の歌声には敵わないらしい。電気を通すと波動の効能は減るのだ。だからぼくは最近、自然を慈しみ大切にする仏教や神道こそ世界最先端の科学なのではなかろうかと思っている。 それにしても、子どもが興奮してその日あったことを全部親に話すように、最近あったことを全部ブログに書いたら結構とんでもないことになるもんなんだなぁと思ったものだがまぁ仕方ない。 性懲りもなく最近のことを話すと、連休は友達のお店で写仏体験をした。講師の方は自作の仏像画を着物の生地を使って表装するというスタイルを編み出していた。色彩の取り合わせがとても良い。日本では仏像というとあまり色のイメージが無いので新たな風を感じた。ぼくは他にも仏像画を描く女性を一人知っているし(その人の絵はモノトーンに近いが、独特のダイナミックさと柔らかさを纏っている)、何やら日本の令和仏ブームは静かに信仰とアート感覚と民芸品的なものとの融合へ向かっているようで興味深い。 今月からは四歩八歩教室の師範代のお話を受けて、短期間のイシスの仕事をすることになった。他に、先日までは千夜千冊エディション『源氏と漱石』の響読会レポートをつくっていた。ぼくはエディションシリーズを買う&読むのがすっかり遅れていて、なんとかしなくてはと思っていたのだ。 今回の読書会は14離のzoom女将が発表者だという縁もあって、ぼくはこの機会に追いつけないかなぁという単純な動機で参加したのだが、人数の関係なのか、オオト冊匠からレポートをつくるよう指名を受けてしまい、驚き焦って、みなさんの発表と感想がことごとくウロ覚えになってしまった。冊匠と女将の助けが無ければとても書けなかっただろう。12離の先輩離学衆Kさんが何冊もの原本や関連本を読んで、火中ばりのコンパイルをしてくださったことも大きい。きっとエディションの最後にある11の問いがKさんに火をつけたのだ。問いをもって読み進めることで、ぼくにも今描いているマンガと交差するような発見があり、セイゴオ先生からのいくつかのメッセージを受け取ることが出来たように感じている。 いつか「破」の師範代をしたいと思ってはいるが、その前に『侍JOTO』を書き上げ、先生に届けることがぼくの望みだ。しかし急ごうとする時に限ってこうも色々な事が起きるのは、宇宙がタイミングをはかっているからのような気がする。 親父は好転反応→スッキリ→無茶→悪化→自然療法→好転反応を行きつ戻りつしている。抗癌剤を飲んだり投与していたときより調子は上向きだが、いかんせん本人が長年のマスコミの洗脳によって「薬を飲まなければ悪くなる」と思い込んでいて、降圧剤に、便をやわらかくする薬という名の下剤に、痛み止めにと、毎日5つも薬を飲んでいる。+タバコは吸う+「タンパク質は毎日必ず取らなければならない」と思っていて+「朝はパンとヨーグルト」というマイルールは相変わらずなので、自然療法の効果は相殺しているか、半減しているのではないかと思う。それでも母は食事に気を遣い、身体にいい草を摘んでお茶を淹れたりと、できる範囲内で努力している。 政治はメチャクチャで首相を名乗る男はテレビ首ショーでしかない、マスコミはアメリカの銀行の破綻もウクライナ戦争が完全に終わっていることも、児童虐待虐殺の軍産カルトが日本を最後の砦にしようとしていることも、憲法を守ろうと二万五千人もの人々が集まったことも伝えない。日本は明治以来ずっと欧米による傀儡政府と売国奴に支配されており、今も在日米軍と日米合同委員会の軍事力と恐喝によって動いている奴隷国家だ。 もし日本が彼らの金と権力による支配から解放されたならば、日本人はもっと自由にそれぞれの才能を発揮して、自然と調和しながら生きる古来の智慧を世界中の人々と共有し、地球の再生ために貢献できるだろう。ただ、今は植民地の片隅にへばりつくようにして、ちっぽけなぼくたち家族は、ぼくたちは日々をなんとか生きている。 蕗を煮て欠けたる互いおぎなへり