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アレゴリー

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 

新年あけましておめでとうございます。


 千夜千冊1813夜、アンガス・フレッチャーさんの『アレゴリー ある象徴的モードの理論』を読んで思い浮かんだことを書いています。

 今年もイシス編集学校から年賀状をいただいた。物語編集講座にお誘いいただいたのを応じれなかったのに、Kさんからあたたかいメッセージが添えられていて嬉しい。ウサギが乗った波の行方が編集のプロセスになっているカッコイイ一枚なのだが、波は早来迎の雲のカタチでもあり、林頭とデザイナーHさんの試行錯誤、リバースエンジニアリングが効いているなぁと思う。達磨みたいにウサギに目を入れたくなっているのはワザとかなぁ。画卯点睛てしまったなぁ。  遠くにいて当期ではないぼくから見ても、年末の先生は忙しく飛び回り大活躍だった。ぼくとしては近江アルスにも、年末の「本どこ屋」にも心惹かれ、ああ東京などに住んでいたら、もっといろいろな行事に参加できるだろうにと思ったものの仕方ない。  ぼくの年末は、27日に14離の2022年最後の企画会議があった。「10分de千夜」は最近「しりとり千夜」に変わり、『河原者のススメ』『明六社の人びと』『都鄙門答』と続いて、その日は206夜、二葉亭四迷の『浮雲』についてNさんが発表した。演劇に詳しいNさんは「ついつい四迷を主人公に脚本を書くような視点で」調べてしまったと言っていたが、Nさんの仕立てが功を奏して、”中学校高校の国語便覧(資料集)に載っているおじさん二葉亭四迷”が、大河ドラマの主人公ばりにロマン溢れる憂国の士に感じられておもしろかった。  その日は離の火元組の別番も参加されていて、元武臨院の別番からはタブローやモーラ(網羅)について「ははーっ」と頭をたれたくなるようなお話を楽しく聞いた。曳瞬院の別番からは後日、次回句会をしないかという風流な提案があった。ぼくは別番の「昨日は”あの場に私が貢献できること”を考えながらzoomを観ていました。」という言葉を聞いて、花伝所での学びを思い出した。離の火中は、火元は守破の師範代や師範とは全く別のロールに見えていたのだけれど、新米の師範代も火元も根底にあるものは同じなのだと気づくことが出来た。  大晦日2022年から2023への年越しの千夜千冊は、アンガス・フレッチャーの『アレゴリー』となった。  先生はアレゴリー(寓意)という用語が、美術史の抽斗(ひきだし)で古い色鉛筆セットのようにくすぶって、過小評価のまま放置されているのだと喩えている。ぼくもマンガがすっかりデジタル化した現代において、いまだにマンガのカラーの絵も、ベースを色鉛筆で塗っている。著者によるとアレゴリーはあらゆる発想や思考の媒介になっている「方法の秘密」を担っているのだという。ぼくも色鉛筆やシャーペンや墨汁など、アナログ文具を使って描くことには奥深い秘密があるのだと、先生の『外は、良寛』で知ったところなので奇遇に感じる。  今夜のお話によると、ほとんどの人がヴァニタス(vanitas)という寓意画が、16~17世紀にかけて流行ったときの影響を今も引きずっており、絵の中の人物があらわす特徴を持ち物や衣裳や置物によって暗示するアトリビュート(attribute)をアレゴリーそのものだと思い過ぎているようである。  セイゴオ先生は、本来のアレゴリーとはコンティンジェンシー(別様の可能性)の切り札であり、モードの行方を握っている母なる方法なのだという。詳しくは千夜本編で5つに分類された説明から特徴を読み取るのがよさそうだ。さらに先生は「アレゴリーを編集やアナロジカル・シンキングと言い換えるとよい」というお年玉をくださっている。編集のことなのか!と思うと嬉しくて勇気が湧くのは、きっとぼくだけではないはずだ。  お年玉をそろりそろりと取り出すと、アレゴリー/編集はダイモーン(daemon)的であり、比喩や見立てとしての価値も備えている…とある。編集学校ではお馴染みの「ミメロギア」をするのが恰好の練習になる。ダイモーンは型に、チはカタチに宿ってこそ動き出すのだ。

 さらに冒険するなら「コスモス(世界観)そのもののアレゴリー」を探求することになる。意識してはいなかったけれど、田中泯さんの舞台にぼくが見出そうとしたのはアレゴリーだったのだろうか。今度の14離の集まりでも、お題としてそういったことをする。  

 アレゴリー/編集の本質はインプットとアウトプットを区別せず、メディアをまたぐことによってパワーを増していく。先生のとっておきは、生命の大進化の各局面では「改変されつつあるエピジェネティクスを読みとるアレゴリー」がはたらいていたのではないかという見方だ。「読む」とは「アレゴリー/編集を読むこと」。年迎え読んナンボの幕が開く、なのである。  さて今年はどうしようか。色々思うことはあるのだけれど、何にどれだけチカラをそそぐかという塩梅が難しい。しかし30日のラジオ番組で、ヤマザキマリさんが悩むことを全力肯定していたのを思い出すと元氣が出そうだ。マンガを描き、友達の活動や、イシスに関われることがあればしてみたい。それからその通りになった夢の意味を追おう。 おおいなる風に鳶や乗初る

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