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千夜千冊1780夜、アントワーヌ・フェーヴルさんの「エゾテリスム思想ー西洋隠秘学の系譜ー」を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1780.html 「離」を受講するまでは、ぼくにもミステリーと言えば推理ドラマで、オカルトと言えば「怪しい系・ヤバイ系・キモい系・グロい系」の宝庫だと思っていました。そのくせ占いやスピリチュアルは大好き。実のところほとんどの日本人はそうなのではないかと思います。 今夜のお話はセイゴオ先生が本書を通じて、世間で一緒くたになっている「神秘主義的なもの」は哲学や文学などと同様に、それなりに違いがあるんだよということ。ただその違いの分け方が、他の思想とは異なることを説明しています。 神秘主義のことをギリシア語ではミスティーク(Mystik)、英語ではミスティシズム(mysticism)といい、神秘主義思想のことをフランス語ではエゾテリスム(ésotérisme)、英語ではエソテリシズム(esotericism)といいます。 「エゾテリスム」にはいろいろな別名があります。秘教、ミスティシズム、魔術、秘密主義、神秘主義、オカルティズム、隠秘哲学、秘儀、秘密主義、心霊主義、タントリズム、神智学、汎知学、自然魔法主義、スピリチュアリズム、異端思想などはみんな「エゾテリスム」の別名なのですね。ぼくが驚いたのは、密教も“Esoteric Buddhism”と言われ、神秘主義やオカルトの仲間と分類されていたことです。こういうことを知ると物事を見る目が変わるように思います。 ラテン語の世界には「エクソテリック」(公教・公開・世俗)に対し、これを離れる「エソテリック」(秘教・秘伝・奥義)という方法がありました。うなぎ屋さんにも秘伝のタレがあるように、広げるのではなく伏せ、見せるのではなく隠すわけです。そういうことの中身が西洋思想ではミスティシズム(mysticism)やオカルティズム(occultism)となっていきました。 だったら用語を統一したらいいのですが、みんな「自分たちの言い方」を作りたかったんでしょうかね。しかし注目すべきはちがいではなく、共通点です。それは「非合理なことがとても気になる」ことだと先生は仰います。 非合理(irrational)というのは「理屈では説明がつかない」ということです。対して合理とは理性的で論理的な一貫性の成立を求めます。ところが人生経験ではいくらでも合理的に説明できないことが起こります。しかしぼくらは長じるにつれて合理の社会に巻きこまれていきます。 宗教や神秘主義とは、じつはこの社会が求める合理に反旗をひるがしてきたのです。ただしだからこそ、理屈では説明が難しい。ぼくも自分の不思議体験については、感じたことをそのまま話すしかなくなってしまいます。しかし先生は、非合理は合理の成立にも含まれていると言います。 たしかに悪い意味では、都市開発のための木の伐採も、合理的な意義や根拠は全くないので、「技術発展開発=正しい未来・人類の幸福」だという、宗教のようなものだと思います。非合理が、良い意味で合理的な共感を呼ぶものをつくるには、生命・歴史・文化への敬意と、かなりの編集センスが要りそうな気がします。 非合理的なことが気になるというのは、合理では説明がつかない現象が大事に感じられ、そのことをめぐる話に入りたいと思うことです。それこそがエゾテリスムの共通力なのですね。 本書によるとエゾテリスムには6つの特徴があるそうです。それぞれ詳しくは千夜千冊本編がおもしろいので、そちらをご覧いただくとして、ぼくは要約と自分が感じたことを書いていきます。 ①「コレスポンダンス(照応)の実感」とは、見える世界であれ見えない世界であれ、象徴と現実のあいだには照応関係があるとみなすこと。星占いがまさにコレスポンダンスでしょうか。ぼくはあの世の具合とこの世の出来事は、鏡像的に照応しているのではないかと思います。 オカルト(occult)が「隠されていること一般」を意味し、その反対にコレスポンダンスが「隠されて見えなくなった関係に新たに気づくこと」を意味するという対応関係にあるという説明になるほどと思いました。 オカルト=「隠されていること一般」 ↑ ↓ コレスポンダンス=「隠されて見えなくなった関係に新たに気づくこと」 ②エゾテリスムは「生きている自然との共振性」を謳い、自然にも物質にも「活力」のようなものがあるとみなしました。東洋人にとっては「氣」のことでしょうか。 また千夜千冊本編でご解説のように、たしかにスピリチュアル系は「宗教や考え方は人それぞれだけど、おおもとはひとつ」などという言説があるので一元論的な唯心論かもしれないとぼくも思います。ただスピリチュアルにも、ぼくのようにテキトーでゆる~い人間もいれば、ご自身の独自の世界観を明確にしている人もいるようです。ぼくは多神教と一神教と二元論がホワホワ同時に存在しているような世界観です。 ③「想像力と結びつく媒体性」。コレスポンダンスの実感には、たいていお守りなどの儀礼道具や仲介霊といった、特定の道具や媒体がつきものです。ぼくはフーチを使いますが、正式なお高いものではなく何でもいいので、今は貰いものの中尊寺のお守りに紐をつけて少し長くしただけのものを使って「守護霊さんとお喋り」しています。環境や集中力によって「つながり具合」も変わってきます。 神秘主義に媒体がかかわるのは、そもそも媒体、すなわちメディウム(メディア)という言葉が「霊媒性」を意味していたことからも明らかです。メディアのルーツにはシャーマン(shaman)のトランス体験があったのだと思われています。つまり人類に芽生えた想像力は、初期の人類のマジカルな体験によって生じたのではないかというのです。そのほうがおもしろそうだから、ぼくもそう思いたいです。 アンリ・コルバンは「想像的世界」(ムンドゥス・イマギナリス)をめぐる概念のシソーラスを調べ、「想像」や「想像力」(imagination)という言葉がもともと磁気(magnet)、魔術(magia)、イメージ(imago)と近い言葉であることを示しました。 想像力と磁気がつながっているというのに驚きましたが、いつもコロナ詐欺と5G関連情報でお世話になっているブロガーさんの記事で、人間の細胞核にある染色体は常磁性体で、巻かれたヘリコイル状の導電性物質であり、アンテナである可能性が高いというお話がありました。 ですからつまり、ワクチンを接種して人工的な異物であるグラフェン(磁気物)が体内に入ると、想像力の源泉である宇宙からのあらゆる叡智の伝達が途切れてしまうそうです。それどころかワクチンに含まれるグラフェンが触媒となって、同じくワクチンに入っているナノプロセッサーが5Gに反応し、思考をコントロールされたり、EMP電磁パルス攻撃によって殺されるかもしれません。 ④「忘れがたい変成体験」とは意識の奥で何かが変わっていったと感じることです。英語ではアルタード・ステート(alterd state of consciousness)といいます。ジョン・C・リリーのアイソレーション・タンクが有名ですが、ぼくは普通に寝てて、ある日突然守護霊さんたちのはからいでそういう体験をしてから、不思議世界の扉を開くことになってしまいました。だからプラトンやルドルフ・オットーの言ったことがなんとなく分かるような気がします。 アルタード・ステートはその体験者に「変容」(トランスフォーメション)、「変成」(トランスミューテーション)、「変身」(メタモルフォーズ)をおこすようです。ぼくの体験はこの世の時間感覚からだと5分程度ですが、様々な時間や空間に飛び、ものすごい情報量の経験をしている感じがしました。先生に直にお会いする機会がありましたら、その時のお話をしたいなぁなどと夢想することがあります。 アルタード・ステートは幽体離脱というか、異なる次元での体験っぽいですね。しかし現在のぼくがしばしば体験していることは、もっと普通の状態のまま、日常空間が別の空間と重なっている感じです。 トランス体験は境界に入ること全般なのかなと思いました。神懸かりやポゼッション(憑依 possession)は、霊を肉体の次元に呼んで霊体同士が重なっている状態でしょうか。そのときに引きあう「周波数のちがい」というものがあって、その人の波動が悪いと悪霊に囚われちゃうなんて話があります。 先生が仰るように、意識や言葉づかいがAからBに、CからXに切り替わっていくトランジション(transition)がアルタード・ステートの鍵を握っているなら、マンガなどのキャラクターの意識や言葉づかいをなぞり学ぶ(まねぶ)ことは「呼ぶ」ことなのではないかと思います。 ⑤「コンコルダンス(和協)を実践すること」について。神秘学では、教主や教祖や祭主がつくったテキストの言葉の並び方に、隠された意図や意義を見いだしていくことをコンコルダンスと言います。アナグラムや文字に数字をふりあて吉凶の計算値をいいあてるのもコンコルダンスです。姓名判断が分かりやすい例えですが、エゾテリスムではこれがとんでもなく緻密になったり、こじつけのようになったりします。 世界を支配している連中は、ユダヤ教カバラである「ゲマトリア」を使っているのですね。彼らは単語の綴り字に数価をもうけて計算し、その単語が聖なる数を秘めているかどうか、またそのレベルがどの階位のものかを重視し、数秘術で日時を決めて阪神淡路大震災、9・11同時多発テロ、3・11東日本大震災などを起こしたのだとぼくは考えています。イルミナティ・カードとして広まっています。 ⑥神秘と秘儀の多くは密かに伝授されるものなので、そのための教義やテキスト(経典)や祈りや行動規範がさまざまに工夫されました。伝授の入口や節目には「イニシエーション」(initiation)、入会儀式あるいは通過儀礼があります。エゾテリスムはこのイニシエーションで独特の約束事を設けました。 一方、どこかに行けば導師(グル)のような専門家がいて、その指導や暗示に従えば何か大事なことが受信できるだろうとも思われてきました。護符、持仏、教本、ユニフォームなどが売られたりすることも少なくありません。ぼくはご利益グッズは買わないし、おみくじや占いにお金を使うこともありません。 電磁波対策としてTさんから色々と買ったり貰ったりしていますが(かなり貰ってる量の方が多いです!)、Tさんはお客さんを囲い込んだり自分から宣伝をすることは一切無く、むしろ最近はお仕事が忙しすぎるので、Tさんと社会情勢に対する理解を共有できない方はお断りしているそうです。 どちらにしても万物との照応関係に興味を持ち、非合理的な世界との調和をしたいという思いが、エゾテリスム(神秘主義)を強力に形成してきたのですね。そこにアルタードステートに過敏な人々が惹かれ、その人々のあいだに通過儀礼を設け、それぞれが変容をめざしてきたのです。 神秘主義研究者の間では「世界の秘教にはほぼ同一の普遍的エゾテリスムがある」という考え方と、「エゾテリスムはあくまで西洋が生み出したものだ」という考え方があるようです。本書のフェーヴルは「普遍的エゾテリスム」なんてありえないとして、後者の説を推しています。 現在起こっているコロナ詐欺に始まるマスク・消毒・検査・ワクチンによって進められる超管理社会化の問題は、「オカルトと関係しているから悪い」のではなく、権力者が自分たちの偏狭な世界観からはじまった牽強付会な変容を、洗脳によって、そんなことを望まない人々や子供たちにまで強制している点にあると思います。
自分たちの世界観が普遍なものであるとして押しつけたいのでしょうか。信じるのは勝手ですが、全くイケてない世界観の強引な布教活動は迷惑千万、軍事技術を使った気象操作や人体実験、そして人身売買は、犯罪であり人権侵害であり、神々と生命に対する冒涜です。 さて、どんな神秘主義の潮流や流派であれ「ウニオ・ミスティカ」(unio mistica)を大事にしてきました。ウニオ・ミスティカとは、超常的なるものや絶対者との合一、もしくは接近を重視することをいいます。 ぼくも最初不思議体験をした直後から何年間かは、そういったことばかりを色々追い求めていたのですが、最近は絶対的なものより、辞書で調べていた語句が最初に開いたページにあって目に飛び込んできたとか、電車の中に迷い込んだトンボを見知らぬおばちゃんと協力して外に逃がしてやったこととか、現実の世界で偶然おこった些細なことのほうがおもしろく感じます。 しかし神秘主義では、格別にスーパーナチュラルな体験の見聞を集めたり、その体験に及んだいきさつを示しておくことが、現代のぼくらが気になるブログやめぼしいユーチューブを集めているのと同じように重視されました。 「グノーシス」(Gnosis)や「ヘルメス文書」(Hermetica)も、薔薇十字団や弥勒信仰も、そういった見聞を引き寄せ、組み合わせていく編集術によって生まれていったのです。特にバロックは、マクロコスモスとミクロコスモスのコレスポンダンスを積極的に意図した時代でした。
なるほどそれでセイゴオ先生はバロックがお好き(?)なのでしょうか。ぼくもそういうことが分かるとバロックへの興味が増します。 …1706年にヘルメス選集がドイツ語訳されると、イリュミニスム(=イルミネーショニズム)の時代がやってきます。天啓主義です。…という部分を読んで「これがイルミナティの発端なのか?」と思いました。どうやらそんな感じがします。 しかし現状を見る限り、ぼくはスウェデンボルクやウィリアム・ブレイクの思想や方法に問題があったのではなく、彼らの思想を引き継いだと見られる現在のイルミナティのしていることが、ホリスティックな視点が無いために自然科学的に欠陥だらけの上、金儲けのために動いているために倫理的にも著しく破綻しているのだと思います。 イリュミニスムとロマン主義の波及自体は、「未知なるもの」に対する関心に広がりを与え、そのことをもっと啓蒙したい(もっと他人に知らせたい)という思いにつながっていきました。きっとぼくの想いもそう変わりません。ぼくは世界各国の民族文化の奥には、何か共通のものがあるような気がしています。 ただぼくの抱いている期待とは、普遍的なものや絶対的なものではなく「部分的に重なっている何か」があるのではないかということです。 今夜のお話でぼくもようやくエゾテリスムの特徴が少しは掴めたかなと思います。先生の仰る通り、これらはまだま巷では十分に理解されないまま解釈されているのですね。 別の機会に案内されるとう東洋の神秘主義を楽しみにしています。 コレスポンダンスに蜻蛉翅ひろげ