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千夜千冊1847夜、ライマン・フランク・ボーム『オズの魔法使い』を読んで思い浮かんだことを書いています。
『カンタ!ティモール』自主上映会は「大惨寺」ならぬ「大惨寺田」となってしまった。とにかく、まあ人が来なかった(笑)…と笑っている場合ではないが、こんなに来ないとおもしろすぎて、ついつい思い出し笑いしてしまう。宣伝不足などの反省をしたり、ゴールデンウィーク始めの、雨の午前中だったことなど、原因を探すとキリがないのだけれど、済んだことは済んだこと。自分が失敗した、結果が出なかった、だから何だというのだろう。3人に1人が命を落とすような軍事侵略に抵抗し続けた東ティモールの人々の苦労に比べたら、こんなの屁でもない。
それにたった一人だけ、身内以外の若い女性が来てくれて、その人が涙を流してくれたのだから、(手伝ってくれた友人や家族も感動してくれたのだし)映画自体が、良い作品であることは確かなのだ。しかもその女性が自分もこの作品を友達に紹介したい、上映会を開きたいと思ってくださった。ひょっとしたらこの人にバトンを渡すのが、ぼくの今回の役割だったのかもしれない。
セイゴオ先生が千夜千冊をいつまで続けられるかわからないということは、ぼくもいつまで先生と、この不思議なやりとりが続けられるのかわからないということだ。先生はともかく、ぼくにそんなに創発が起きているものなのかは不明だが、とにかく一夜一夜が、かけがえがない。
そんな貴重な夜なのだが『オズの魔法使い』というと、ぼくはつい、ネット上で社会の動向を分析していた、カレイドスコープというサイトを思い出してしまう。そのサイトの主の言葉は辛辣ではあるのだが、社会の動向はおおよそ彼が何年も前から分析していた通りになってきているようにも見える。
彼によると『オズの魔法使い』のエメラルド・シティは、スマートシティやスーパーシティ(グローバル・エリートといわれる世界支配層につながる者たちが監視資本主義を実現するための実験都市)を表しているという。
ぼくは『オズの魔法使い』の、原作自体は、別にキリスト教やユダヤ教などの特定の伝統的宗教を否定しているワケではないと考える。ボームはオズ(偽の魔法使い)やエメラルド・シティ=スマートシティを完全無欠のユートピアとして描いたりはしていない。虚栄に満ちた場所として、そんなところにいてはいけないと言っているのだ。だからオズの大王は、ある特定の宗教の神というよりは、見せかけの権威や権力を代表しているんだろうと思う。
それにたとえエメラルド・シティがルシファーの国で、オズが反キリスト・ルシファーの代理人だとしても、結局ドロシーはエメラルド・シティから脱し、故郷へと帰るのだから、伝統的な共同体や素朴な暮らしを否定しているとは言えない。だからカレイドスコープさんの読み方は、ある面においてはなるほどと思う所もあるのだが、全体としては言いたいことが少々ズレていたりねじ曲がっているように感じる(しかし人間の思考とは、ねじ曲がってたりズレたりしているものなのだから、それが悪いと批判したいわけでもない)。
ディズニー映画版は、シンボルばかり強調したことで、原作が伝えたいメッセージや、「不足」の連携などの物語の魅力が目減りしてしまったのではないだろうか。先生の仰っているように、少女のちゃぶ台返しの痛快さを削ってしまったのも勿体ない。
二次制作の問題と言うと、ぼくは映画の『ロード・オブ・ザ・リング』に当時かなりハマったのだけれど、終盤の火口のシーンの変更だけは、個人的に納得がいかなかった。だからというワケではないのだが、ぼくもいつか自分なりに定めた、ある世界を舞台にしたファンタジーを作ってみたいと思っている。だけど『指輪物語』だけをモデルにするのでは広がりが無いので、もっと色々な本を読んだほうがいい気がしていたのだ。今夜のドロシー・セイゴオ先生からのおみやげは、ぼくにとっても、とっておきの贈り物となった。
こんな行き当たりばったり感満載のぼくの表現人生も、かなり「まにあわせ」あるいは「ありあわせ」なのかもしれない。ボームみたいに晩年は庭のガーデンチェアで(ぼくの場合は縁側に腰かけて)マンガを描けたらなんて良いだろう…と思うが、こんな世の中では、まだまだそんなに悠長にばかりもしていられない。
佐藤優さんのAIDAオープンは、そんな”今”を捉えていて刺激的だった。ぼくがAIがアテにならないと思う理由は単に、AIにはAIの開発者がいて、開発者にはスポンサーがいるわけだから、その開発者が作ったAIはスポンサーに都合の悪い情報は出さないと考えるからなのだが、佐藤優さんは少し違うルートから、なぜAIばかりをアテにしてはいけないかを実例をもって指摘した。
また編集学校がこれからどうなっていったらいいかというヒント、ダブルバインドや名づけの効果など、編集のヒントもたくさんいただけた。特に驚いたのは、探求したいテーマについて逆回転させて考えるという方法だ。これは凄い。普通の人はあんな風には考えない。だけどこっちのほうが絶対に早く掴めるだろう。
『カンタ!ティモール』について思考を逆回転させると、ぼくは「途上国支援・近代化・民主化」と称して、グローバル資本主義に参加することが発展なのだという考えを押し付けること自体が、ティモールの文化や暮らしを見下している偽善であるように思える。
未来のために自然との共生を考えるならば、むしろぼくらのほうが、彼らの大切にしてきた、目に見えぬものを感じ取り、大地を敬う暮らしから学ばなければならないのではなかろうか。
来月は14離の仲間のアネモネ忌である。金子兜太さんの『美しい季語の花』によると、アネモネの語源は「風」を意味するギリシャ語のアネモスからきているらしい。「アニマ臨風教室」の師範代だったぼくは、何やらWさんとのつながりを発掘できたように感じた。
やっぱりもっと人を巻き込んで、誰かと一緒にやらなくちゃいけないのだろう。それが今回の学びだった。不足上等。ドロシー・テラダも、今回の上映会のために用意した言葉を置きみやげにしておこう。
・.。*☆
ひょんなことから自主上映会をすることになりました、寺田悠人と申します。ぼくは普段はバイトしながらマンガなどを描いています。数年前から、イシス編集学校というネット上の学校に通い、編集術を学んでいまして、そこで師範代という役割を経験しました。
昨年からイシス編集学校では、《EDEX-編集工学・社会実装プロジェクト》が始まり、そこでの仲間から「カンタ!ティモール」の自主上映会をしようと思っている…という話を聞き、ぼくもやってみようと思ったのが、今回の上映会のキッカケとなりました。
EDEXは「社会実装プロジェクト」の名の通り、編集学校で学んだ編集術を使って、社会の課題に取り組むことを目的としています。ぼくたちはそのための基本方針として、「生命に学ぶ、歴史を展く、文化に遊ぶ」という言葉を掲げています。『カンタ!ティモール』についてのさまざまな記事を読むほどに、広田奈津子監督やその周囲の人々と、ぼくらが目指している方向には、相通じるテーマがあるように思われました。
それは平和とか、人間以外の存在も含めた生命や、祖先が紡いできた自然と共に生きる方法を伝える歴史を大切にしながら、文化によって人生を豊かにしていくことです。
ぼくはEDEXにおいて、最初は農業をしている友達の活動を手助けしようと思ったのですが、住んでいる場所が離れていることから、まず自分の地元で出来ることを探すことにしました。自分が主催となって一からイベントをするのは、ほぼ初めてと言っていいのですが、映画を通じて、集まってくださった方々と何かお話が出来たら嬉しいです。やがてはティモールの人々のように、自分たちにとって大切なことを、自分の地域でも話し合えるようになるといいなと願っています。
『カンタ!ティモール』のスタッフさんより、今から上映する映画のDVDとともに映画に登場するアレックスさんからのメッセージが載ったポストカードが1枚だけ同封されてきました。監督からぜひ彼のメッセージをみなさまに聞いてほしいとのご希望がありましたので、上映のエンディングの後、読み上げたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。
☆。.
みなさま、いかがだったでしょうか。では監督より授かった、アレックスさんからのメッセージを読みたいと思います。
・.。*☆
自分たちの仲間が
10人にしか見えなくて
対するものが大きくて
巨大で1000人にも見えても
あなたのやろうとしていることが
命に沿ったもの
命が喜ぶことであれば
亡くなった人たちも
これから生まれてくる人たちも
ついていってくれるから
それは1000どころじゃないから
絶対に大丈夫だから
恐れずに続けてください
仕事の途中で命を失うかもしれないけれども
それでも大丈夫だから続けてください
心細くなった時は
自分たちのことを思い出してほしい
自分たちは小さかった
「あの巨大な軍を撤退させる
ということができたら奇跡だ」
と笑われた闘いでした
でも最後にはその軍も撤退しました
これは夢でも幻想でもなく
現実に起きたことで
目に見えない力が
僕らを助けてくれたから
どうか信じて
あなたの道を進んでください
☆。.
今この会場に集まっている人の中には、なぜ彼がこのように言っているのか、ピンと来ない方もいるかもしれません。学校の歴史でははっきりとは習いませんが、日本は戦後から現在も実質的に在日米軍や日米合同委員会を中心とした軍産複合体に支配されており、政治的にも経済的にも欧米諸国に逆らえない状態にあります。そうなった経緯については、ジョン・ダワーさんの『転換期の日本へ』という本や、イシス編集学校の松岡正剛さんのご本に、現状については秋嶋亮さんの本に詳しく書かれています。天然資源を奪うために、日本とアメリカが一緒になって、東ティモールを攻撃するインドネシア軍に軍事支援をしたのも、今の日本が抱える様々な問題にも、欧米各国と日本の軍産複合体(軍部、産業、金融、学会のエリートや巨大企業が自己の極大化を目指す集合体)というものが深く絡んでいます。
たとえば映画の中に出てきました、ティモールの女性たちに危険な避妊薬を投与した「国際家族計画センター」という組織を支援していた財団をはじめとするグローバリストと呼ばれる人々は、その後世界中で嘘のパンデミックを起こし、ワクチンで人を殺したり、人工的に災害を起こしたり、農地を買い取って、そこでゲノム編集や遺伝子組み換え食品を作り、食を支配することで地球の人口を思い通りにコントロールしようとしています。
ぼくたちが何も学ばず、何も抵抗しないで諦めていると、いつの間にか日本の水資源や山などの土地が売られ、地域のお祭りなども滅びてしまいます。増税はされるのに福祉のお金はどんどん削られて、未来の世代は生きていくこと自体が困難になってしまいます。
だからぼくたち自身が、今からでも行動し、自分たちの暮らしや文化を守っていくために、未来のためにともに闘いましょう…とアレックスさんは言っているのですね。
さぁ、せっかくこんな映画を観たのに、普通の映画みたいに「面白かった、感動した」で終わってしまうと勿体ないですよね(笑)。人間がモノゴトを記憶に残すにはどうしたらいいかを調べた方によると、
❶書いて覚える …と 5%
❷書かれた物を読む …と 10%
❸音声で聞く …と 20%
❹写真や動画を見る…と 30%
❺実物を見学する …と 50%
❻ワークで体験 …と 70%
❼「発信」する …と 99%
…というふうに、誰かに「発信」するのが一番の方法なのだそうです。ですので、ぜひチケットにありますコードからアンケートにアクセスし、今日感じたことを書いてください。またブログやSNSがある人は、そこから発信したり、もしよかったらみなさんも上映会をやってみてください。
ぼくは今後さらにこの福岡から、地域を編集するための活動をしていきたいと考えています。もしよかったら今日集まってくださったみなさんともご一緒に何か出来たら嬉しいです。そのときはどうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
アネモネや風に吹かれて咲く勇気