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翻訳できない世界のことば

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada



 千夜千冊1844夜、エラ・フランシス・サンダースさんの『翻訳できない世界のことば』を読んで思い浮かんだことを書いています。

 

 

やっぱりイシス編集学校の感門之盟は最高だ。卒業式でも入学式でもないけれど、確かな門出と出遊の門がそこにはあって、Zoom越しでも、ばたいてゆく鳥たちの鼓動が聞こえてくる。

 

 今期はアニマ臨風教室の学衆だったアニまるズが師範代になって、初めての「守」の教室登番を無事果たした。さらにぼくが学衆時代の「破」から同期の友人が、物語講座の師範代を務めたし、14離の仲間も今期登番したり、来期初の「破」登番をするので、ぼくは感門団というボランティアスタッフになって、Zoomのチャットからでも、お祝いのメッセージを届けようと思ったのだ。


 一日目はバイトだったので駆け付けて、遅ればせのメッセージ送信となった。アニまるズがすっかりイシスの一員になって、周囲のみなさんから愛されているのが伝わってきて嬉しい。まる吉先生も回遊魚めいた『 Edit Tide 』ロゴ入りボックス忍び込み、感門之盟にちゃっかり足跡を残してきた。


 今回は準備段階、イシス女神とも言える方の不在があって、なにかぼくたち全員がリアルな試練に遭遇していて、感門が関門にもなっているようだった。でも当日は、縁のあるみなが、その方の存在を感じながら過ごしていたのではなかろうかと思う。誰もが、どんな小さなことも次の編集につなげていこうと、手を、言葉を動かしていた。

 

― 言葉は発する者と受ける者とのあいだを動いているものなのである。

 

 今夜のお話は世界の言葉のおもしろさもさることながら、ぼくは先生の言葉にまつわる言葉の数々に、ずっと頷きっぱなしだった。

 

― 誰にだっていつのまにか失った場所というものがあるのだけれど、たいていは「そこ」は口外したくない。それでもそこへいつか「帰りなん、いざ」(帰去来)と思っている。

 

― そういう言葉はあまりに大切なので…安易に放てば散ったままになりそうな感覚体験ゆえにそっと千代紙の反故にくるんで、どこかに仕舞われてしまうのである。

 

 こうした千夜千冊に遭遇する度、ぼくはもっと、日本語を勉強しなくてはなぁと思う。勉強が足りないので、人と話をするときに「その場ではふさわしい言葉が思いつかないこともあるわけで、そのくせあとになって、『ああ、あれはこういうことだったのか』とふいに合点することも少なくない」どころか、しまったと冷や汗をかくことがしょっちゅうなのである。

 

 そんなぼくから見ると、イシス編集学校の花伝所の中村花目付は、言葉の達人と言ってもいいのだが、さらなる高みおられる先生との対談では「トレップヴェルテル」(TREPVERTER)が起こったりしたのだろうか。

 ぼくは感門之盟2日目のクライマックスと言えるお二人の対談の最中にやってしまった。

 いつも誰とでも、しなやかで自在に話される花目付が、先生から「ここでしか聞けない話」を引き出すのに苦戦されているように見受けられ、思わず画面の前で「中村師範、がんばれ!」と声が出てしまった(ミュートしてるから聞こえはしないけど)。また、チャットに何か書こうとしてしまったが(や、もう師範やなくて花目付やし)(や、てゆーか、がんばれって何を?)(というか、ぼくがこのタイミングで応援するのは変やろ)などと思っているうちに間違って「。」だけ打ってしまった。「。」ってなんやねん…。

 

 しかしぼくはその対談で、先生が言ったことがその場で起きたのを見た。セイゴオ先生は「誰かとコラボレーションするとき、自分ではなく相手が場に関与している事ごと(表現として)アウトプットしたい」と仰った。今回はその相手が中村花目付だったのだ。先生のおかげで、ぼくは以前よりもっと花目付が人間として魅力的な人物に感じられた。ぼくに特に何かができるという訳では無いが、花目付が花伝所の要として活躍されるよう、盛り立てて応援したいという気持ちになった。それがあの「。」としてこぼれ出たのかもしれない。

 

 それにしても凄い対談だった。どこかから14離の企画が伝わっているのか、中村花目付はメトリック(価値や意味の尺度)について、先生と話そうとされていた。Oさんはお金を水に例えていたが、先生はたしか、『資本主義問題』のエディションに入っている千夜の中で、お金は言葉に似ていると言っていた。一方で先生はずっと「分類可能な尺度や社会に阿(おも)ねた目盛からできるだけ言葉を自在なところへ運んで」きたという。ぼくは今夜のお話を読んでさらに、ぼくたちも資本主義に阿ることのない、小さな共同体による経済実験のようなものができないだろうかと思った。

 

 ぼくは自分が先生のように「意味の伝承」や「新しい意味の出現」に人生を費やしているとは思っていなかったが、「伝えたい」「描きたい」と思って色々な表現をしてきた。それはきっと意味を伝えたいということだし、ぼく自身が色々な表現の組み合わせによる新たな意味を見つけたいのだろう。一言でいえば、ぼくは編集的自由に遊びたいのだ。

 

 ただ、世の中では嫌なことばかりが続いている。スマートメーターが設置されてから、救急車のサイレンがさらに増えた。電磁波に詳しい人の話によると、スマートメーターや5Gの遠隔検針端末自体に害があるわけではなくて、 家屋のブレーカーボックスに接続されていると、家屋全体に張り巡らされた配線やコンセントが電子レンジのように電磁波ブーストされ、生活している人の毛細血管や神経系に重大な障害を発生させるそうだ。ワクチン接種で体内にグラフェンがある人々が重大な被害を受けているのだろう。

 爆撃や人工地震や開発で多くの故郷が破壊され、人々が殺され、困窮している。東ティーモールやハワイ、日本などの環太平洋地域の場合、土地のほかに海洋資源を狙われているのだと考えられる。昨今は表立った軍事作戦となると非難が高まるので、グローバリストはワクチンや指向性兵器を使い、言論統制をし、マイナンバーと預金口座を勝手に紐づけることで、完全な管理社会化を実現しようとしている。

 

 だからぼくも遊ぶと言っても、ただ何かを消費するのではなくて、みんなそれぞれその人にしかできない役割があるように、何かを全うしたい。

 その一つが『カンタ!ティモール』の上映会だと思うことにした。監督らが使用を許可してくださっている画像を使ってチラシを作った。一文字間違えた。校正って大事だ。周囲の人々に配ると、まあまあ反応が良いので、なんとか開催できるのではないかという気がしてきた。ネームに目途がつき、マンガの原稿描きも始まる。

 アニまるズも来期からは、それぞれの新たな旅に出る。また会える日への望みを抱いて、エディター・シップは情報の海へと漕ぎ出した。

 

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