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ネグリとハートの『帝国』がちっとも読み進められないので、右筆のアドバイスを思い出し、『コモンウェルス』に替えてみた。これならなんとか行けそうだ。合間にシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を挿むと、背筋がまっすぐになる気がする。表面をなぞると重苦しいのに、一つひとつの意味を考えながら辿ると雲間から光が射すように感じる不思議な本だ。
現代では医療業界自体がヒエラルキー経済支配の構造に組み込まれているので、普通に普通の医学の勉強をした、善良な医師がコロナ詐欺を知らない。ぼくにはお世話になっている、かかりつけのお医者さんがいるが、彼らもそのような、ごくまじめな人たちだ。
WHOや厚生労働省や内閣、そしてグローバルエリートの連中のしていることは殺人であると同時に、彼ら現場の医師や看護師を人殺しにする行為でもあるのだと思うと、腹が立ってしまうことがある。現場のお医者さんたちは悪人ではない。一番の問題はやはり金儲けシステムだ。
気づいている医師もいるし、気づきだした医師も増えている。一緒に勉強をした仲間の医師にも知ってほしいと思う。ただコロナが詐欺だということを医師自身が納得してくれたからといって、その医師が周囲にどうやって説明していくか、あるいは説得するか。「ワクチンを打ってください」と頼んでくるお年寄りをどうやって救ったらいいかとなると、さらに大変だろう。
そこで勝手に想像してみよう。
たとえばお医者さんは、同僚と「ワクチン副反応に関する勉強会」を開き、そこで動画などを使って情報を共有するのがよいのではないかと思う。お年寄りには専門家の会話よりもとっつきやすく編集されたも動画や、図解・図説を入り口にするという手もある。
ぼくの場合、伝える相手によって伝え方を変える。男というのは「他人からあからさまに言われる前に自分が知っておきたい生き物」なので、友達には「たまには海外情報も見た方がいいよ」というサラッとした何気ない感じでUSRを渡した。一方バイト先で一緒に働いている中高年の女性のパートさんには、あえて「ぼくは陰謀論が好きなんです」というキャラクターで通して、おもしろおかしく話しつつ、注意すべきところはしっかり伝えようと心がけている。
話すにしても動画を見ただけで、すぐにその内容を覚えて話せるわけではない。また「動画を見てください」というだけでは、なかなか人は実際に「見る」という行為までいかない。こちらがある程度「説明できる」「興味をもってもらえるように話す」必要がある。
科学的な固有名詞を押さえ、その相互関係を把握しておくこと。話す順序などをアタマのなかでシュミレーションしておくことが大切だ。言い換えると「キーワードを説明できるようになること」シュミレーションとは「あらかじめひとりで想像してみること」、つまりは練習だ。
一番大きく、一番どっちに転ぶか予測がつかないのが、イルミナティカード(犯行予告)通りのことが起きるかどうかである。
オリンピック前後もしくは期間中に、大停電・人工地震テロ・銀座飛行機墜落があるのではないかというシナリオがある。
時期や実際の場所にはズレがあるかもしれないし、本当に起こるかどうかもわからない。あまりにもバレバレなので、ダサすぎて計画を変えてくるのではないかという気もする。その時期にその場所に近づかない、飛行機に乗らない、なるべく多くに人に伝える以外に何ができるだろうか。そのときは3・11の時に学んだ自分たちのナマの経験を活かすしかない。
コロナに対し訴訟を起こすという動きがあるが、厳しく考えると、今の日本は最高裁判事の人事が内閣に握られているから勝つことはできないだろうと思う。テレビなどの大手メディアも無視するか、ごく一部の動きとして扱うだろうから、訴訟をすることが気づいてない人に危険を知らせるのにどれほど効果があるだろうか。
二項対立に陥れば、金と権力を持つほうが勝つのは分かりきったことだ。胴元も、ルールを作っているのも支配層なのだから。
同じエネルギーをかけるなら、ぼくなら大きなところを動かすより、小さな身の周りから動かしていく方法を考えたほうが良いと思う。地道で見えにくいだろう。しかしそもそも一人ひとりがどう感じて生きているかを、マスメディアや大衆に承認される必要など無い。ネグリとハートは近代性と反近代性の二項対立に対して「別の近代性」(オルター・モダニティ)を提唱した。搾取に対しての批判は依然として必要だが、同時に新たな編成配置を創出し、実践的な社会組織の様式を提起していかなくてはならないというのだ。こんなふうに言うとムツカシイが、地(分母)をパーマカルチャーにすれば、図(分子)は今の金儲けシステムから離れて生きていくための実践的な試みを、仲間とやっていかなくてはならないということなのだろう。地を編集学校にすれば、図は「別様の可能性」の社会化だ。
今週ふと思ったのだけど、そんなに何か「開発」したいなら「製品」じゃなく、これからは資源消費せずに生きる「方法」の開発をすべきなのではなかろうか。
悲壮感漂うものには人は参加しにくいし疲れてしまうので、深刻な出来事だからこそ、おもしろく楽しくやるということが実は大切だとも思う。
連帯する人数を圧倒的に増やすことである。マスクを外せなくてもワクチンを拒否できる人を。マスクを堂々と外せる人を。 そして安心できる場を作っていく。それが先に生きる者のツトメだと思う。