カオスの紡ぐ夢の中で
- Hisahito Terada
- 2024年1月8日
- 読了時間: 8分
更新日:2024年1月15日

千夜千冊1840夜、金子邦彦さんの『カオスの紡ぐ夢の中で』を読んで思い浮かんだことを書いています。
あわただしく仕事始めとなりました。
アメリカではエプスタインとともに、組織的小児性犯罪の首謀者としてクリントンが並べられ、ついにグローバリストによる世界規模の児童誘拐及び人身売買や臓器売買が明らかになりそうな気配がしていますが、日本ではそれを覆い隠し、さらに日本に米国債を売らせないようにする脅しとして、人工地震に飛行機事故と、人々を苦しめ不安に陥れようとする攻撃が続いています。被害を受けた側はたまったものではないです。
支援をするのなら、どこぞの名ばかりの団体ではなく、被災地に縁のある、信頼できる人に直に託すのが一番確実なのではないかと思います。ぼくはイシスで義援金を集め現地の師範や師範代を通じて活用してもらえたら一番だと思うのですが。
昨年のISIS FESTA スペシャル『情報の歴史21』当日は、Zoomのつながりが悪くて、話がかなり飛び飛びになってしまったので、記録を送っていただけて助かりました。Zoomのつながりがにくくなったのは、5Gの周波数帯が変わってからのような気がします。使い難くてしかもさらに健康に悪い。今年も初詣では、こんな悲惨な奴隷社会状態が変わること、誰もが本当の意味で生きることのできる世界の到来を願いました。
鈴木健さんの考えた伝番委任投票システムについたは、複雑で多様な政治を実現する方法として有効なのではないかという可能性を感じました。ただ生体情報を用いて投票できるということでとりあげられているBMI=ブレーンマシーンインターフェイス(7・1・8)p157や、ナノテクノロジーが開く細胞のインターネット(7・4)p176を可能にする技術とは、今のワクチンに含まれている、脂質ナノ粒子内の酸化グラフェンやセンサー(ID2020など)のことではないのかと感じました。
『なめらかな社会とその敵』が書かれたのは10年前ですし、先の講演会で鈴木さん自身は、BMIを「極端な例」として、現在の加速主義に懸念を表明されていたので、2013年時点では、まさか将来こんなことになるとはと思っておられなかったのではないかと思います。
ぼくの見知った情報の限りでは、DAPPAやビル&メリンダ・ゲイツ財団など軍産複合体、国際金融資本は、この”夢の技術”の人体実験と人口削減、管理社会実現のためにパンデミックを画策し、世界中で多くの人々を殺しました。
鈴木さんはアメリカ現地を車で旅され、色々な話を聞かれたのだからコロナワクチンのことは既に知っているのではないかと思ったのですが、立場上そうしたことが言い難かったのか、一連の出来事の関係性について、結び付けて考えてはいないのか、現時点ではぼくからはよく分かりませんでした。
トランプに関しては、ぼくの周囲では2021年の国会議事堂事件は、民主党(バイデン=DS)側によるやらせだったという見方のほうが多いです。普通のデモのはずが、トランプ支持の過激派を装った工作員が、ホワイトハウスの警備(?)と結託して事件を撮影したと言われています。日本の偽安部首相暗殺・岸田襲撃詐欺やハロウィンのジョーカー詐欺と同じような陳腐なマジックショーのようでしたが、向こうは映画の技術と予算(植民地から搾取した資金力)があるので、マスメディアによる世論印象操作にも慣れているのではないでしょうか。鈴木さんが実際に行ったトランプの就任式の現場がニュースと違っていたのと同じように、メディアなんて見せたい側が何をどう切り取ってどう編集するかによって、いくらでもどのようにでもなるのではないでしょうか。だとするとアメリカの分断を演出しているのも、日本を溶解させているのも、現在の政治・官僚組織と巨大企業とマスコミであるとも言えます。
Xのコミュニティノートは、ぼくの周囲の方々にとっては、コミュニティノートは政府や大企業に都合の悪い言論を統制するのためのツールでしかないようです。ですからぼくなどは、コミュニティノートがついているものほど、政府にとって広がると都合が悪い隠したい情報なのかなという逆の見方をすることもあり、そういう意味では機能しています。中には何じゃこりゃ、と首をひねりたくなるものもありますが。アメリカ及び世界中の一般の人々は、左右の対立にうんざりしているというよりも、彼らの支配や征服にうんざりしているのではないかと思います。
あと一つ、何の関係もないかもしれませんが、「あとがき」の最後に「2012年9月マウイ島キヘイにて」とあって、びっくりしてしまいました。マウイ島は指向性兵器による人工的な火災があり、先日の能登と同じく、グローバリストが跡地を買い叩いてスマートシティーを作ろうと画策していることで有名です。もともと米国のデキャルブ・ジェネティックス社およびモンサント社の育種センターや、マウイ研究技術パークがあり、そこにAMOS(Air Force Maui Optical and Supercomputing)の高速計算センター、太平洋災害センターがあるので、ご専門から計算センターにご予定があったのではないかと思うのですが、どういった仕事でマウイ島にいらしていたのかな。計算センターや災害センターは、何を研究していたのでしょうかね。
今夜のお話では、金子邦彦さんの『カオスの紡ぐ夢の中で』に、「ある分野の学者が他の分野の研究思想がわからないなどということはありえない」と書いてあることが紹介してあり、ぼくとしては意外だったのですが、その通りとすると『なめ敵』にはDAPPAのことなどもチラホラ出てくるので、鈴木さんが何をどこまで知っておられたのか気になるところです。
次世代のリーダーの一人とされていたグレタ・トゥンベリさんは、ドラマチックに偶然個人的な活動が有名になって世界的に注目されたのではなく、最初から原発や再エネ推進のために、グローバリストによってプロデュースされた広告塔だったようですが、ぼくとしては鈴木さんや、落合陽一さんのような方は、才能があるゆえに、ご本人の気づかないうちに、軍産複合体に都合のいいテクノクラート専制主義を、大衆に浸透させるためのリーダーとして、彼らに利用されている面があるのではないかと考えています。
ぼくはテクノロジーそれ自体によって政治が良くなったり、世の中の課題が解決するとは思いません。そこに出入りする人、関わっている人、ひとり一人が、何かに気づき何かを学び、行動や選択を変えていくことでしか、世界は変わらない気がしています。
正月明けにTさんのところで、波動による診断と治療を同時進行する機械による施術をしてもらいました。原因はやはり電磁波と、+ワクチン接種者からのシュディングの影響が大きいと言われ、ぼくは今までシュディングには注目していなかったのですが、考えさせられました。一時的にとても身体が軽くなって驚いたのですが、Tさんはこれはあくまで対処療法で、病気を治すには根本的な生活状況を改善しないといけないし、薬や機械に依存させることを仕事にしてはいけないと言っておられました。そうした点においてぼくはTさんを信頼しています。
実のところパソコンを長時間することもあまり良くないらしく、本当に耳鳴りと頭痛を治そうと思ったら、電磁波の無い(届きにくい・少ない)ような、鉄塔やタワーから遠い、自然の多い場所に引っ越したり、仕事を変えたほうがいいそうです。何もかも万事順調なら、それこそ友達の近くに引っ越して地域編集をしてみたいですが、昨年父が亡くなったばかりで、母を一人置いていくのか、この家のことをどうしたらいいのかと悩みます。
今夜のお話は、非線形の物理学や生物物理学の研究者、金子邦彦さんのエッセイが取り上げられ、金子さんの天才ぶりと、生命のカオスを解き明かすための方法が紹介されています。
生命の構造を代用するというと、鈴木さんのお話の中では、生物的な「核・膜・網」を用いて『情報の歴史』を読むという試みが一番おもしろかったです。これはシステム思考の型として、色々なものを分析するのに役立ちそうです。
一方で今夜のお話でセイゴオ先生が仰っている、金子さんと津田一郎さんの「構成的アプローチ」「多対多の関係論」「記述の持つ不安定性」の特徴は、とくに世界編集においての極意とも言えるのではないかと思います。
例えば、第一回目のEDEXのディスカッションをでは、ぼくは多様な分野の人がそれぞれ課題を抱えているけれど、同時に編集的な方法も持っているため、それを自分の課題に転用できる可能性がでてきたところが面白かったのですが、そういうふうに互いを参照するうちに、既存のロールから新たにできること、つまりは役割が派生することが「多対多の関係論」の第一歩になるのではないかと思いました。
ぼくはカオスというものを研究して、何かに活かしたいとまでは思わないのですが、今のぼくはいわゆるカオス(混乱)状態と言えるかもしれません。色々な健康法や治療法を試したり、生き方をどうしたらいいかあれこれ考える様は、自分がどうしようもない状態になった意味を求め、カオス渦巻く海の中へ、小さな舟を進めていくようなもののように思います。
所長より知らされたSさんの詳しい状態、年末の講座の最後に先生のお姿を拝見し、みなさまへ向けて放たれた「切っ先を見たい」とのお言葉を受けて、ぼくは自分に課せられた課題の本質に当たる、有限の命というものについて考えさせられました。
とにかく今自分にできることを、やれることをぜんぶやろうという気持ちです。マンガを描き、ブログを書き、日本の別様の可能性を統合するための礎となる「EDEX-編集工学・社会実装プロジェクト」においても、今のぼくなりにできることをがんばろうと思います。
吐く息の白く凍って冬椿
冬椿今日という日を生きること