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千夜千冊1775夜、ハンス・ヨナスさんの『グノーシスの宗教』を読んで思い浮かんだことを書いています。
この本を翻訳した亡き秋山さと子さん曰く、セイゴオ先生は「グノーシスっぽい」らしい。ぼくはグノーシスについて、その名称を聞いたことはあっても、ファンタジーゲーム関係の人がグノーシスに詳しいらしいということぐらいしか知らなかったので、セイゴオ先生とグノーシスの取り合わせに最初はピンと来なかった。
著者のハンス・ヨナスによると、グノーシスの思想はギリシア哲学やキリスト教と異なる「反宇宙的な二元論」なのだという。
アンチコスモスと言われると少しウキウキする。ただ、先生が二元論をはっきり好きではないと言うのに対し、ぼくは二元論も一元論も好きでも嫌いでも無いが、守護霊さんたちをいつも「天使さん」と呼んでいるせいか、また「悪魔」と呼ばれるものを見たこともあるせいか、そういう「二元的な世界が存在する」ことを知っている。
陰謀論とスピリチュアル系が両方好きな人の中には、自分たちは「光の勢力」というのに属していると考えていて、彼らからすると、ビル・ゲイツとかNWO(新世界秩序)を作りたがっている金持ちのエリート連中は「闇の勢力」らしい。ぼくは自分はアンチ・NWOなのだろうとは思うのだが、自分が「光の勢力です」とは、なんだかこっ恥ずかしくて言ってられない感じがする。
また他方では、いやいやビル・ゲイツは悪魔崇拝者(サタニスト)で、悪魔というのは堕天使(ルシフェル)で、ルシフェルはもともと「光をもたらす者」という意味を持つのだから、光のなんとかなんて言ってるスピ系こそ、「引き寄せの法則」などで、無自覚のうちに悪を呼び寄せ、無尽蔵の欲望に囚われてしまっているんだというご意見もある。
しかしそもそも本書によると、グノーシス(グノーシス主義の思想)は、ギリシア的でキリスト教的な世界観の宇宙(コスモス)そのものを拒否しているのだ。しかもただ拒否しているだけではなく、ギリシア的でキリスト教的な世界観の裏側にまわってしまっているようなのだと先生は解説する。
この部分、正確には先生(ヨナスさん)は「ギリシア的でキリスト教的な宇宙がつくりだした世界を…」と仰っているのだが、ぼくは自分が理解しやすくするためにちょっと言い換えてみた。
先生の見方:ギリシア的でキリスト教的な「宇宙」がつくりだした「世界」
↓ ↓
ぼくの見方:ギリシア的でキリスト教的な「世界観」がつくりだした「宇宙」
…というふうに。
「世界観」とは物事の「見方」のことだから、ヘレニズム時代に誕生したグノーシス(グノーシス主義の思想)は、ギリシア的でキリスト教的な見方による世界観や宇宙(コスモス)の概念を拒否したようなのだ。つまりその当時のグローバルでメインストリームな常識に対し「そんなもん知るか」と言ったようなもんだ。え?グノーシスってそんなにロックなんですか?そんな風に言われると、なるほどセイゴオ先生がグノーシスっぽいというの、とても分かる気がします…。
ただぼくの場合、「世界」というとイシス編集学校の「世界読書奥義」などを指すときに言うような、多元的で大きな「世界=宇宙」というイメージが強いため、そのままだとどうも言葉の意味が入ってこない。
そこでヨナスさんの解説に、今日的なぼくの気分を勝手に加えてみよう。
「グノーシスの神性は絶対的に超世界的であり、【ぼくらが今直面している】世界とまったく本質を異にしている。その神性は【グレートリセットによって新たな】世界を創造せず、またそれを支配することもない。神性は【生産性を追い求めて搾取と破壊を続ける】世界と完全に対立する。【NWO(新世界秩序)の目指す持続可能な開発】は闇の領域であり、自己充足的で遠く離れた神的な光の領域の対極にある。【5Gなどの技術革新によって人間までもが商品化・奴隷化した】世界は下位の諸権力の所産であり、体系によってこれらの諸権力が間接的に神から由来することもあるが、かれらは真の神を知らず、自分たちの支配する世界のなかで【真の】神が【人々に】知られることを妨害する。これらの下位の諸権力すなわちアルコーン(支配者)の発生、および一般に神の外なる存在の秩序(そこには世界も含まれる)の発生は、グノーシス的思弁の中心主題のひとつである。」
ぼくは逆立ちも逆上がりもできない運動オンチなのだが、こうして見ると世界観ひっくり返ったような思想であるグノーシスとは、不思議とうまくやっていけそうな気がする。
またヨナスさんによると、グノーシスの超越的な神さまはぼくたちからは隠されており、普通の概念によっては知ることができないものらしい。神を知るには超自然的な啓示と召命が必要で、その場合も、否定的な言葉によらずしては表現されえないのだという。
なんとなくそんな気がしていたけど、やっぱりそうなのかという感じだ。しかし啓示と召命が必要なのは理解できるとして、それを語ろうとすると否定的な言葉によらざるをえないとは、先生と同じく、ぼくもどういうこっちゃと思う。なんでも自由に語りすぎると、みんな引くってことならよく分かるが…(ぼくは「編集的自由」でありたいのだ)。
グノーシス(Gnosis)とはギリシア語で「認識」とか「知識」という意味だが、究極的な
「叡知」ではない。だからたとえ舞台を現代に移しても、グノーシスはテクノクラートが人間を人工知能(AI)に接続し服従させることによって実現しようとしているような「神(=AI)の叡智」ではないということだ。
ぼくは結構グノーシスを誤解していたようである。グノーシスが宗教でも宗派でもなく教団もつくれなかったとは知らなかった。けれども、だとしたらメインストリームを否定する以外の何がグノーシスなのだろうか。
1世紀ころグノーシス主義のグループから発展してきたマンダ教(Manda iya)には、光の世界に属する下等神プタヒル(=ギリシア神話にいうデミウルゴス、またグノーシスにいうヤルダバオト)が、自身を創造主と錯覚して地上と人間を造物したが、そこには実は闇の世界がかかわっていたという考え方が根底にあるのだ。
なんと光の天使ルシファーが堕天使となった聖書の話とつながっているような、さらにその話が捩れてひっくり返っているような物語でびっくりする。
神そのものが下等神なので、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドも闇の世界が送り出した偽の予言者とみなされ、アベル(カインの弟)、セト(カインとアベルの弟)、エノス(セトの子)、および洗礼者ヨハネだけに真実が伝えられていると考えたようである。
何故グノーシスがこんな思想を持つのか、ぼくはなんとなく分かるような気もする。少し前からぼくには、聖書やキリスト教に対する疑問・疑念が結構あったのだ。例えば聖書のカインとアベルの話に出てくる神の態度には、納得のいかない妙な点がいくつもある。また最近は、神とモーセのしたことも、とんでもない大量虐殺だったのではないかという気もしている。聖書の神はいつも生贄(血と犠牲)を要求していないだろうか。
これらの点に注目してみると、アンチを掲げるグノーシスを研究することは宗教史・精神史上の最も重要な仕掛けを解き明かすにことのように思えてくるし、権威を持つ側がピスティス(信仰)を選び、グノーシス(知識)を敬遠し、最終的に排除した理由が見えてくるような気がする。なぜ神は知恵の実を食べたアダムとイブを追放したのか…それは彼ら人間が「知識」よりも自分(神=権威)を信じることを絶対唯一としたからではないだろうか。
シモーヌ・ヴェイユは『重力と恩寵』で「エホバの影響でキリスト教徒は全体主義者、侵略者、殺人者になった」とまで言っていた。彼女の意見も加えて考えると、下等神プタヒル(=ギリシア神話にいうデミウルゴス、またグノーシスにいうヤルダバオト)=ヤハウェ(エホバ)=ルシフェル=サタンということになるのだろうか。
仮にそうだとしても、今更現在のユダヤ教徒やカトリックの一般信者の信仰や聖書の解釈を責めたってどうしようもない。ぼくがイカンと思うのは虐殺や虐待、人口削減と自然破壊であって、宗教や信仰そのものではない。虐殺の歴史は主語と対象、利用する名前と顔、被害者と加害者のポジションを変えながらずっと続いてきたのだ。
話を戻そう。本書によるとキリスト教やグノーシスは、ヘレニズム文化のシンクレティズム(混淆宗教)を背景にして生まれた。当時は他にもたくさんの宗派が出来たが、その中でギリシア的な宇宙(コスモス)の考え方をまったく借りない世界観がグノーシスだった。ヨナスさんはそれを「反宇宙的世界観」の芽生えと見たが、ぼくは今夜のお話でグノーシス神話の「善の宇宙」があった原初の世界は、道教や密教などと似た部分があるように感じた。「男性と女性2つの永遠の共存原理」という部分が前夜のデュオニューソスに続き、陰陽和合的多元宇宙で、意外とぼくには親しみやすく思えたのだ。またマンダ教の洗礼は、神道の禊の感覚に近いのではないかと思った。西洋にも圧倒的な「父なる神」が「母権社会」を終わらせる前に、別様の可能性があったのではないかと考えさせられた。
しかし過去のキリスト教圏にそんな思想をもった人々がいたら、きっと疎外されただろうと思う。そのエストレインジドされた意識(疎外意識)が古代ニヒリズムの混淆となって「アグノースト・テオス」(知られざる神)や「隠れたる人間」が想定されたのかもしれない。
現在まさに人と神々はエリート支配層の世界観によって分離されていこうとしている。だとしたら、人口削減や超管理社会化が行われているのを了解することが、今のグノーシス派っぽい「知識」(グノーシス)なのだろうか。
後期のヨナスさんは、晩年のハイデガーが戦争技術へ加担した発言などに疑問を感じ、生命という存在と科学技術の発達論考に向かった。その内容を受けて最後に、彼の文章の「世界」を置き換え編集してみようと思う(先に今夜の俳句は人工的な雷のことじゃないですよと言っておかないといけない)。
「【ワクチンとIOT技術によって実現される超管理社会】は【インタースコアや世界読書による】知識の否定の所産、さらにはその具現である。【ムーンショット計画】が顕わしているのはある邪悪な力であり、この力は支配し、強制する横暴な権力意志に由来する。理性を欠いたこの意志こそ【NWO(新世界秩序)】の精神であって、【持続可能な開発】は理解とも愛ともまったくかかわるところがない。【彼らのアジェンダ】はこの支配の法であって、神的な知恵のそれではない。こうして権力が宇宙の司る様相となり、その内的本質はアグノーシア(無知)にほかならないことになる」。
ロックな感じに凝縮して一句。
知られざる神鳴りアグノーシアを撃つ