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コンビニ人間

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 千夜千冊・1743夜、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読んで思い浮かんだことを書いています。

 ぼくはあまり現代小説を読まないので、毎年ニュースになる芥川賞の作品も全く読んだことがありません。しかし課題で読んだ多和田葉子さんの『雪の練習生』は非常におもしろかったし、時々は現代小説の異質違和感出入り作家や、対極的な剛腕作家の作品も食してみたらいいのかもしれないなと思いました。

 しかしぼくは女性と面と向かってエロについてあからさまに話すなんて、とてもムリムリ、ムリムリ無理ですよ。「男の話す下ネタをあははと半笑いしつつ聞く」という業務はFさんに鍛えられましたが、自分から何かを話そうというのも無理です。先生はしれっと…スゴイな…。

 ああ、でも山田詠美さんにしても田口ランディさんにしてもそうだから…なんて言ったら何が「そう」なのか突っ込まれそうだな…(汗)。ええとですね。女性の方が性感覚が、男のようにエロスかアガペーかと二極化するのではなく、その間に「あわい」というか、多様多色なグラデーションがあり、そこからいつでも好きなように、純度の異なる色を取ってきて混色できるのではないかというような気はします。きっと脳科学的にも生物学的にも男の方が、エロ対談は不利なのでは…??? 

「毛の生えたものに甘えたい」というのは、多分動物のことなので、エロではなく「萌え」だと思いますが…。分からない。高3・降参、そそくさと退散し、「陰謀」に逃げ込みます。

 と言っても、もう政府が「スーパーシティ計画」「ムーンショット計画」などと言い、国際金融機関の手先になって、今までの貨幣価値をガラポンし、国民をデジタル通貨とデジタルIDを使って子供から大人まで行政が人間を飼いならし脅してロボット奴隷化しようと、やけにこっそり言っているので、陰謀でも何でもなく、テレビに出ない「新しい現実」ですが…。


 是非この機会に人間と機械が融合するのがSFみたいでかっこいい・スマートで便利などと思っている方には、現実の金属や化学物質や電磁波が人体にどんな障害や病気を引き起こすかを勉強していただきたく思います。

 ぼくはお金のことがよく分からないので、どうしたらいいのか見当もつかないのですが、

山本太郎さんと、島田雅彦さんのような方々が会って話し合う機会があったらいいのになと思いました。

 「新しい生活」。テレビに出てない小学・中学生からは「大ブーイング」です。どう考えても「おかしい」「無理」「マジ面倒」「ウザい」「先生、大人、テレビが嘘をついている」。これがぼくが直に聞いた子供の本音です。友達と自由に話すこともできず、絶えず大人に監視され注意され、マスクは蒸し暑く息苦しく皮膚炎の原因になり、がんばってきた部活も何もできない。茶番劇のせいで子供たちは極度のストレスにさらされています。

 テレビや新聞の情報を鵜呑みにしている、または嘘をついている大人を子供が信用できるワケがありません。茶番劇のせいで学校教育が破綻しています。「先生たちも上からの指示に振り回されて困っている」と言えたらいいのにと思います。このような時こそ子供たちが「自分で考えて行動する」力をつける時ですが、それには、それこそ多面・多角的な情報を提供すべきではないかと思います。

 

 それに有害な「次亜塩素酸水」「次亜塩素酸ナトリウム」などで消毒しまくる、させまくるなど、茶番による「公害」が酷くなっています(この二つのサイトは一方が次亜塩素酸の、もう一方が次亜塩素酸ナトリウムの危険性を指摘し、反対に推奨しています)。これは必要な菌まで死滅させる→免疫力低下→病気→ワクチンという人口削減プロセスの一端であるとともに、ケムトレイルと同じく環境破壊です。

 ですからテレビに洗脳されてしまっている人を、どう洗脳から覚ますか、というのが緊急の課題です。「もしかして」と思っている方が別様の可能性を視野に入れ、その前提で行動しなければ、命を守っているつもりが偽善で他者を不幸にし、挙句殺すことになります。

 ぼくも「日本アパッチ族」を読んだ方がいいのかな。でもぼくは今世界で起こっていることは、「管理と本能の衝突」ではなく、「支配欲というエゴ」と「信じて手離す」ことの闘いだと思っています。

 我が家の二代目猫のヤヤが旅立ちました。15年以上生きたかな。一代目猫のモモのとき、そのころあまり知識の無かったぼくらは動物病院に連れて行ったのですが、薬と栄養剤入りのエサを無理やり飲まされて酷く苦しそうだったので、今回は自然の成り行きに任せました。

 弱っていくのが可哀そうでしたが、目やにや鼻水のついた顔をお湯で拭ったり、吐瀉物やお漏らしや血便を拭いたり、工夫してヤヤが飲めるうちは水を飲ませたりして、最期まで命を看取るという貴重な経験をしました。偶然コロナで家族が家に居て、みんなで看取れたことが奇跡のように思えました。でもぼくはコロナではなく、ヤヤとモモ、そして名もなき猫たちが幾つもいくつも重なって見えるその面影に、「信じて手離す」ということを教えてくれた猫のヤヤに、「ありがとう」と言いたいのです。

 ぼくは日向ぼっこしたモモやヤヤの「お日さまの匂いのする毛の匂い」をかぐのが好きでした。やはりエロじゃなく「萌え」だと思います。


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