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千夜千冊1822夜、エヴリン・フォックス・ケラーさんの『ジェンダーと科学』を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1822.html 先日のしりとり千夜は、ここ最近の千夜千冊にからめて『ペニスの文化史』に挑むこととなった。その日の14離はち〇こ祭りに沸いた。 「家族がリビングにいるので”P”(という呼び方)で行きます!」「講座の課題で『それチン』について書いているとき何もかもがペニスに見えてしまうことがありました。」「それはフィルターがかかっていたか、思春期の男子化していたか、ですねぇ。」「世界にも日本にも男根祭りはたくさんあります。」「縄文系は男根崇拝。」「古代人が山羊や牛のペニスを崇拝していたのは、身近な動物の春の繁殖期の生命力に肖ろうとしたからだそうです。」「なんで恥ずかしくなったのか?」「支配者側が、植民地の神々の姿や祭りや習慣を野蛮なもの、あるいは悪魔、敵のシンボルとして貶めたから?」「日本も江戸時代まで混浴やい異性装が盛んだったが、明治になって、明治という時代は何でも西洋化しそれまでの文化を否定し、法令で禁止したみたいです。」「ペニスは恥のシンボルになった。ピューリタニズムでは性が罪だったそう。」「ペニスの力は暴力でもありますね。」などと活発に意見が交わされた。メンバーの一人は「女性が商品(性奴隷)として扱われていた歴史を学んだため、ペニスに対し嫌悪感があったが、知ることで冷静になった。変な執着を解くために知るということの大切だと思った」と、振り返った。 一方でようやくペドフィリアによる人身売買の実態が明らかになってきている。国連は組織犯罪を隠蔽し継続しようと、未成年者と成人の間の性行為を解釈次第で非犯罪化できるよう国連加盟国に働きかけているそうだ。日本の中流~貧困層のペド犯罪と、富裕層のアドレノクロム採取や臓器売買を伴うペドは異なる。移民でリスクが上がるのは組織犯罪者による誘拐である。子供たちをどう守って行くか、あらゆるケースを踏まえて考えなければならない。 Hさんからは『孤独とセックス』という本が男の孤独を理解し、孤独を肯定するのに良いというご指南があった。教職で当事者の学生さんと接する機会もあるというメンバーからは、LGBTもアリだと軽いノリで言っているのはたいてい異性愛者で、当事者本人たちは身体の成長などの変化もあって、とても悩んでいるという実態を聞いた。今の時代は人との距離を測るためのモノサシがたくさん要る状態なのだという見立てにはとても頷ける。トイレなども「何が問題なのか」を認識している人としていない人のグラデーションがいまだにかなりあるようだ。 「何が問題なのか」の認識の差、それをどう越えて行くかという課題は、LGBT以外のテーマにも言えそうだ。今夜のお話では「学際的プログラム」が取り上げられていたが、イシスには教室自体にその仕組みがある。こんなにざっくばらんに話し合えるのも、イシスという町内会的組織モデルがあってのこと(?)かもしれない。まだ日本の町内会ではこんなトンデモディープな話し合いはできないが、ぼくもSさんと同じく、地域の人々とこそ、話し合うことができたらいいなと思う。 ”「知る」ことは真実に向かって努力することであり、その努力の道筋そのものが精神”
”精神はエロスに導かれる””そのエロスとはホモセクシャルな成人男性と青少年との「愛」”というプラトンの思想にかなり驚いたが、どうやら当時のギリシャの男社会の価値観らしい。しかしその後の歴史では同性愛は迫害の対象となったのだから、結局性愛の善悪というものも、当事者の心情に関わりなく、為政者の都合で決められているのだろう。
”科学の力は、自然を征服できる男らしさの象徴”だという思い上がりには、ぼくでも反吐が出そうだが、世界中の発展開発進歩進化行け行けどんどんオジサン(時々オバサン)たちというのは、科学の力によるスマートな搾取と奴隷制度を夢見る認識共同体なのだろう。なるほどなるほど。SDGsやらアジェンダ2030やらは「マスキュリニティな執着」なのかと、今夜のお話には納得できることが多かった。
『よくわかる土中環境』を読んだ上で高速をドライブしたり、飛行機に乗ってぼくらの故郷を見下ろせば、きっと「理想像を押し付けられたリアリティには看過できない歪みが生じる。」ことが実感できるだろう。ぼくは地元で山が円形崩落しているのを見た。
メガソーラー(巨大太陽光発電)のために山を削ったり、巨大風力発電を山や海に突き刺したり、河川や街中をコンクリートで固めてしまうような、土中の水と空気の流れに対する配慮に欠けた現代の開発が、土砂崩れなどの災害や赤潮被害、ヒートアイランド現象などの危険な状況を招いている。開発の影響や被害を誤魔化し、さらに復興という開発事業で儲けるため、ジオエンジニアリングなどと称したケムトレイルやHAARPでの気象操作による風雨、巨大台風や線状降水帯、ゲリラ豪雨といった人工的な実験や攻撃が、原発と同じく一般庶民の暮らす国土全体を脅かし、さらに廃棄物や毒物で大気を汚染している。
マスコミはすべてを地球温暖化・気候変動のせいにし、政府も企業も大学もこの不都合な現実が、日本及び地球を破滅させることから目を背けている。 「大地の再生」について調べて行くほど、大地と身体とは似ていてつながっていると思う。先週親父が血便が出たというので母が驚いて、念のため夫婦二人で病院に行ったが、留守番したぼくは親父の顔色と声から、これは心配ないという確信があった。案の定検査すると、前回医者に見放され抗癌剤を止めた後始めた自然療法の甲斐があって、腸に飛び散りこびりついていた小さい癌が、瘡蓋のように剥がれたため血便が出たようだった。医者は驚いていたそうだが、身体も大地も害となる科学物質の膿を吐き出そうとしているのだろう。 ただ、まだ直腸辺りに大きな腫瘍があるので引き続き腸閉塞を起こさないように注意しなければならない。肉食は便を固くし血液を濁すので止めるよう説得し、母が添加物や農薬や放射線照射食品などにも気を付けているので、腰痛と排便が大変なものの、我慢できない煙草を吸いながらもなんとか現状を維持できている。親父はテレビ大好き動物性たんぱく質大好き人間なので厄介きわまりないが、自然療法が効いてきたことで少しづつ母の話も耳を貸すようになったし、野菜もよく食べるようになった。 一時期は母が父の健康に責任を感じすぎていた。普段は身体に悪いことばかりして、調子を崩すと、降圧剤に幻覚症状が出るような強い副作用のある痛み止めに止血剤にと、何が何でも大量の薬を飲ませようとする医者の言いなりになっている親父と、親父に長生きしてほしい、少しでも苦痛を和らげたいと願う母が夫婦喧嘩になったりした。ぼくは仲裁するというか母の相談に乗ったり、ただ母の愚痴を聞いたり、たまに助言したりした。そのとき今まで養ってきた編集力が活きたと思う。 ほどけあい土に還らん春の果