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セイゴオ先生へ

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada


セイゴオ先生へ

 

 数日間、先生が亡くなっていたと知らぬまま、ぼくは先生にマンガを届けることができるようにと願っていました。だから最初編集学校、次いで太田総匠からお知らせがあった日から、しばらくは「間に合わなかったんだ」ということがアタマの中に鳴り響いていました。きざ旬ちろろさんが「悲しいです。ほんとうに悲しいし、悔しいです。」言っていたように、きっと大感門番期同門際の準備をされているみんなが、同じような気持ちになったのだろうなと思います。

 

 しばらくは、とくに一人になると、何をしていても涙が止まらず困りました。先生を父親のように慕ってきたイシス編集学校のメンバーも、そうだったのではないかと思います。先生が、こうして共に悲しみを分かち合える仲間を、ぼくたちの居場所をつくってくれたことのありがたさを感じ、ぼくのような者にも、そんな場所を与えてくださった先生の優しさを想うと、さらに泣けてきてしまいます。

 

 先生に代わって、真っ先に吉村林頭が「こんなあまりにもな大悲劇こそ大チャンスにしろ」と檄を飛ばし、安藤社長が先生とお月さまを重ねて、田中所長や原田学匠、康代学匠、深谷花傳式部が、先生とのやりとりを振り返って決意を新たにしました。

 

 中野さんや松井さんのようにSNSで先生への思慕を表現する人もいました。

 雷蔵さんは先生の映像をつくられました。後藤さんの撮った先生のお写真も素敵です。

 

 師範や師範代、学衆もそれぞれが「今こそ」と編集へ向かっています。けれど一方で、見えない部分で、まだあまりの喪失に心が深く沈んでしまったり、身体が思うように動かなかったり、どうにも元氣が出なくなってしまった人もいるのではないかと思います。

 

 かくいうぼくがそんな感じというか、なんとしても大感門までにマンガを描きあげるという気持ちと、これから先生のいない世界で生きていかなくてはならないのだということへの、何とも言えない寂しさが交互にやってくるのです。

 

 でも同時に、これはきっと生涯伏せたままになるのだと思いますが、ぼくはある理由で「先生はここにいる」と感じ続けています。『影向』舞台のあと、ぼくが挨拶をしたときに、先生が「つながっているから離れていても大丈夫」と、仰っていた通りになりました。

 だけれど、この不思議なつながりは、何か特別なはたらきかけがある時以外は、言葉を交わすことはできないので、先生が『意身伝神』で言ったようになるには、一体どうすれはいいのだろうかと、ここのところ自問しています。

 それは編集学校を通じての何かなのか、それともそれ以外のことで、基本的にはぼく一人でせねばならないことなのか。

 

 海外ではウクライナ軍(実質はNATO)がクルスクやザポリージャの原発を爆破しようとしている一方で、アメリカが二大政党制を廃し統合するかもしれないといった大きな出来事が起きています。

 

 日本では、自民統一軍産教会が、中国共産党の河野太郎や、フランス系グローバリストの麻生太郎配下の高市早苗や、イルミナティカードの命令通りに動いて挙句切腹させられるらしい小泉進次郎がバラエティー総裁選ショーを行うようです。全員すでに偽物なのかもしれませんが。

 

 国際金融資本、日米合同委員会の指示によって、官僚の指示で政治家とマスコミは動き、日本の食を(今は特に米農家潰して)コントロールし、水道を民営化するとこで実質的に国民から水を奪うつもりのようです。何の法整備もないまま移民を入れているため強盗強姦などが起き、各地で治安は悪化していますし、ワクチン5G電磁波を使った虐殺を拡大しようとしています。増税地獄に若者もお年寄りも貧困家庭も喘いでいます。売国奴は改憲をし、戦争を起こして、日本ウクライナと同じようにしたいのだろうと思います。

 

 一体どうしたらこの国を守れるか。答えの無い、大きなお題が残りました。もう一度ここから、ぼくと先生とみなさんとの、新たな冒険が始まるのでしょうか。

 

 ぼくは先生がきっと読んでくださると信じて、マンガを描き上げようと思います。

大感門までに間に合うか。本当は完成したら、見つかったノートに書いていた歌と一緒に、形にして先生に届けようと思っていました。しかし先生はずっと以前から、どんなものも「未完でかまわないのだ」というようなことを仰っていましたね。間に合わなくても届くかなぁ。

 

 先生はいつも、失敗と欠陥だらけのぼくのことを見守り、赦してくれました。先生は千夜千冊を通じて、みなさんへメッセージを送ると同時に、ぼくのマンガを、あらゆる方法とつなげて評価し、ぼくが知らない数々の綾の言葉で褒めてくださいました。ぼくはこれ以上どんな栄光も必要ないほどの、一生分の誉を先生から授かったものと思っています。

 

 先生ほど、多くの人を、この世界を、多様な形で好きになり、恋をし続けた人がいるでしょうか。ぼくはただ、もう先生と、この最高の対話ができないことが寂しいです。

 

 これからの人生が、またこの世界がどうなってゆくのかは分かりませんが、ぼくも自分の寿命を全うするまでは、諦めずに、先生の残してくださった方法を胸に、編集をし続けます。

 

 だから、ぼくが死ぬときは、どうか「いない、いない、ばあ」と、お姿を見せて、迎えに来てください。どうか、お願いします。

 

 空の果て海の果てまで月あかり

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