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千夜千冊1830夜、グレゴリー・チャイティンさんの『セクシーな数学』を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1830.html 空一面を覆うようなケムトレイルが何日も続くと思ったら、風邪を引きました。一体何を撒いているのか。ウクライナで世界中の旧式の兵器の処分をしつつつ、ウクライナ国民を何十万人も、臓器・人身売買などの戦争ビジネスの犠牲にしているのと同じように、世界中で不要となった化学汚染物質を処分しつつ、日本国民に対しジェノサイドをしたいのだろうと思いますが、やはり確実に人々を殺すにはワクチン接種がいいのか、風邪症状や学級閉鎖で不安を煽って、より多くの人を接種に誘導したいのではないかと思えます。それでも上手くいかなかったら、三島由紀夫の予言通り、豚になった日本人を、屠殺していくつもりなのかもしれません。
というのも、肺にmRNA(というより酸化グラフェン?)を送り込む新しい「空気ワクチン」なるものが開発されたそうなので、ぼくはそうしたワクチンを豚で試した後、人間にケムトレイルとして撒くのではないかと懸念しています。 今夜のお話では、著者・グレゴリー・チャイティンが「数学が灰色になるところがおもしろい」主張していることが紹介されています。先日アップした、今回の『侍JOTO』は雪がたくさん降るのですが、チャイティンの言う「数学の純粋性を求めれば求めるほど灰色になる」というのは、マンガで降る雪の白さを表そうとすると背景が灰色になったり、明るい空に降る雪を表そうとすると灰色になることと、なんだか似ているように思えました。 ぼくはスポーツ全般に音痴だし、数学(計算)がからっきしできないのですが、今夜のお話はわりかし楽しんで読むことが出来ました。特にセイゴオ先生の言う「隠し玉」の、構造と非構造の例示は、言われてみるとそうだと納得のいくものばかりで、先生の目利きもぼくにとっては魔法のようです。 ぼくはチャインティンと同じく、数学にはランダムネスを管理しきれないところがあり、それを証明するにはアンストラクチャーな展開をもつ数学を扱う方法を発見するしかなくなるのだということ、不確定や不確実なことを証明しようとする数学は、それを表そうとする数学的プロセスそのものに逆理(パラドックス)を孕まざるをえなくなるということが、おもしろく感じました。 セクシーなものとは非構造的な編集なのでしょうか。ぼくはさすがにこっ恥ずかしくて、自分の描いたマンガを、自分でセクシーだとは思ったりできないのですが、ネームのときは、おおよそこうなるという展開がぼんやり見えたまま進めていると、不意にキャラクターの言葉が浮かんで来たりします。そうした非構造的なきっかけを活かしていると、その一話の最後の頁になったとき、あたかも最後を見越して、最初から全体をそうするつもりだったような構成になっていていることに気づいて、不思議な心地がすることがあります。今夜のお話を読んで、そうした感じをエピジェネティック(後成的)な光景というのかな…と、思ったりしました。 ぼくはあまり親父に直接何かを教わった記憶がほぼ無いので、今夜のお話の中では、著者の父親が舞台や演劇に関わるような人物で、息子に「クリエイティヴであるとはどういうものか」ということを教えたという部分が印象に残りました。 親父から「学んだ」ことはたくさんある気がしています。でもそれは、たいそうな芸術や学術的なことなどではなく、自分でアイロンをかけるとか、靴を磨いたり衣替えをしたりするとか、いわば生活の仕方やリズムやパターンといったものです。ほとんど遺伝的にそっくりなクセもあるし、反面教師的に学んだことも多いです。けれど父は単身赴任や転勤先の、どこの店舗のパートの女性たちからも、度々バレンタインなどのお祝いプレゼントをもらってはお返しをしていたし、内々の葬儀にも、退職後も付き合いのあった友人を中心に、同期の仲間が駆けつけていたので、仕事の同僚や部下を心底大事にしていたんだなと感じました。ただ、ぼくが父に「教わった」ことことはなんだったか。思い出せず、記憶の細い糸を手繰り寄せることとなりました。 ぼくら家族は、ぼくらが小さい子供の頃はよく家族で海水浴に行きました。まだ泳げないし、とくにぼくはカナヅチなので、海の中へ行く時は姉弟みんなで手を繫いだり、大きな浮き輪につかまったり、親父の背中にしがみついて、押し寄せて来る波に合わせてジャンプしながらはしゃいぎました。時々予想以上の大波が来て、思いっきり海水を飲むこともありました。
また、親父はスーパーの鮮魚を中心とした食品関係の買い付けや、売り場を任されてきたので、魚のことは何でもよく知っていたし、魚を捌くのが上手かったです。なぜか包丁の研ぎ方ひとつ教えてはくれませんでしたが、新鮮な魚を買ってきては、刺身や味噌汁やあら炊きなんかにして、家族にふるまってくれました。
ぼくは海の味や波の感触を、その冷たさやあたたかさを、海の美しさと優しさ、荒々しさと厳しさを、海の豊穣を父に教わったのだと思います。だから汚染水が放出されたとき、ぼくは父と共に海が死にゆくように思いました。有り体に言えば、海は今も、日ごとに売国奴に殺され続けているのだと思っています。
亡き父に習うともなく冬支度