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デクノボーの叡智

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 今福龍太さんの『宮沢賢治 デクノボーの叡智』を読んで思い浮かんだこと、最近の出来事などをまとめました。  先日イシス編集学校で「多読ジムスペシャル」の今福龍太さんを迎えての読了式があり、素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。先月末、14離の仲間から講座の様子を聞いて、ぼくもおもしろそうだなと思って参加することにしたのです。  最近千夜千冊がお休みなので、ぼくもすっかりブログを書かぬままになっていました。世間の様子を遠くから眺めていて、途中何度か何か言いたくなることもあったのですが、それより気の向くままにマンガや読書や日々の様々な出来事に夢中になっているうちに、あっと言う間に8月になってしまいました。  ぼくは現段階では台湾戦争より、その裏で売国奴の政府と軍産複合体を担うグローバル企業によって、実際に進行している、海外資本による日本の土地や資源の買いたたき、水道などの民営化、人為的食料危機、人々を追い込む増税、個人情報の流出、そして日本人をワクチンその他禍々しい添加物、農薬、遺伝子組み換えやゲノム編集、電磁波で病気にし殺して、その分移民を増やし、実質的に日本人という民族を消滅させようとしていることのほうが問題だと考えています。  おそらく最終的には中国が今のロシアの役を演じて、悪者役の日本をウクライナ、あるいはウイグル自治区のような状態にしようとしているのではないでしょうか。ただあからさまにやると人道的な非難を免れないので、今のところ米中のグローバリストは売国奴を操り、気象兵器やワクチンなどを使って日本人を殺害しています。  ぼくたち一般の国民は望んでいない原発の汚染水放出の責任は、原発ムラの政治家や電力会社にあると同時に、3・11人工地震を起こしたアメリカとイスラエルの軍産複合体にありますが、放出によって日本・韓国・中国が互いに争うように仕向けられています。ぼくは放出後に人工地震があり、汚染された海水が津波となるかもしれないことを憂いています。  連中はアジア人同士に殺し合いをさせ、黄色人種を減らしたいのだろうから、それが最終的に台湾有事の形を取るというのもありえなくはないとは思っています。先日も沖縄の離島に自衛隊が押し寄せ、新たに駐屯地を作っており、奄美では住民の大切な水を奪われているという話がありました。その話を聞いてぼくには、基地というものがあることで「攻撃対象(攻撃理由)」になることを分かっていて、意図的に自衛隊を配置しているのではないかと思えました。音速ミサイルや宇宙兵器が主流の今、人間を地上に配置することに何の意味があるのか。何も知らない若い自衛隊員を捨て石に、中国に攻撃をさせ、ウクライナと同じように住民を追い出すか殺戮し、その後欧米が国連平和維持活動(PKO)などと称して鹿児島~奄美・沖縄に入り、あの領域の海洋資源を根こそぎ奪うことが目的だと思います。  ゼレンスキーのような史上最悪の売国を誰がやるのか。欧米の政府と軍隊、NATO、イスラエル政府と軍産企業のしていることこそ、日本及びアジア、そして中東、南米、南洋の島々、アフリカの資源収奪を目的とした植民地支配であり、原発やケムトレイルの他、広大な森林を伐採し土中環境を悪化させるメガソーラー、巨大風力発電、5Gインフラ、HAARPなど、彼らの誇る身勝手な科学的手段こそが、地球そのものを破壊し、すべての生命を死滅させようとしています。 ━━━━━━━━―…‥・・  今回は事前に、せっかくだからと思って、吉村林頭が「おっかけ千夜千冊」で紹介していた『デクノボーの叡智』を読んだら、ぼくもアフロ艦長やみなさんに続き、すっかり今福さんのファンになってしまいました。本が付箋でいっぱいになりました。こんなに書き込みたいという衝動がむくむくと湧く読書体験も初めてかもしれません。  何とかこの体験をカタチにしたいと思ったので、ぼくの場合旅日記とまではいかないのですが、ここ一カ月のうちの出来事も含め文章化しておこうと思います。 7月中程  今エディションは『芸と道』を読みかけているのですが、ぼくはひょっとすると、シリーズの中でもこちらが一番難しいのではないかと思いました。なにせぼくたちの世代は、ナマの芸に触れる機会自体がめっきり減っているからです。ただ人物名や曲名を追うだけではなと考え、とりあえず片っ端から動画を探して見てみました。  そうしたらぼくは高橋竹山の津軽三味線にやられました。生演奏などではなく、ただの動画なのに、あの”居ても立ってもいられないような、胸の締め付けられる感じ”がしました。先生が当該千夜で「なぜ、こんな凄いものを知らなかったのか反省した」と言った意味の、ほんの針先に、ぼくもやっと触れることができた気持ちです。 7月末  農家の友達の出店するマルシェに行って、志賀島のカジノ計画を追い祓う署名活動をしました。他の生命との調和を大切にしたいという意識を持ってそれぞれの生業(なりわい)をしている人々が集まる「市」なので、みんな快く署名をしてくれて、チラシも笑顔で受け取ってくれました。積極的に広めようとしてくれる人まであらわれて話が弾み、お互いに協力できました。あの場には昔の「市」の本来の機能があったように思います。 8月頭  アニマ臨風教室出身の三名が「花伝敢談議」を終え、師範代当番を表明してくれました。みなそれぞれの事情があるのだから、勝手に期待してもいけないよなと思って、ぼくからは何も言わなかったのですが、仲間同士の絆でそうなったようで、となるとやっぱり嬉しいものです。 ━━━━━━━━―…‥・・    子どもの頃は、ぼくは宮沢賢治の童話は悲しくて、あまり好きではありませんでした。日本人は短調の音楽が好きな人が多いなんて言いますが、ぼくは音楽も物語も、大人になるまで暗いものや寂しいものが苦手だったのです。だから千夜千冊を読むようになるまで、宮沢賢治のこと自体あまり知らなかったし、イシスに入って「代表作くらい知っておかなきゃいけないよな」と思い立ち『銀河鉄道の夜』や『春と修羅』などを読んでみたものの、表面的な言葉の使い方の斬新な格好良さしか分かってなかったような気がします。

 このたび『デクノボーの叡智』に書かれた、今福さんによる深い宮沢賢治の理解を通じて、はじめて彼の未完の作品たちに、一途で多様な思想や、苦難の多い人生や、素朴で不器用な生き方が、どのように投影されているのかが見えてきたような気がしています。それと同時にぼく自身も目が覚め、余計なものが剥がれ落ちていくような思いがしました。この本を通じて、セイゴオ先生の言う「今福さんのポリフォニックな言葉遣い」に魅せられると同時に、「資本主義の狡猾な賢しさ」に対する、今福さんや賢治の凛とした態度に接し、ああぼくがモデルとしたいのは、こうした存在だと強く感じました。  ぼくと、今福さんや賢治とでは、とてもスケールが違うので恥ずかしいのですが、特に賢治が想像力の拠り所とするキーワードと、49守のぼくの「アニマ臨風教室」や「侍JOTO」には、ところどころ奇妙な一致があっておもしろかったです。また今回の先生との対談を聴いて、今福さんの読み書きのプロセスと、ぼくのマンガが生まれる過程は、「島影」とか「偶有性」というポイントが、ぼくと今福さんとは、予定調和や統制が嫌いなところや、自分が描いていると感じていないところが似ているかもしれないと思えました。  今回の一連の出来事のお蔭で、ぼくが目指している方向は、今福さんや宮沢賢治と同じなのだ確信するようなところがあり、いつか機会があったら今福さんともお話してみたいなと思いました。ただ、セイゴオ先生と話そうとすると、しどろもどろになるのと同じく、緊張してしまうかもしれませんが…。アフロール艦長や、読了式に参加した14離の仲間にも色々と訊いてみたいことができ、何かゆっくりとではあるのですが、こっちだと思える道がひらけてきたように感じています。


 送り火は天の漁火豊穣の太平洋の吾らの灯り

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