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ニッポン戦後サブカチャー史

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 

 

 千夜千冊・1749夜、宮沢章夫・NHK制作班さんの「ニッポン戦後サブカチャー史および深掘り進化論」を読んで思い浮かんだことを書いています。


 「戦後」と言いますと、先日読んだアーサー・ビナードさんの『知らなかった、ぼくらの戦争』によると、アメリカは「大規模公共事業」として、あまりにもしょっちゅう色々な国を戦争で滅茶苦茶にしてきたので、「戦後」の正確な意味が定まらないそうです。そんなアメリカ・ワシントンの命令に忠実なくせに戦争が大好きな日本政府によって平和学習が潰されたので、ぼくは反抗して、毎年この時期に一冊づつ戦争に関する本を読み、平和自主稽古しようと思います。


 さて一方「サブカルチャー」ですが、ぼくは『破』の「プランニング編集術」の過程で、企画をメインカルチャー、サブカルチャー、ハイカルチャーに分けたものの、あれは3つに分けるための方便のようなものでした。本当はぼくも、特に「日本においてのサブカルチャーとは何か」がよく分かりません。

 しかし今夜のお話の中で、泉麻人さんが「理解されないものがサブカルになった」と仰っていたのを知って、ぼくはサブカルとはもとから、「メイン(社会の大多数を占める大人)からして理解されないもの」を指すのではないかと思いました。

 その「サブが徐々にメインになっていく」のが「文化の流れ」ではないかと思ったのですが、今の日本の場合、既にメインあるいはポップ化したものを、何故かずっと「サブカル」と呼び続けているような感じがします。

 今夜のお話を読んで、だいたい70年代から80年代にサブカルのポップ化、あるいはサブカルにポップカルチャーが取って代わる事態が起き、そのポップカルチャーが以降メディアによって在宅化していったように見えました。

 ぼくは、今の日本に本当のサブカルってあるのかな?という感じがしています。なにせ大変多様化・個別化しているので、サブという「社会を変えるような新たな小さな流れ」自体が発生しにくくなっているように思うのです。今はそれに加え、コロナ詐欺自粛という「祭りの禁止」が、サブカルチャーやカウンターカルチャーの動きを抑圧しているのではないかと思います。

 ぼくたちがしていることが「文化」などと意識したことなどありませんが、ぼくたちはそんな祭りの弾圧なんかにはかまっちゃいないです。先日もマルシェに参加してきましたが、やっぱり誰もマスクなんかしてませんでした(笑)。

 

 しかしぼくたちは別にデモクラシーを掲げるつもりもありませんし、自分たちの作った村を中心に日本全体に革命を起こそうというワケでもありません。

 ただ、政府や国が人間を一人ひとり別々の檻の中に閉じ込めて、人体実験よろしく徐々に弱らせ殺そうとしているので、そういうキショイところから離れ、身近な周囲と助け合って、自然の中に生きる道を模索しているに過ぎません。

 ぼくらと似たようなことをしている人たちは、全国いたるところにいますから、ぼくはみなそれぞれ自分たちの方法でやればいいのだと思っています。こんなぼくたちはアンダーグラウンドみたいなものなんでしょうか。実際はカンカン照りの太陽の下にいますが(笑)。

 結局ゴミの量はちっとも減らないので、ぼくはコロナ詐欺や自粛は全く「持続な能な地球」のために役立っていないと実感しています。大量生産・大量消費文化を終わらせ、パーマカルチャーをメインにしていかない限り環境は改善しないだろうと思います。人と人の関係を断絶し、ワクチンによる人口削減金儲け(不妊化・障害者化)をする前に、もっと他にできること、やるべきことは山ほどあるのに、現在の大量消費社会の儲けを失うのが怖くて方針を変えられず、こんな馬鹿げた詐欺を続ける泥船に、沈むまで乗っているしかなくなってしまったのではないだろうかという気がしています。

 ぼくと先生の『游』が交代するように、一方が終わり一方が生まれたのは少し不思議な感じがしました。ぼくは自分がマンガを描いているくせに、申し訳ないほど今の「日本のサブカル(=ポップカルチャー)」自体にはあまり興味がありません。なんでだろうな…しかし川上音二郎さんの人生はおもしろいと思うし、添田啞蟬坊さんの歌は好きなようです。


追記


 何故平和学習がなくなったのか、『知らなかった、ぼくらの戦争』を読んでいてふとぼくは、ひょっとしてこれは単に戦争ができる国にしたいだけじゃなく、戦時中の「皇民化」洗脳教育の反省を忘れさせて、同じことを繰り返したいからじゃないだろうかと思いました。もちろん今度は「コロナ信者化」洗脳教育です。

 あまりにも状況が酷似しているので、一部を抜粋いたします。


 沖縄の学校で、自分がかつて受けた教育を振り返り、太田さんは「生徒を試験管に入れて純粋培養」とたとえて語った。純度の高いカリキュラムを組み立てた政府は、社会の多様性を忌み嫌っていた。

 なぜなら古今東西の哲学者や政治家や宗教家や篤農家や文学者の幅広い知恵に人びとがアクセスできてしまうと、学校を通じた愚民政策はうまくいかないからだ。(中略)

 今はインターネットがあり、言論の自由も保証され、なんでもアクセスできるはずだ。が、はたして多様な思想が根づいて生かされているのか?

 多様性につながっている形跡はない。現代社会の議論が活発というわけでもなく、むしろ思想が萎えてしまっている印象が強い。


 「学校」を「大手メディア」に言い換えると、そのまま今のことになりはしないでしょうか。




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