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フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

千夜千冊1794夜、浦久俊彦さんの「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1794.html  村上春樹は『ノルウェイの森』の映画を一度観たきりで、小説を読んだことは一度も無い。リストといえば、ぼくは村上春樹ではなく、斎藤倫さんの『17 easy』という古い少女マンガなのだ。従姉弟が買ったもので、何故か祖父ちゃんの部屋にあった。主人公の女の子が弾いていた曲がリストだった(何の曲だったかまでは思い出せない)。そんな理由でぼくは、まともに聴いたことも無いのに、小学生の時からリスト=超絶技巧という情報をインプットしてしまっていた。  リスト自身が女性を失神させるほどのモテ男だとは知らなかった。そんなに女性にモテるといったら日本でいうところの、フィギュアスケートの羽生君みたいなものだったのだろうか。マスコミはスノーボードの平野君にすっかり鞍替えしたようだ。平野君はモンスターエナジー(エナジードリンク)とは手を切った方がいいのではないか?ぼく自身はテレビは観ないのだけれど、親父はテレビ人間で、母や姉ちゃんがフィギュア好きなので、情報だけはどうしても入って来る。羽生君や平野君のような若い人々が利用され、消費されないことを願うばかりである。  今夜のお話は超絶モテ男リストの生涯と、その音楽についてがテーマとなっていて、千夜本編は『ラ・カンパネラ』を聞き比べたり、先生お気に入りの『ファウスト交響曲』のほか、『交響詩「前奏曲」』を聞きながら読めるしつらえとなっている。  最近ワクチン血栓で運ばれる人々がさらに増えたのか、救急車のサイレンが鳴りやまないので、クラシック音楽の癒しは助かる。  癒しの音楽と言えば、Tさんたちとの新年会で、ぼくは酔っぱらいついでにTさんが新たに仕入れた音楽動版アイソレーションタンクのような瞑想装置をちょっぴり体験させてもらった。セイゴオ先生が一度入ってみたという、ジョン・C・リリーさんのアイソレーションタンクは、感覚を完全に遮断することによってアルタード・ステーツに至るようだけれど、Tさんの装置は脊髄の経絡に音の振動を伝えることで血行を促進する(本当はもっとイロイロな効果がある)。Tさんは「君はぶっ飛ぶから気を付けてね」と笑っていたが、帰る間際ということで時間がなく、うまく瞑想状態に入れなかった。ああ、シラフのときにやってみたかったなぁ。みんなで持ち寄った肴も、Tさんご自慢の無濾過の酒も美味かったが、もったいないことをした!  リストは「ピアノは背中で弾け」と言っていた。ぼくは猫背でマンガを描いているのが肩こりの原因なのだろう。リストは子供の頃から天才と言われ、父親から英才教育をほどこされたようだ。ぼくは親以外の大人に時々絵が上手いねと褒められることはあったけど、両親はぼくには何も期待したは無かったし、今も特に何も期待してはいない。  リストは若い頃はパガニーニのヴァイオリンの超絶技法をピアノに採り入れたり、舞台にピアノを2台向かい合わせに置いてこれを交互に弾いたりと、かなり挑戦的、実験的なことをしていたようだ。先生はそんなリストについて「何をめざしていたのか。何を担おうとしていたのか。その過剰や負荷をどうしたかったのか」ということが気になっていたそうだ。

 多分何か、自分にしかできないことをしてみたかったのだろうと思う。例えばの話だが、その頃のピアノ演奏と現代のフィギュアスケートの違いは、演技という存在の証明が点数化され、ランク付けされないことだ。評判がつきまとうだことは今と変わりない。けれど安易に承認欲求を満たすことができない社会のほうが、自分のすることの意味や価値は、自らが根底から問い続けたり、何かに昇華し続けるしかないことに、今のぼくらより早く気づけたのではないだろうか。だからこそリストは弾くだけでなく、曲をつくることができたのではないか。  何かをつくる、つくっているというときは、それを多くの人に見せたいという気持ちより、想像そのものの「景色」が見たい気持ちの方が勝る。ぼくが知っているのはその充足だけだ。それでも大丈夫なのは、先生と出会ったからなのかもしれないが。  セイゴオ先生も、リストのピアノ・テクニックより、生き方や考え方や音楽文化に対する姿勢に関心があったようだ。本書は軽い分、音楽にさほど詳しくないぼくのような者でも親しみやすくなっていそうである。著者の浦久俊彦さんは芸術を噛み砕いておもしろく人と社会をつないでいく音楽プロデューサーのようだ。江戸時代と西洋音楽史のクロニクル本『江戸でピアノを』など、ぼくとしても気になる本も書いておられる。  リストはスターになっても有頂天にならず、最大の庇護者である父親が腸チフスで死んでしまうと、母親をパリに呼び寄せ、簡素なアパートを借りてピアノ教室を始めた。意外な展開だ。恋人への手紙には「世間との摩擦に耐えていましたが、自分の心が愛と信仰の神秘的な感情に満たされたときには、なおいっそう心を傷つけられたのです」とある。  先生は、リストはブルジョアのスノビズムにやられたのだとみた。フリーターをしながらマンガを描きながら今から師範代になろうとしているぼくは、そういうリストになんだか共感する。  しかしリストはブルジョワ音楽サロンで年上の伯爵夫人に愛されて、駆け落ちに及んでしまった。ぼくにはこんな恋は無い。そっちはマンガにお任せだ。  リストの場合は「社会的めざめ」と恋愛が同時進行だった。サン・シモンの社会主義思想に傾倒したり、フリーメーソンの会員になったり(多分ノリで入っただけで、よくわかって無かったのではないだろうか)、晩年はワイマールに赴き、音楽文化と教育文化に力を注いだそうだ。  ぼくには、まだ晩年のことなどわからない。が、とにかく描きたいマンガがある。今は春から始まる第49〔守〕の教室の準備が背一杯で、先のことは考えられない。  リストはトランスクリプションとパラフレーズの名人でもあったのだ。ともに「編曲」のことだが、トランスクリプションは原曲をいかした書き換えでヴァージョンをつくること、パラフレーズは原作の意図を解釈して新たに変換してみせるヴァージョンのことをいう。リストはパラフレーズした作品を「幻想曲」(ファンタジー)と呼んだ。  ぼくの場合も、物語には型があるから、マンガとはトランスクリプションとパラフレーズのようなものなのだと思う。ぼくは本当は4つの作品をつくろうと思っていたけれど、人生がこうなったので、ここ最近はずっと『侍JOTO』を入れて2つに絞ろうと考えている、その最期の作品はファンタジーにするつもりだ。  リストの時代はピアノの改良の時代だったらしい。そのおかげでサロン文化の室内用ピアノは劇場文明のピアノになった。リストの《ラ・カンパネラ》の鐘の連音にみられるような超絶技巧は、その改良ピアノによって生み出されたものだった。  ぼくがプロのマンガ家になろうとしていた頃と、ひとりでマンガを描き始めた頃が、丁度マンガが紙の雑誌やコミックから、ネットに切り替わる転換期だった。描く道具もアナログからデジタルへの移行期にあたる。ぼくはその狭間にいるためにアナログとデジタルのミックススタイルになった。  晩年のリストは宗教音楽への回帰を模索した。ぼくはマンガや指南など、他者との関わり合いを通じて編集的世界観を表象する方法を模索している。  リストはショパンと仲が良く、較べられたが互いをライバル視せず、適度な距離をとっていたそうである。そんな関係は良いなぁ。二人とも本格的な音楽教育を受けずに稀にみるピアニズムを残した。たしかに15歳以降のリストの歩みは独学的だ。ぼくもマンガは専門学校に入ったわけでも、長期間プロのアシスタントをしたわけでもなかったので、何かちょっとした技術を知った時、必要なモノを逃さないようにしてきた気がする。そういうところは職人の弟子が技を盗むのによく似ている。    リストは35歳であっさりピアノ演奏で食うことをやめた。ピアニストを降りたのでもなく、ピアニズムから離れたわけでもなく、ピアノがもたらした音楽的文明性の深奥に向かっていったのだと先生は仰っている。  36歳でワイマールの宮廷楽長に就任したが「葉巻代にしかならない」と言っていたほど質素な報酬だったようだ。そんなことよりかつてバッハが宮廷楽団員を勤め、ゲーテが宰相を勤めたワイマール公国の理想を引き継ぎたかったのだ。  その意志を証明するのが就任後のプロジェクトの連打である。リストは芸術の力によって、ワイマール公国がこの世に存在する意味を創発し続けた。  N師範の言葉を聞いていると、あとはどうやって、何をしていくかという段階に入っていると思うのだが、具体的な話をどうしたらいいのか分からない。相手がどう考えているか分からないせいだろう。社会全体としても、互いの意志がどんどん見えにくくなっている。マスクにしろ何にしろ、人々が連帯できない状況をつくり、どんどん人間の人間らしさや生き物らしさを消していってる。

 伝えようと努力している人たちはいる。けれど学校や企業が盲目的な追従をした結果、子どもたちまでもが金儲けのために殺された。製薬会社や無責任な投資家、銀行貴族や政治家やマスコミによって、多くの命を奪われ、歴史文化も自然も滅ぼされようとしている日本のために、ぼくたちは今何が出来るだろうか。


 いま、ワイマールにはフランツ・リスト音楽大学がある。リスト自身が音楽文化あるいは音楽文明を教育カリキュラムに落としこんでみたかったプランにもとづいている。先生はその一端を覗いてみて、これは音楽編集学校だと思った。  ぼくたちにはイシス編集学校がある。編集術の型や編集工学の方法は、家事にもデートにも野良仕事にも子育てにも応用可能だ。編集学校の「守・破・離」の道は、社会を指南することのできる師範代を輩出し、日本という方法を継いでいく。  セイゴオ先生による千夜千冊本編の歌は、いろは歌のトランスクリプションと思われる。

 一方ぼくが以前『侍JOTO』のテーマソングとして鼻歌交じりで想像してみたのは、多分パラフレーズだ。  うーむ、そういうことなのか?ぼくの思い込みなのか?わからないけどここまで来たのだ。「旅は道連れ、世は情け」と「旅の恥は掻き捨て(かきすて)」の一種合成の心意気で、歌いましょう。 侍JOTO

やってらんないこともあるよ

今も昔もそれほど変わらない

でもやってみなきゃ分からないでしょ

蓋をあけてのぞいてみるのさ

百八も煩悩があるんだもの/悩みが

尽きないのは当然まだ/ぼくら道中

誰かが大安売りして/みんな

てっぺんだと思い込んでいる峠

越えちまいな/つまんないと決めた明日が

輝き出すもんさこの世/斬りひらくんだ

その手で/どんな宿命(さだめ)も上等

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