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リバースエンジニアリングバイブル

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 

 千夜千冊・1754夜、姜乘卓(ガン・ビョンタク)さんの『リバースエンジニアリングバイブル』を読んで思い浮かんだことを書いています。

 今夜のお話は、ぼくにとってはかなりチンプンカンプンでした。しかしこれも「編集工学」なのだと思って繰り返し読んでいると、自分なりの発見がありました。

 先生の言おうとした内容とは違う解釈になるのかもしれませんが、「クラス」の説明などは編集学校の教室運営のように感じました。例えば…

プログラマーが作成したファイル(File)を、移植可能な異なるアドレスに移動しても(Portable)、実行可能に(Executable)するためのフォーマット(Format)をつくっておくということだ。

これをファイルを方法・フォーマットを型と言い換えると以下のようになります↓

 セイゴオ先生が作った方法を学衆に伝授し、その学衆たちが社会へと飛び立っても、方法を実用可能にするための型をつくっておくということだ。

 他にもCコードがアセンブラに変わるプロセスは「守」で学んだ編集術のモデリングに似ているように、反対にアセンブラをCコードに変換するのは要約編集的に感じました。

 そのように当てはめて考えることができそうだと思って読み進めるうちに、ぼくが今書いているブログも、ぼくは自分では、拾った情報をかなりメチャクチャのごちゃまぜ状態につないでいるだけだと思っていたけれど、リンク作業のあり方など、これもある種のリバースエンジニアリングなのかと思えてきておもしろかったです。オツです。

とても唐突な知らせになってしまうのですが、実は明後日手術をすることになりました。といっても石灰化上皮腫という、局部麻酔の日帰り手術なのでたいしたことはありません。部位は後頭部です。痛いのは苦手ですが手術そのものより、やたら検査をすることが面倒だったり、髪を剃ることや、抜糸まで頭を洗えないことの方が大変なように思っています。

 必要に迫られて、手術のことを師範代や、農家の友人など仲間に話したら、みんなから「お大事にね」と何度も言われ、それだけでなんだか安心というか、言葉や声にこもった力に護られているように思いました。

 師範代というのはもちろん編集学校の教室の師範代のこと。〔破〕コースは突破して受講し終わったのですが、ぼくたちはまだ教室の師範代・友人とでやりとりをしています。

 ぼくはまさか教室が終わっても連絡し合う関係が続くとは思っていなかったし、さらにまさか師範代が、ぼくのマンガを読んで『侍JOTO』の「天ちゃんにハマって」くださるとは、本当に思いもよりませんでした。そもそも今まであまりマンガに対して、そういったダイレクトなメッセージを貰ったことがないので、とてもむずがゆいような…しかし新鮮で嬉しい気持ちでいっぱいです。他にも仲間同士四方山話でほっこりしたり、読んでいる本について交し合ったり、互いの活動に刺激をもらったり、エールを贈り合ったりして楽しいです。

 思い返してみると、こうして長文で伝えたいことを伝えれるようになるというのも〔守〕〔破〕による鍛錬があったからだと思います。今もまだまだなところはたくさんありますが、昔の始めたばかりの頃のブログを今見てみると、とても拙くて、よくこんな状態で「やりとり」をしようと思ったなぁと恥ずかしくなってしまいました。

 だから多分こんなぼくでも編集学校に入って、読み書きができるようになってはきているのだと思います。しかしぼくは編集学校に入って、ただ文章術が身についたとか、読書術をマスターしたというだけではなく、〔守〕〔破〕が始まる前と後では、人生そのものが何倍も多様になっているような気がしています。

 人にしろ、何かのモノゴトにしろ、ある情報の塊が「何らかの目には見えない理由」を持ってぼくのもとに来たのだとしたら、理由がどうあれ、その関係を「編集によって動かせる」ので、それが負であっても以前よりずっと柔軟に応じることができ、そうでなければワクワクしながら自在に応じられるようになったように思います。

 千夜千冊も読むときも、以前とは文章の中で注目するキーワードが変わっていたり、見方の軸が変わったために以前は気づかなかった内容に気づき、こんなことが書いてあったのかと初めて発見したかのごとく驚いたりもするし、リンクも含めて繰り返し読むことで、人とモノゴトがアタマの中で段々つながっているようで、読んでいる自分の変化を感じています。

 本も以前と比べたら色々読むようになったと思います。最近は『南総里見八犬伝』(偕成社)と『パンセ』を途中まで(苦笑)。今『正岡子規』(ちくま日本文学全集)を読んでいます。 

 正岡子規は、気難しそうな人というイメージがあったのですが、著作を読むと印象が全く違っていて意外でした。草花や小さな生き物へのまなざしが優しく、とても良い人だなと思って好きになりました。NHK出版の『オトナの一休さん』の破天荒具合もおもしろかったです。一休さんのような老人になりたい!憧れます。季節は秋なのに、なんだか惚れっぽくなっています(笑)。

 世界のほうが大変なことになっていますが、そんな今だからこそ、世界をどう読めるようになるか、また自分がどんな編集的現在に立つのかを、未だ描いてないマンガの先の物語のように、ぼく自身が「見たい」と思っています。

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