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千夜千冊1777夜、ワイリー・サイファーさんの『ロココからキュビスムへ』を読んで思い浮かんだことを書いています。
今夜の千夜千冊は、アート&テクノロジーと題されているが、この場合のテクノロジーとは「技術」ではなく「技法」のことだ。本著はロココからキュビズムヘの「芸術とその技法」スタイルについての一冊なのである。
芸術とその技法というと、「須崎公園の大木を守る会」の主催者の方は、文字を修飾するアーティストで、最近は公園の景観をイメージの源泉にしているようだ。ぼくは特に樹液を木の流す涙だと捉え、文字の描き方そのものに樹皮を暗示した作品に驚いた。また、ゴミ拾いをしたりウォーキング大会やや音楽会を開くなど、木々の素晴らしさを伝える活動を貫く、菩薩のような慈愛に満ちたスタイルに頭が下がるばかりだ。
スタイル(style)という言葉は、古代ローマで使われていた尖った筆記用具をあらわすラテン語の“stilus”が語源で、文字や線描を生み出す道具の妙が、スタイルの出現だった。
最初は「文体」や「描写」がスタイルという言葉の代表だったというエピソードが、「須崎公園の大木を守る会」の主催者の方の表現や、活動方法のことを言い表しているようで、なんだかおもしろい。
そういえば中田英寿さんもピクチャレスクな須崎公園に感心しておられたようだ。「崇高」や「美」が感覚的に掴める人には、自然の大切さも分かるのではないだろうか。
建築や美術や音楽について説明にする時、その時代のスタイルを追っていくのは、今のぼくらの立場からしても分かりやすい方法だ。
しかし、アート作品の見た目や手法の違いを説明できたとしても、そこに何らかのコンベンション(習慣)が出入りしていたことについては誰でも見落とすことが多い。
興味深いスタイルとは、社会や文化や技術をまたぐ色々な特質に注目していかないと、おもしろくは語れない。著者・ワイリー・サイファーさんは「歴史社会はスタイリングされている」ということを、豊富な実例を通じて説明できる稀有な語り部だ。
サイファーさんによるとアナロジー(類比)という見方が、スタイルを見抜くための「かけがえのない武器」なのだ。
本書はロココ時代の18世紀(ピクチャレスク、ロマン主義、象徴主義と、印象派・ラフアエル前派・ナビ派・アールヌーヴォー)から20世紀のキュビズムまでの、各種アートの相関関係を追っている。詳しくは千夜千冊本編をご覧いただきたい。
ぼくは特にルネサンスからバロックにかけての変遷に「静から動」だけでなく空間の「拡張と収縮」が作用していたことや、頽廃的で個人主義的なロココからロマン主義が生まれ、それは「意識と表現がかぎりなく近づいていったリプリゼント・スタイル」だったという話が興味深かった。印象(impression)とは「感じたこと」ではない。感じたように描けること、その描いたものが見る者をインプレスすることなのだという説明は、今まで印象派に抱いていた教科書的なイメージを刷新した。
キュビズムのスタイルがミンコフスキー空間やプランク定数やシュレディガーの波動関数やアインシュタインの相対性理論と、哲学的にはホワイトヘッドとどう通じているのか。なんとなく感じることはできるのだが、どう言葉にしたらよいのだろう。ただ、ピカソの絵一枚には一本の映画分全コマ分くらいの時空情報が凝縮しているのかと思うと、鑑賞する目が変わる気がする。
一番強く残ったのは、ピクチャレスクは「暗示の技法」で、「アナロジーそのものがスタイルの核心」というお話の箇所である。「次の一瞬には大きく変化しそうに見える」「直後におこるかもしれない偶然(アザール)を描く」。ぼくも多分、マンガにおいてそうありたいのだ。
先週の後半から昨日にかけて、ぼくは「お祭り」状態だった。100%自然素材・手作りの衣服ブランド「うさと」の、さとううさぶろうさんが九州の展示会を巡って、福岡にもいらっしゃったのだ。Fさんの奥さんに搬入を頼まれてお手伝いをしたことで、ぼくも翌日の慰労会に参加させてもらえたのである。
お会いするのは2度目で、まともにお話するのは初めてだが、ぼくの思い描いていた以上に、うさぶろうさんはモノゴトに対し余計なこだわりがなく、気配りが細やかであり、パッとひらめいたことをすぐ行動に移しても、周りの人を幸せな気持ちにできるような、大きさや広さを持った方だった。
Fさんの奥さんによる紹介で、うさぶろうさんがぼくのマンガを読んでくださっただけでも光栄だったのだが、なんと翌日うさとの服を二着もいただいてしまった(一着は親しみやすい柄、もう一着はとても大胆なデザインで、着るとあっという間に”うさらー”になる)。
そして「一生マンガを描くんだよ」と言われた。
何が嬉しいって、単に服を貰ったのではなく(いや、うさとの服はものすごく手間暇がかかってて、もちろん素晴らしいのだが)、うさぶろうさんのような人がぼくのマンガを読んで、何かを感じて、そのようにしてくださったことが、とてつもなく嬉しかったのである。〔離〕の退院式以来久々に高揚してしまった。
「うさと」は今、コロナ詐欺のせいで、うさぶろうさんが現地に気軽に行くことが出来ず、作品の供給が滞っていて大変なのだ。だが、うさぶろうさんはそんな仕事についての状況を「今までと違うことが起こっていておもしろい」と仰った。「(うさとには)意志を持った人が集まって来て、みんな自分で動くようになった」というのだ。勝手な自己主張するようになったということではない。
たとえば福岡の展示会でも商品が少なめになった分、今まで接客や販売を手伝っていた女性スタッフの方が子供服を作って一緒に販売したり、別の方はアクセサリー作りを展示会場で披露したり、Fさんの奥さんは地元の工芸作家さんに声を掛け、作品を置かせてあげたりするようになったのである。まるで「うさと」という大きな生き物の欠損した部分を、組織の細胞である一人ひとりがそれぞれの能力を活かして補い合い自己修復してゆくような動きだ。
また今起きている事態は、うさぶろうさんが来訪神となって各地の展示会を巡ることによって、その地域、そこに集まる人々ならではの「祭り」が起こっているということでもあるのだ。「うさと」はその歴史と社会の中で、衣服を通じたネットワークによる、古くて新しいスタイルを創出している。
アザールの波色に染む夏衣