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千夜千冊1850夜、三浦國雄さんの『中国人のトポス 洞窟・風水・壷中天』を読んで思い浮かんだことを書いています。
「洞天」という世界模型の話を聞いて不思議な感じがした。洒落みたいだけど『侍JOTO』も、羅ツ賀の神殿が地下深くにあるので、今、天は洞窟の中にいる。
イシス編集学校を、その黎明期から支えてきた「九州瓢箪座」の中野さんは、無類の瓢箪好きで、どうやら本当に瓢箪を栽培しているらしい。今夜のお話では、先生はどうして瓢箪の中に世界が入るのか、中古代中世の中国的時空観に分け入り、洞天や仙境や壷中天について考えた本を扱っている。
先々夜のブログでは悩んだ末言わなかったけれど、Nさんとは中野さんのことである。中野さんとはもう随分、直接話していないが、中野さん率いる「九天玄氣組」の由来のとてつもない背景を聞くに、きっとセイゴオ先生は、九州のことを中野さんに託しているのだろう。
今、その九州の風水は危機的な状況にある。各地の山々、田畑が潰されてメガソーラーができ、海には巨大風力発電が設置されている。ちなみに、ゆるキャラと熊牧場で誤魔化されているが、九州の野生の熊はとっくに絶滅したと言われている。そして熊本の水は半導体工場によって奪われるのだろう。福岡の山々も再開発の切り売りだらけだし、どこも似たような商業施設とマンションと駐車場だらけの、金儲け主義丸出しの景観になっている。他の全国各地と同じように、九州の水源も外国資本に奪われ、水が汚され、山や森や海が破壊されようとしているのだ。
ぼくはテレビや雑誌の、家のどこに何を置けば金運が上がるとかいうテレビ風水しか知らなかったので、今まで全く興味が無かったのだが、今夜のお話を読んで、「蔵風得水」とは、矢野智徳さんがしている「大地の再生」が目指すところと似たようなことなのではないかと思われて、びっくりしてしまった。
少し調べたところによると、郭璞の『葬書』に
風水之法、得水為上、藏風次之 經曰、外氣横形、内氣止生、蓋言此也
…と書いてある。「風水は水を得ることを最上とし、次に風を蓄えることが大切だ。そうすることで、土の内側に生気がたまり、外気は山の上をなでるように流れる」といったことを意味するそうだ。
大地の水脈には、空気や水がちゃんと通気通水できる機能と、その水や空気が程よく一定に保たれる補水と補気の機能あり、なおかつ土圧水圧大気圧を絶妙にえ支えながら、耐圧して空気や水がちゃんと循環できる環境を保ってくれている。もうひとつには、この空気と水が循環対流するためのろ過機能が機能がある。この4つの機能が保障されることによって、地上と地下の温度が一定に保たれる。だから今ヒートアイランド現象と言って、猛暑になっていって、夜も30度40度近いような高温の空気がこの地面に漂ってるのは、このラジエーターのような保温機能が損なわれてしまってる証拠なのだ。しかし脈の機能が再生すれば見事に機能が戻り、動植物の呼吸がしやすい環境が戻れば、生物多様性や循環機能も再生してくる。そうするとその流域全体の土中にスクラムが組まれ、奥の山々の土砂災害も起こりにくくなるのだと矢野さんは言っている。
ぼくたちが今経験している灼熱地獄や豪雨による土砂崩れは、現代の建設事業や再開発、再エネ事業による公害なのだ。本当に日本の企業や、日本に住む人々が、この国を滅ぼしたり、地球を破滅させたくないのであれば、ぜひとも矢野さんの活動を知り、支援していただきたいと思う。
緑陰の宇宙に蜘蛛の巣の銀河
ローマ帝国がエジプトに利子のつく貨幣を持ち込むまでは、古代エジプトは利子の無い、減価する貨幣システムを使っていた。人々は目先の利益に囚われず、治水など長期的な公共の目的にお金を使ったので、ナイル河流域は豊かな穀倉地帯だったという。日本を守るには、大地の再生に取り組むとともに、資本主義問題の根源について学び、行動する以外に無いのではなかろうか。
ぼくは今夜のお話の最後に載っている先生のお写真を見て、一年前の父を思い出してしまった。この先だいたいどうなるか、分かった。だから、感門の盟までに『侍JOTO』を書き上げることを目指す。
母はぼくのマンガを読んだことは(小学一年生頃の一回きり以外)ないし、内容も知らない。ただぼくのマンガを先生が読んでくださっているらしいということだけを伝えている。このようなことになって、ぼくはどうしても先生にマンガを届けたいので、マンガを描ききってから、バイトを探したいと告げた。つまりその間無収入になるわけだが、ぼくにとって大事なことなのだから、たとえ間に合うかどうかは分からなくても、やれるだけやってみなさいと母は言ってくれた。
母は自分で苗を買ったり、種取をして植え育てた野菜を、よく周囲の人々に配り、お返しに時々お菓子や花を貰ったりする贈与の達人である。だから『エンデの遺言』を薦めたら読んでくれて、ぼくがいつか地域通貨(というか交換リングみたいなもの)をやろうとすることにも賛成してくれた。
始めることはそれほど難しいことではないのかもしれない。ただ、これは「やりとり」なので、当然ぼく一人ではできない。だから仲間や友達を増やして、そこで回っていくように、みなが気楽にできる仕組みであることが大事なのだろうな。
とにかくやるんだ。なんとしてもやるんだ。どんなに小さなことからでもいいから。
石に精あり。水に音あり。風は大虚にわたる。 光悦本謡曲・殺生石
短夜や明日の風はぼくの中