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千夜千冊・1748夜、清水真砂子さんの「子どもの本のもつ力」を読んで思い浮かんだことを書いています。
実は「アリストテレス」の結果や講評を見ていません。
実は以前の「知文術」の講評がトラウマ…というほどではないのですが、発表されたとき丁度「クロニクル」が上手く行かなくて追い込まれていたということもあって、その時ひどく落ち込んでしまいました。自分があまりにも創文の内容に入り込んでしまったために、存在ごと批判・否定された感覚に陥りました。そして講評と共に作品が並べられたことによって、作品に重ね過ぎた存在が晒し者になったような気がしました。一時は稽古を投げ出そうかと考えました。「汁講」の自己紹介では、zoomなのにフリップを持つ手がガタガタ震えました。しかし「汁講」が終始和やかで温かい雰囲気だったので、嫌われているワケではなさそうだと思い、なんとか気分的に持ち直して、やっと物語編集にたどり着きました。
「知文術」の二の舞にならないように感情移入しないで済むような、「自分にとって軽い話」を書こうと思ったのですが、そういう器用なことがぼくには出来ませんでした。ついつい夢中になってしまいました。ですからせっかく審査していただいて申し訳ないのですが、今回は結果や講評を見ないことにしました。というよりも、見てしまうと無用に落胆してしまいそうで「恐ろしくて見れない」と言った方が正しいかもしれません。稽古は終わったのですが、見たら「感門の盟」に参加する気が萎えてしまいそうで見ることができません。「傷つく権利」があるのだったら、自分の気持ちを自分で調整する権利もありますか?ぼくはぼくが単にビビリなのか、これがイマドキな打たれ弱さなのか、障害の影響なのかよく分かりません。
物語作品自体については、ぼく個人は教室の仲間に感動してもらえたこと、先生に届いたことだけで幸せでした。ISIS編集学校のみなさまには感謝しています。
そして『破』コース自体は、やりきって良かったと思いました。特に「プランニング編集術」をやっているうちに、企画とマンガは直接は関係していないのに、自分がマンガを描いている理由というか、「ぼくはマンガで世の中をどういう風に、どうやって変えていきたい」と思っているのかが、言葉になって見えてきたように思います。特に他人に詳しく発表するようなことではありませんが「自分にとってマンガとは何か」が、分かってきたということかもしれません。
今夜はたくさんの懐かしい本に再会し、また読んでみたいと思うような本に出会えて楽しかったです。さっそく今度図書館で探してみます!
Tさんは、佐藤さとるさんの『だれも知らない小さな国』が好きで、今でもこういう世界がありうると、どこか強く信じているそうです。そういう「目に見えないものを察する」という人間としての下地が、仕事につながっているようです。
だからというワケではありませんが、やはり「幼いころどんな物語に出会うか」というのは大切なんだなと、ぼくも感じました。
ぼくにとって絵本、特に童話というと、祖父ちゃんの家にあった文庫サイズのシリーズの思い出です。正月やお盆に泊まるときは、決まってあの祖父ちゃんの狭い部屋に従姉弟達とぎゅうぎゅう川の字になって(笑)、寝る前に祖父ちゃんが何冊か読み聞かせしてくれたものでした。
日本の昔話も、アンデルセンもグリムもイソップも入っているシリーズなのですが、古い本なせいか、表現も結構恐ろしかったり悲しい結末だったりしました。ぼくは悲しい結末が苦手でしたが、その絵本たちに育てられたところがあるのかもしれないな…と今夜あらためて思いました。
あと親父がビデオに、劇場映画『アンデルセン物語』(1968年)を録画していて、ぼくはそれを何度も何度も繰り返し見ていました。今思うと「引きこもり引力」ってヤツだったのか(苦笑)。井上ひさしさんが脚本だったのですね。
現代はものすごくたくさんの本がある分、「マザー(母型・原型)」に出会いにくくなっているのではないか、それが想像力に影響しているのではないか…というのが、ぼくのプランニングの動機でした。そして企画をやってみて分かったのは、それがマンガを描く動機の一部でもあったのだということです。
一昨日次のネームが出来て原稿を描き始めたところです。自粛期間中ただマンガを描いているより、『破』を受講したことで成長できた部分が大いにあります。この財産を無駄にせず、日々やマンガの中に生かすことができたらいいなと思います。