千夜千冊・1733夜、佐藤勝彦さんの「宇宙137億年の歴史」を読んで思い浮かんだことを書いています。
「宇宙の晴れ上がり」と「MACHO」のところで思わず吹いてしまいました。
しかしダークマターがマッチョではないにしても、ダークマターが「密度ゆらぎ」を助け、宇宙の構造を支えているというのはおもしろいですね。
今夜のお話ははひっかけ問題のようだとも思いました。
パラレルワールドとマルチバースは別の概念なんですね。
かぶるところがあったとしても(先生や佐藤さんはそんなことを言っているではないと思うのですが)、「人間が月や火星に移住するまでに地球の生命が持つのかどうか」という問いに対して、「すべての解に対応した世界がある」から「どれだけ開発して地球を壊したって大丈夫」だとするのは、僕は多次元的にも無責任だと思います。
僕は「世界の破局を通さないかぎり、人類の文明の再生はない」のではなく
「人類のくだらんヒエラルキー文明の破局を通さないかぎり、世界の再生はない」と思っているのです。
趣味の悪いだけの終末思想の実現は、仏教やヒンドゥ教の表面しか見ていないから、「破壊の後にAIの神によって生命を管理するしかない」なんて具合に貧相でつまらんのだろうと思います。
しかし僕は対してワーグナーさんの「文明の行方に責任をもつ表現者としてどんな決断を下せるのか」という心意気にだけは感じるものがありました。
僕も昔は自分のマンガが、ゲームや映画になってワーグナーさん的なことをするのを夢想していましたが、今はそんなことをやっとる場合じゃないし、必要ないように思います。
けれども他にも色々勝手に思い浮かぶので、僕は自民公明維新希望党と民主党が消滅して共産党の名前が変わって山本太郎さんと連立政権になって米軍がアメリカに帰って、日本の政治や科学が変わり開発がなくなって自然の回復がみんなの仕事になったら、日本文化と経世済民のために歌を作ったり朝ドラや大河ドラマの企画をしましょう(笑)。
世界は僕たちがこの一度きりの次元で、どんなドラマををイメージするかにかかっているのだと思います。
なぜなら…と滔々と説明出来たら良いのですが、僕は科学者ではなくただのフリーターですので、以下、かなりいい加減で適当で脈絡のないことばかり言います。
「宇宙について語るのはなるほど難しいなぁ」と思ったのですが、湯川秀樹さんに擬いて、僕のお得意(?)の「あの世をもって多次元宇宙」とみなし「神さまをもって宇宙」とみなす同定をおこせば良いのだという気がしてきました。
そうすると「重力」とは、単にリンゴが落ちたり陰陽がひかれあう力ではなく、銀河と銀河、時間と空間、次元と次元、魂を中心に霊体と肉体が、宇宙と宇宙、マルチバース(多次元宇宙)がユニバース(一つの宇宙)に「重なる力」なのだと思います。
それを日本語はさりげなくあたりまえに表しているのだからおもしろいですね。
天地(あめつち)は インフレーション ミルフィーユ 層なんですと おかしなわたし
互いの心臓を中心に温かくゆれるお粥のように重なって、しかし同時に互いのずれ具合によって存在を感知しているのだと思いました。
それにしても、なんでこうも宇宙は食べ物めいているんだろう(笑)。
先生はラーメンの方が好きなのですか…?僕は麺ならわりと何でも好きだし、福岡は何でも適度にまぁまぁ旨いので困りますね。ただ僕はここ数年動物の肉は滅多と食べないので、ラーメンですとチャーシューは先生か、先生のお供の方(寺平さん?)に食べてもらうのかなぁ…などということばかりをここ最近は妄想しています。