幕末の天皇
更新日:9月11日

千夜千冊1091夜・歴象篇、藤田覚さんの『幕末の天皇』を読んで思い浮かんだことを書いています。
憲法違反をしている統一教会自民党が、勝手に日本の皇室典範を改正したと言っています。宮内庁も大多数の国民も、おそらく陛下もご納得されてはいないと思うのですが、麻生太郎の姪の彬子女王が、小児性犯罪者エプスタインと金のやりとりをしていた伊藤穣一や、平井卓也元デジタル大臣とともにブータンに行き、あたかも日本を代表しているかのような顔をして、人権監視団体が民族浄化にあたるとして、国際的にも問題視されている地域のスマートシティ開発の宣伝に協力したようです。これほど悪質な皇室の政治利用があってよいはずもなく、昨今皇室について様々な意見が色々な方から相次いでいるのもあって、ぼくはセイゴオ先生が、日本の天皇についてどのように考えていたのかを知りたいと思い、今夜はこの千夜を選びました。
幕末近くになって、日本には光格天皇が登場し、古代以来の王権を発揮しようとしました。その孫の孝明天皇もこれをうけ、黒船による外圧に抵抗して通商条約に反対したそうで、この本で著者は、尊王攘夷のイデオロギーはこの二人の天皇の存在によって波及したのではないかと推測しています。
しかしセイゴオ先生によると、明治維新が起こった裏側には、復古的な天皇の力を「掌中の玉」としたグループが、幕府解体と王政復古を抱き合わせたシナリオを巧み実行して、政治が自分たちの有利になるようにしていった流れがあったのだそうです。
―― 日本人は信長・秀吉・家康の話をしていれば日本を語っているつもりになっているようなところがあるけれど、その3人に匹敵するのが、藤田さんが指摘した幕末の光格天皇・孝明天皇・明治天皇なんです。よく「織田がこね、豊臣がつきし天下餅、食うは徳川」と戯れに言いますが、それに準(なぞら)えれば、光格が王権の復活を宣言し、孫の孝明がそれを王政復古のお餅にしたところを、すべて明治がパクッと食べたということになる。
江戸時代の将軍は今でいう首相ですが、幕末当時は天皇こそが元首でした。すべての公的な決定のハンコは朝廷、すなわち天皇が捺すことになっていました。
だから、もしうまくハンコをもらおうとしたら、当時は幕府側もそれなりの工夫が必要だったし、逆に朝廷側は圧力に屈しないようにすることもできたのですが、そのことが黒船以降の日米条約では大問題になった経緯が語られています。
幕府と朝廷のあいだには「将軍→老中→京都所司代→禁裏付(きんりつき)→武家伝奏→職事→議奏→関白→天皇」という「ハンコ・ルート」がありました。このうち伝奏と議奏を「両役」というのですが、幕末の日本に外圧が迫るにつれ、この両役と関白をどう握って、天皇にハンコを捺させるかということが政治的な課題になっていきました。
セイゴオ先生は今夜のお話しの中で、今はこのルートの半分以上を宮内庁が管轄しており、皇室側にシステムがないと話されているのですが、ぼくは今はもっと酷くなっていて、自民党統一教会政府によって、皇室は宮内庁ごと身動きが取れなくなっているのではないかと思います。
さて当時、光格天皇は国民にとってどんな天皇だったのでしょうか。そのヒントとなるエピソードが「御所千度参り」として紹介されています。天明7年の飢饉の際に、御所を囲む築地塀のまわりを毎日たくさんの人が取り巻いて、「御所千度参り」というのを始めました。民衆が天皇を神仏のように見て、飢餓を救ってほしいという声が集まり千度参りになったのです。
これを受けて天皇と関白と両役は、全国の貧窮の民に米や塩を賜る「賑給」(しんごう)ができないのかと幕府にかけあい、結果、朝廷幕府あわせて1500石の「救い米」を民衆にふるまうことになりました。20歳そこそこの光格天皇は「国難を救う王」という強い意識をもたれたようです。光格天皇は、古来の正統性を取り戻した天皇になりたかったようなのです。
ところで、日本には「大政委任」という見方があります。天皇(朝廷)は、天下の政(まつりごと)の権限を将軍(幕府)に委任しているのであって、日本を統治しているのは天皇だという見方です。この見方は徳川社会では伏せられていました。それでも当時は天皇家もそれなりの情報収集をしており、本書によると、アヘン戦争のことから日本の海岸にきた外国船のことまで、すべて知っていたようです。
光格天皇の孫にあたる孝明天皇は、黒船来航という軍事的な脅迫によりアメリカから押し付けられた日米通商条約調印を断固拒絶していましたが、幕府は調印をしなければアメリカから軍事攻撃を受け戦争になるだろうと見て、井伊直弼を登場させ、日米通商条約を結んでしまいました。
セイゴオ先生は「天皇制度を温存しておくというなら、ハンコだけを天皇に預けておくというなら、天皇が伊勢に願って戦争回避を祈っていようが、幕府やそれに代わる政治の実践者こそがすべての実務をまっとうすべきなのだ」と仰っています。ぼくも先生と同じく、国の実際は、政務機関が動かすべきだと思います。
それなのに、このあとの幕末最後のシナリオは尊王攘夷と公武合体をへて”王政復古”に向かっていきました。互いが”掌中の玉”――つまりは絶対的な権力を取り合って、それを実務に変えたのではなく、実際に王政復古をして、明治天皇を迎えました。天皇には政治的実務は何もできないことを知っていて、そうしたわけです。ここに幕末維新の奇妙な捩れがあり、その捻じれは自民党統一教会によって現在も続いています。
ぼくは麻生や統一教会は、藤原氏というより、むしろ岩倉具視と同じことをしているように思います。天皇家を政治利用して、彼らは自分たちの利益のためなら皇族であっても平気で殺してきたのではないかと思うからです。
天皇を"裸の王様"にしておいて利用しようという「掌中の玉」の岩倉シナリオと、薩長同盟のシナリオが同時に動いて明治維新は起きました。慶応2年の7月に将軍家茂が死んで、12月5日に慶喜が最後の将軍になった直後、12月25日に孝明天皇は36歳で亡くなりました。悪性痘瘡だという病死説と、岩倉具視が首謀者だという毒殺説があります。
石濱哲信さんが政経プラットフォームで言われた「(現在の)天皇(陛下)が本物なのか」というのは、おそらく孝明天皇(父)が暗殺され、睦仁親王(子)暗殺されて挿げ替えられたといわれる、イギリス王室が絡んでいるクーデターのことを指しているのだと思います。
この話は有名なので、ぼくも実は正直なところを申しますと、睦仁親王は殺され、大室寅之祐が明治天皇になってしまったのだろうと思っているのですが、ぼくは天皇というのは「日本という方法」なのだと思っているので、最終的には血(現代風に言うなれば遺伝子)よりも「天皇霊を降ろす器であるか」ということのほうが重要なのではないかと考えています。ぼくは大室寅之祐は西郷隆盛や山岡鉄舟ら、周囲の幕末の巨人たちの指南によって、天皇に「なった」のではなかろうかと思うのです。西郷や鉄舟がクーデタ―を知っていたかどうかぼくには分かりませんが、日本では「家」のために養子をもらうことはめずらしくなかったので、国家の危機に、この方法で応じるしかなかったのではないかと思います。
現代の日本においては、天皇制を自分たちのために利用しよう、あるいは潰してしまおうと考えている勢力の者たちも、血と同じくらい「育ち」が支配に関係すると考え始めたようで、皇室に自分たちの血を入れようとするだけでなく、いかにして日本の皇室を英国王室のように倫理的に貶め、単なる俗人的なセレブにしてしまおうかということを画策しているのではないかと思います。学習院を乗っ取って、思想方面から天皇というシステム(=日本という方法)を破壊しようという動きもあるようです。
もし男子でなくてはいけないという話が進み、悠仁様が天皇になったら、統一教会はプチエンジェル事件、あるいはエプスタインファイルを持ち出して、皇室を操るのではないかとぼくは考えています。これはエプスタインとモサドが英国王室に小児性犯罪と食人殺人をさせ、その画像や映像を使って脅し、操っているのと同じ手法です。ここで日本人の多くが、相手が権威や高貴な身分だからといって、事件を単にタブー視するようになっては、本当に統一教会に皇室が乗っ取られてしまうことになります。しかし反対に事件が明らかになった時、親の罪を子が被ることになるというのも、おかしな話だと思います。
ぼくは天皇霊というものは、この国と、この国の人々を心から信じる者、全ての命を大切にする者にしか降りないのではないかと考えています。そういう意味では、ぼくは麻生や統一教会の画策によって、他の家から(表層的な)男系男子を迎え、自分たちの奴隷として働く天皇を形だけ立てたとしても、「天皇霊を降ろした本当の意味での天皇」にはなれないだろうと思います。
陛下は、愛子様が器としての役割を果たせるように育てられたのではないかと思います。ただ、愛子様が女性天皇になられても、あるいは悠仁様が天皇になられても、皇室を乗っ取ろう、あるいは日本ごと破壊しようという連中は、ありとあらゆる工作を仕掛けてくるはずだと思います。そのときぼくら日本国民が、この複雑な構造を見抜き、日本という方法を守ることができるかどうかが問われているのだろうという気がします。
本当は陛下も宮内庁も国民も、売国奴が勝手に作った規則などに、従う必要は無いのではとぼくは思います。もし自民党を倒すことが出来たら、悪法を全部撤廃したい。しかし今は自民党の売国政策によって、国土を踏みにじられ、原発やミサイルが仕掛けられ、浙江財閥の工作員が跋扈していて、日本を想う者たちにとっては天皇家が、国民を想う陛下にとっては、国民が人質のような状態になってしまっているようにぼくは感じます。
新しい元号を「令和」とした中西進さんは、天皇陛下が身動きが取れず、政治に対して何もすることができない状態や、本当に国の未来を憂う人ほど中央から疎外されている状態を、大宰府に左遷された歌人になぞらえたのではなかろうかと思います。
ところで、ぼくは浙江財閥の作ったカルト犯罪集団であり、「日本はサタンの国」と言っている統一教会こそが、反皇室反日というだけでなく、アジアの悪魔崇拝(サタニズム)の総本山ではないかと思っています。また自分たちを救世主に見立て、自分たちの僕(しもべ)であるAIを神に見せかけて、人類をコントロールしようとしているテクノリバタリアンも、彼らこそサタニストだと思います。言葉ではなく行動を見れば、彼らは金をかき集めて、嘘をついて人を騙し、武器を作って売って戦争を起こし、子どもたちを殺しているからです。ゲーテが『ファウスト』で表現したように、金のためなら自然も歴史も文化も壊すし、人も殺すし戦争もするしという拝金教は、悪魔崇拝そのものだと思います。そしてAI企業は自分たちの僕であるAIを神に、統一教会は天皇を自分たちの僕にすることで、人類を奴隷化しようとしています。
ぼくはもし天皇という、方法日本がなくなってしまったら、本当に日本どころか、地球が滅びるだろうと真剣に考えています。
なぜなら、神道とは山や海、川や森、岩や木々、植物や石一つにも神が宿るとする信仰であり、日本各地の神社はそれら日本の自然を守る役割を果たしてきました。日本の自然が豊かで、日本人が豊富な水の恩恵にあずかれるのは、祖先信仰と自然信仰が分かちがたく結びついたこのシステムが、石清水や水分(みくまり)として各地の水を守り、ぼくらの暮らしの循環を支えてきたからです。ぼくは日本の天皇とはそのシステムを統べる祭祀王なのだ理解し、そんな日本のために祈りを捧げてくれる人がいることをありがたく感じています。
天皇がいなくなり、みなが祖先や山や川や海とのつながり、自然を敬い祈ることを忘れたら、それらを単なる消費物や商売の道具としか見なさなくなり、平気で大量消費し、廃棄物を捨て排水を垂れ流すようになるからです。その結果、水は枯れ大地はやせ細り毒されて、人が生きることもできなくなっていくのではないか。この状態の社会が、この方向に進んでいけば、食べ物も水もどんどん値段が上がり、人々は飢え死にし、わずかに生き残った者たちも残った恵みを取り合い争い続け、この地球を消費しつくして順番に死滅するのではないかと思うのです。
状況は今もかなり厳しいのですが、ぼくはとにかくできることをしようとう気持ちで生きています。そしてもしぼくたちが戦争を止めることができたら、拝金覇権争いを続ける浙江財閥やテクノリバタリアンの支配を終わらせることができたら、軍産複合体の支配から自由になることができたら、この国を取り戻すことができたら、ぼくたちはどんなふうに日本を再編集したいだろうかと、縄文文明的な世界モデルや経済モデルに思いを馳せています。
故郷や夢にふれたる稲の波



