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忠誠と反逆

  • 執筆者の写真: Hisahito Terada
    Hisahito Terada
  • 2024年11月4日
  • 読了時間: 6分

更新日:2024年11月7日




千夜千冊0564夜・思構篇、丸山真男さんの『忠誠と反逆』を読んで思い浮かんだことを書いています。

 

 

 10月末に14離企画会議があった。39回目のテーマは、セイゴオ先生と田中優子学長の対談を納めた『昭和門答』を共読し、感想を交し合うというものだった。

 この『昭和門答』という本は、セイゴオ先生が今までの本の中で一番と言っていいほど、政治について、日本の独立について強く言及してくださっている。

 例えばアメリカは、日本と中国に、欧米対ロシアの代理戦争をさせることを最初から想定し、世界覇権の地政学的な拠点として独占的に日本を占領するため、周到な準備の上でヤルタ会談をし、広島と長崎に原爆を落とし、ポツダム宣言を受け入れさせ、無条件降伏させたということなどだ。その後アメリカは知っての通り、日本での”成功体験”をもとに、民主化という名の侵略植民地化戦争を続けていった。

 この本では、先生と学長のお二人が、その博識と読書履歴とそれぞれの人生経験をもって、昭和をメインに日清戦争から「今ここ」までの歴史を縦横無尽に案内しつつ、天皇、憲法、東京裁判、日米安保条約、経済政策、民主主義など、アメリカの占領政策の施行とともに確定したシナリオと問題を日本人が自覚し、世界との関係の中で、そのつどの相対的な独立を果たしていくための方法を手渡そうとされている。 

 他にも「軍事技術や軍事産業と言うものと人間はどうやって向き合っていくのか、引いてはAIとかコンピュータとかインターネットも含めた技術産業と人間はどう向き合っていくのか。」という問いかけに、岸信介や「国際勝共連合」のことまで出ていた。

 

 14離のダイモーンさんは「フィードバックなき戦争」のエピソードから、日本の一点豪華熟練主義がアメリカに敵わなかったことをあげて、やっぱりマスには勝てないのかと呟かれたが、次に注目された「不確定性の科学に学ぶ」の章では、政治学とか地政学だけを見て政治を考えるのではなく「地球環境の動向すべてを視野に入れて、不確実なものを取り扱う方法を追究していくべき」とセイゴオ先生も仰っているのだから、ぼくもむしろこれからは『別日本でいい』で、田中泯さんが言っていたような「林立する少数の群れ」であることが、日本が生き残る道であるように思う。

 

 アメリカの動向に関しては、ぼくはトランプが大統領になれば、ハリス側やイギリスやフランスやカナダにいる軍産複合体が、悪事を行う拠点を東アジアに求めてくるのではないかと警戒している。また、竹中平蔵らグローバリストが進める民営化と夜警国家化による規制緩和で人体実験社会実験をして儲けるのは、国際金融資本の支配する大企業だけだと思う。現に今でも、世の中にとって良いものをつくっている会社ほど、潰されたり買い叩かれたりしている。だからカジノ維新が、独立と国際化を両立させる愛国右派だなどとは思えない。こうした話は、秋嶋亮さんの本が一番鋭く厳しい見方をしている。

 

 会議の後半はOさんがダブル・コンティンジェンシーについて、蟷螂の一生や、ファイヤー・ベントと野村泰紀さんの最新宇宙論や素粒子理論、アテンション・エコノミーによる意識の分断、清水博さんとセイゴオ先生の連塾のお話を混ぜながら、ぶっとび解説をしてくださった。

Oさん作の造語「アーティフィシャル融通無碍」や「相互誘導合致(パタパタメタファー)」のおかげでぼくも「虚に居て実を行ふべし」など、今まであまり掴めていなかった概念の解像度が鮮明になった。

 Oさんは他にも、「多読アレゴリア」の千夜千冊パラダイスで、千夜ビブリオバトルをしてはどうかなど斬新な提案をされていた。ぼくはバトルと名の付くもの自体が苦手なので、自分がそうした場に出るのは遠慮してしまうが、これからはイシス人と、まだイシスを知らない人とが、一緒に千夜の濃い知識を面白がれるようにしていく必要があるよねというOさんの考えに共感する。

  

 さて、今夜のお話では、セイゴオ先生が、昭和の知の巨人・丸山眞男が歴史の古層に眠る、日本の面影の奥でうごめく威力に触れたときのときめきについて指摘している。

 先生は長らく丸山眞男が嫌いだったが、以前マーキング読書をした『忠誠と反逆』を読み返したとき「稜威」につけたマークに気づき、高速の「再生」が起こったそうである。これぞマーキング読書の威力だ。

 先生は読者が大著に尻込みしないように、自分が丸山眞男を読めていなかったという気づきを述べたうえで、編集者の自分だからこそ推すことのできる、著者の思想の中で一番方法のセンサーが動いている「歴史意識の古層」について紹介してくださっている。

 

 ぼくは今夜のお話の中で、とくに「なる」「つぐ」「いきほひ」という動向の展開は、互いに屹立する両極が弁証法的に合一するのではなく、もともと「いきほひ」にあたる何かの胚胎が過去にあり、それがいまおもてにあらわれてきたとみるべきものであるという部分が心に残った。

 何かの胚胎というのは、例えば『昭和門答』の田中優子学長の場合で言うならば、自分の暮らしていた長屋の家が壊されて、イチジクの木が伐られたとき感じた「自分の大事なものが親の意思によって壊される。”これじゃない”という思い」のことではないだろうか。

 

 ぼくもずっと前から『昭和門答』で紹介されている藤原新也さんと同じように、経済成長を求め大国化していく日本を嫌だと思っていた。学長と同じように、子どものころから遊んでいた林や原っぱが、住宅やマンションや大型商業施設が建つことでどんどんなくなったり、海が埋め立てられたりすることがとても悲しかった。そしてイシスで学びながら色々なことを知っていくうちに「こちらの方向が正しい」と、国や大企業が次々と行う「開発」や上昇志向が、そこに暮らす人びとの生命や根っこを奪っていくことに気が付いた。

 だからぼくは今回「私たちは、なぜ競争から降りられないのか、国にとって、人間にとっての自立とは何か」という学長の問いと、国と個の独立とを重ねる見方に大いに刺激を受けた。

 

 単なる問題提起だけではなく、江戸時代の人々や、井上ひさしさん、石川淳さん、石牟礼道子さん、土方巽さん、志村ふくみさんら、昭和の作家や芸術家の中に残る、一度では紹介しきれないほど多くの方法を、ぼくはお二人から手渡された。

 たくさん抜き書きしたので、ほかの14離メンバーが注目したところは全部拾っていた。イシス人の平均からすると、ぼくはまだ読んだ本の量が圧倒的に少ないから余計新鮮だったのかもしれないが、この本はぼくにとって、セイゴオ先生の本や千夜千冊がいつもそうであるように、たくさんの世界と世界たちの扉を開くための、鍵の束のような一冊だ。

 

 君のいるマルチバースの星月夜

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