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千夜千冊1815夜、レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーさんの『思考と言語』を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1815.html 前回の14離の企画会議では、みんなで1636夜、正木香子さんの『文字の食卓』を読み、一人づつ好きな文字を選んで小噺をすることになっていたので、ぼくはマンガのフォントについて、千夜千冊に書いてある内容のほんの一部を、この千夜が書かれる前から偶然知っていた経緯を語った。
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日本のマンガ(主に少年誌)の吹き出しの中は、漢字がゴシックで仮名は明朝になっているのだが、ぼくは専用ソフトを持って無かった頃から、少年マンガの誌面を再現したくて、ずっと小塚ゴシックと小塚明朝を組み合わせて代用していたのである。しかしいざソフトを買って「アンチック中身出し」に近い「IOTアンチック」が使えるようになると、あこがれのフォントに最初は違和感を感じてしまった。ぼくは小塚書体に慣れ過ぎて、正木さんが「バターの文字」だという「アンチック中身出し」が胃もたれしたのかもしれない。
ぼくは小塚書体は飲み込みやすいが弾力もある麺類のように感じる。こういった他のモノでしか例えようのない「感じ」のことを、今夜のお話で紹介されている「ゲシュタルト(形態認知性)感覚」というのだろうか。
仲間の一人の「(こうした文字のグルーピングなら)お酒でもいけそう」だという発言に乗って、ついつい「文字のバー」なるものをプランニングすることになってしまった。話の勢いで「感門に出そう」などと盛り上がりはしたけれど、みんな忙しいのでどうなることやら分からない。ともかく今49破でがんばっている、ぼくのアニマ臨風教室出身の学衆さんや、当期の師範代のみなさんと一緒に走るつもりで、プランニング編集の回答を考えるだけ考えてみようと思っている。 今夜の主人公、ヴィゴツキーは帝政ロシアの末期から革命期を駆け抜け、37歳で夭折した心理学のモーツァルトだと言われているそうだ。具体的には精神科学のための理論的核心の見当をつけ、その理論を児童学習の現場にもたらしていくことを目指していた。 彼は「児童の学習プロセス」に注目したが、児童心理学の泰斗ジャン・ピアジェの理論に対しさまざまな疑問が湧いた。ヴィゴツキーは自分の疑問を解きほぐしていく過程で、子どもが何かを確かめようとする認識の「埒」の界域、「ZPD(Zone of Proximal Development)」というものが、学びを促進しているのではないかと気が付いた。 言葉は「内言(inner speech)」という、いわゆる心やアタマの中の言葉と、「外言(outer speech)」という喋る時の声をともなった言葉に分けることができる。 ピアジェは、児童の言語知覚はアタマの中での内言がある程度充実して、それから外言に出会って発達すると考えていた。しかしヴィゴツキーは外の言葉の刺激を受けてから内言が発達し、それが外に出るにしたがって外言ができあがっていくのではないかと予想した。子供にとっては他者や仲間がいる状況(社会)で何かがわかることこそが重要なのだ。 マスクによる脳の酸欠も大きな問題だが、大人がみなマスクをしていて他者の言葉が聴こえないことによって外言と出会う機会が減っていることが、子どもの言語知覚にも影響を及ぼしているのだろうか。会議に来られた武臨院の右筆も(15離では別番を担当された)、リアルタイムで仲間と一緒に学ぶ効果と、その人にとってのトリガーとなるような課題や知に「出会う」ことによる飛躍の可能性を語ってくださっていた。 コロナが詐欺でありワクチンが人体実験でしかないと知ってる人々は、なぜ自公統一創価教会政府の都合で5月までマスクをしなくてはならないのかと言っている。ぼくもなぜ電気代を脅迫材料に地方を植民地化することを正当化し、原発やメガソーラーや巨大風力発電の勝手な設置を推し進めたり、ケムトレイルや電磁波で大気と生態系を汚染している殺人独裁集団のプロパガンダなど聞かなくてはならんのだと思う。異常気象は莫大なエネルギーや資源を使うHAARPの気象操作によって起こされる。彼らのすることは全く人類のためにも地球のためになっておらず、本当は結局ただの金儲けに過ぎない。 セイゴオ先生は、「まねたいこと」(模倣)と「くいちがうこと」(差異)についての何かがわかる、ピンとくる「ちょうどいい距離」、発達心理を充実させる核心領域がZPDだと仰っている。「埒」においてこそ「エディティング・モデルの交換」がおこっている。開かない日本の埒をZPDこそが開けるのか。 火元の小坂方師に指南をいただきながら、改変された新たなお題を解くにあたって、ぼくらの間では「意識の貸与」が起きた。離のお題なので内容については言えないが、ニュースやドキュメンタリーまで、何が「リアル」なのか簡単に信用できない、騙そうと思えばいくらでも騙せる世の中において、オムニシエントな視点とオムニプレゼントな視点を交互に切り替えながらメディアを見て行くために必要な方法を学べたと思う。 仲間の言葉を自分の回答に転移させ、方師の言葉をもとにフィードバックを思考した。小坂方師の講評は「南」へ向かうための灯がはっきり見える「道」になっている。方師はそれぞれの次に届きそうな場所に見当をつけて、そこへ向かえるような言葉を放っているのだということが分かる。火を継ぎ受けた仲間同士が新たな道を照らすことで、相互融通が起きていると実感できる機会だった。 蝋梅やひかりあつめて香立つ