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千夜千冊1832夜、キース・デブリンさんの『数学 : パターンの科学 宇宙・生命・心の秩序の探求』を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1832.html ダメだ。やっぱり数字や記号の羅列からは、何も理解することができない。内容的にも(ぼくからすると)かなり難解になってきて、アタマから煙が出てきそうだ。しかし今夜のお話で、ぼくは今まで正体不明だった「数学とは何か」がようやく分かった!(…と思う) そうか。数学とは「型」なのか。数字とはパターンのためのトークン(代用品)だったのか。数を「数える」とは、与えられた集まりが含む「仲間の個数というパターン」を知ることだったのか。確率というのはパターンを探していたのか。数学のなんちゃらモデルとかいうのは型のことだったのか。だから寺田寅彦は俳句を作るのか…などなどなど。 すでに数学が分かっている人には当たり前のことなのかもしれないが、今夜のお話を読んで、ぼくはこれらの小さな発見に「ほうほう、ふんふん」といちいち興奮してしまった。 しかも数学というものの見方が分かったからと言って、ぼくに数学の問題が解けるようになったとか、計算ができるようになったワケでは無いのでなんとも不思議だが、セイゴオ先生のお話には、自分なりに納得しているのである。 今夜は数学の歴史についても学べたし、同時にリンク先の千夜から、さまざまなことを連想できた。 ジャン・ピアジェは「言語は幼児や児童のコミュニケーションの中で段階的に習得されていく」、つまりパターンというものは、成長するにつれて構成されていく(獲得されていく・憶えていく)ものだと考えた。一方「脳は文法を知っている」と言うノーム・チョムスキーは、人間は生まれながらに「型」をもっているはずだと考えた…ということなのか。チョムスキーは「パターンに支配された創造性」を、あるいは「創造の謎」をパターンによって解明し、手にしたかったのだろうか。 ぼくは普通の大人なら暗算で出来るような簡単な計算ができない。二桁になるともう、紙で一の位から一つづつゆっくり筆算しないと答えが出せない。だから子供の頃からずっと算数が嫌いで、数学のテストや試験や受験は他の教科と比べ、かなりストレスだった。学生時代はずっと「自分は算数が苦手なのだ」と思っていた。 大人になってバイトをしだすと、面接時に自分は計算が苦手だから裏方で働きたいと言ったにも関わらず、レジでの接客をさせられることがあった。おつりを間違えたり、緊張から他のことでもミスをして、しょっちゅう客から怒鳴られた。一人で客に謝りに行って道路に土下座したことなどもあった。ほかのアルバイトにもそのことをからかわれ、ぼくはいつもビクビクして、対人恐怖症気味になり、そのとき丁度祖父が亡くなって、母が癌になるという事態が重なり、マンガにも挫折して、引きこもった。
調べたワケではないから定かでは無いが、自分が算数障害かもしれない、ADHDなどの障害なのかもしれないと思ったのはずっと後のことだった。 そんな算数嫌いのぼくが「数学がパターンである」ということが分かっただけで、色々なことに納得できたのは、イシス編集学校で「型」を学び、ついでその「型」を使って何かを表現することに遊んできたおかげだろうと思う。 日本では今、不登校の子供が29万9千人いるという。授業にオンライン参加すれば登校とみなされる場合もあるので、幅のある他者との複雑な関係をじっくり築く機会が少ないまま大人になっていく子供は増えていくばかりだ。不登校めぐる東近江市長の発言が波紋となっているが、不登校約30万人、ぼくはハッキリ言って、これはコロナ詐欺パンデミックのショック・ドクトリンを利用した、売国デジタルファシズム教育(17:35)の当然の帰結だと思っている。 ぼくの甥は、一人が今不登校で一日中ゲームをするかYouTubeを見ていて、もう一人も休日は一日中、学校から支給されたタブレット端末でゲームをするかYouTubeを見ている。先日その甥の一人が高熱を発し、救急搬送された。 ケムトレイルで放射性廃棄物を撒いているのは知っていたが、その量が増えたのだろうか。先月は特にケムが多く、ぼくだけでなく、風邪症状の人が急激に増えた。甥はワクチンを打ってはいないので、ケムだけではなく、接種者からのシュッディングというものも視野に入れる必要があるのかと思えて来る。 5Gの周波数帯が、今までは3,7GHz帯・4,5GHz帯、28GHz帯だったのに、新たに4,9~5,0GHz帯も追加されたため、未接種者や2~3回しか接種していない人もさまざまな病気に罹るようになったという。ぼくの周囲の状況と照らし合わせても、この話は特に信憑性が高いと感じる。 先生も人生のセンスは何とどのように出会うか、それらのことを誰と語りあったのかということで決まると仰っているというのに、今の学校は、考える力をつけると言いながら、その出会いを検索結果に委ね、語り合う相手は教師でも友達でもなくAI任せるにという方向に進んでいる。 同じパターンの問題は学校だけでなく、あらゆる業界や組織や共同体、つまり社会全体で起きている。人間を育てているのではなく、まるでただ情報をインプットし、指示通りに効率的に働く製品を作ろうとしているようだ。だから欠陥品は障害の烙印を押され、製造ラインからはじかれる。 グローバリストが実現しようとしているのは、人間より能力の高いロボットを作ることによるシンギュラリティでは無く、人口を連中の理想とする人数に減らしたうえで、生き残った人間を劣化させ、ロボット奴隷として操作する超管理社会なのだ。 ある意味、一番豊かな人間関係を保ち続けてきた中東において、パレスチナの人々が、子供たちが、油田目当てのイスラエルと欧米軍産複合体によって殺されており、腐れきった日本政府はこの弾圧と虐殺に恥ずべき支援している。 ぼくは9・11とIS(イスラム国)とウクライナとパレスチナが同じパターン、一方、阪神淡路大震災と3・11東日本大震災と、コロナ詐欺パンデミックと、マウイ島火災が同じパターンだと見ている。前者はテロ組織を使って、国家や地域に軍事侵攻の言い訳を作り攻撃し、復興・開発と偽って植民地化、資源を略奪する。後者は自然現象に見せかけた電磁波などの攻撃や環境汚染によって人口を削減し、支配と管理を進めながら植民地化し、資源を略奪する。 そうだ。編集工学では「型」を学び、ついでその「型」を使って何かを表現することに遊び、 最後に世界観の中にいかに多くの「型」が組み合わさっているかを学ぶ。
空爆の死者を数える長き夜