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日本の数学 西洋の数学

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 千夜千冊1833夜、村田全さんの『日本の数学 西洋の数学 比較数学史の試み』を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1833.html  ぼくが小学生の頃は、そろばんの授業は数回しか無かった気がする。今はどうなっているんだろう。時々ニュースなどで、そろばん塾の達人的小学生がフューチャーされることがあると、ウチにもまだ姉ちゃんのおさがりのそろばんがあり、4歳の甥っ子のマラカスになっていることを思い出す。

 千夜千冊を読んで、ひさびさにぼくもそろばんを引っ張り出してみた。母はそろばんが使えるので教えてもらおうと思ったが、ぼくにできるのは1+2までだった。さらに+3すると、何が何だか分からない。もう少し真面目にしてみたら何とかならないかなと思って、解説動画などを見ながらしてみたが、「なぜそうなるのか」が分からない。多分「そういうもんだから」なのだろうけど、それが分からないことが気になってくると、どういう時にどう動かせばいいのかを上手く憶えられなくて混乱してくる。うーむうーむうーむ。

 果たして勉強し続ければ、今なら少しは分かるようになるものなのだろうか?しかし「そろばんが出来るようになること」は、ぼくがマンガを差し置いてでもやりたいことではないので、ここらへんで止めておくことにした。

 ただ一つ、小学生の頃とは変わった点があった。あの頃は計算もそろばんも出来なくて、クラスの中で一人きり置いてけぼりになったり、真っ白な答案用紙を提出したり、0点のテストを受け取るのが恥ずかしく、悲しいばかりだったが、今はあまりにも分からなすぎる自分がおもしろくて、ちょっと笑えてきてしまった。  今夜のお話は数学のことではあるのだが、数学の「歴史」なので、その流れ自体は掴むことが出来たように思う。文明の初期から、東洋においての数学は実用一辺倒で、時代を経ても器具含みの算術的リテラシーの範囲内でしか発展しなかった。東洋では基本的に、必要な場合に必要な算数が(計算が)できればそれでよかったのだろうか。  日本では江戸時代になると、関孝和や建部賢弘などの和算家と呼ばれる人々が「そろばん数学」を脱して記号代数を独創し、円理という解析学の体系を組み立てたそうである。  千夜本編にある和算の図形は、ぼくにとってはカラフルな変わったカタチの組み合わせではあるのだが、それぞれが何を意味しているのか全く分からない。ただ建部賢弘の「尽」と「不尽」の構想については、セイゴオ先生の解説によって、なんとか意味が分かったような気がする。 

 編集というのも、おそらく最後は「尽」と「不尽」のせめぎあいになってくるのではなかろうか。そこを先生は、ヴィトゲンシュタインについての千夜千冊(833夜)で名付けた「カタルトシメス」という方法によって結着(ケリ)をつけているのか。ブログを書いたりマンガを描いたりしているときのぼくも、そう言われてみるとたしかに「カタル」と「シメス」を切断しているようだ。マンガの場合セリフなどの文字が「カタル」、画が「シメス」、ブログの場合はリンクが「シメス」と思うといいだろうか。  問題はその「カタルトシメス」によって「どうケリをつけるか」だ。建部賢弘は、出たり入ったりしているということを観察から外さず、抽象化をためらいつつも、引き返さずに飛んで結着させるという。ぼくもそんな風に編集しているところがあるような気がするが、意識したことが無かった。まさか和算の方法を使っている(!?)とは…。加えて今夜はぼくのアタマの中でも、ヴィトゲンシュタインの理解が、少しばかり更新されたように思う。  甥が不登校になったのは学校の担任が主な原因であるらしい。友達とは今も仲良くしているし、幼い従弟の面倒を見たりしてくれるような優しいところのある甥が「あんな奴、先生とか呼びたくねぇし」と言うくらいなのだから、何か耐え難いことがあったのだろうと思う。そう言えば姪も、ある教師が、授業中にしょっちゅう「こんな簡単な問題も分からないのか」と生徒を罵倒してくるからムカつくと言っていた。

 そうした教師は、校長や親たちの前では、さも常識人であるように大人しくしているようだ。目上の者にはへつらって、目下の者に対しては自分の立場を利用し傲慢にふるまうことが、いかにみっともないか、誰からも何からも学ばなかったのだろうか。子供たちのナマの声を聞いていると、ぼくたちが学生の頃と比べて格段に酷くなっている様子で、何故そんな者たちが教師になれるのか不思議になってくる。

 しかし一方では、子どもの身になってくれる教師や、授業を工夫して努力している真剣な教師もいる。かといって甥の教師だけが、たまたまもとから先生と呼ぶに値しないような酷い人間だったというだけのような問題でもなさそうだと感じる。そこでぼくが先夜思い当たったのが、デジタル教育の推進だった。

 最終的にはAIが教師になれば大幅にコストカットできるというのが、竹中平蔵など、デジタル教育進派の考えらしい。今その前段階として、教師の器や倫理観や思想信条や哲学や人生観よりも、教科の内容や、学ぶ意義に対する情熱や、他者への優しさや忍耐力よりも、デジタルに強いかどうかのほうが優先されてきているのだろう。とても教師を人間としてじっくり育てようとしているようには見えない。だから教師も、生徒という製品にカリキュラム通りの情報がインプットされたかどうかを確認し、管理し、将来より効率よく利益を叩き出せるようになることを目指して、企業へと出荷することが仕事だと考えるようになっているのではないかと思う。そんなふうになれば、不足を抱えたり傷を負った人間は、欠陥品として切り捨てられていくだろう。  14離の集まりでは、先月はTさんが「二・二六事件」の映画を三本観比べ、映画とナショナリズムの関係や、「語りにくいものを物語として残す」ことの意味や効果ついて考察した。今月は二・二六からの、国柱会や北一輝といったシソーラスの広がりを受けて、Sさんが「法華=日蓮系在家主義仏教と昭和の超国家主義+新宗派の分派」について調べ上げて発表した。  イスラエルとパレスチナの問題にも通じるが、どんな宗教も創始者の思想から離れて、聖典の一面から言葉を取り出し、都合のいい解釈をして、自分たちの残虐行為を正当化することがある。Sさんは、だからこそちゃんとお釈迦さまの言葉を伝えていく人が必要だし、一人ひとりが読むということが大切だと言っていた。  またSさんは結集の難しさを感じたそうである。集まることで大きなうねりを起こせることもあるが、数を揃え力で押し切ろうとするうちに「意味」や「価値」の尺度を見失っては元も子もない。セイゴオ先生が時々ガウスの言葉を引いて「少数なれど熟したり」と言うように、たとえ小さな単位でもその場その時で最善を尽くす。ぼくもそのほうがずっといい。  「教師」や「先生」と呼ばれる人が本当にすべきは、これまで何があったか何が起きているのか、あるいは何が問題なのか、そして人生とは、世界とは何かを、自分が出会った多様な見方を通じ、教え伝えながら、生徒たちの成長を見守ってゆくことではないのだろうか。とくに日本においては、手の手続きがアタマの思索になっているいるならなおのこと、手間をかけることこそが人を、組織や社会を育むはずだ。

 少年の一念三千新松子

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