江戸の読書会
- Hisahito Terada
- 2025年11月30日
- 読了時間: 6分
更新日:2025年12月6日

千夜千冊1661夜・読相篇、前田勉さんの『江戸の読書会 会読の思想史』を読んで思い浮かんだことを書いています。
江戸時代の日本には「会読」という学習方法があった。一人の講師のもとに10人くらいの学習者が集い、同じ本をみんなで少しづつ読み、講師がその内容や意図を短く講義する。他のメンバーは質問をしたり疑義を挟んだり、要約を試みる。講師は適宜やわらかなコメントをしていく…というものだ。
「会読」をもっとおおらかなルールで現代版にすると、セイゴオ先生の提唱する「共読」となる。
今夜のお話の後半に、イシス編集学校の「離」を出身した千離衆による「文巻」の読み合わせ活動が紹介されている。ぼくら14離が毎月続けているのも、言ってみれば文巻の会読または共読である。ぼくらの場合講師がいなくて、それぞれが好きなことを自由に言い、関連する資料などをみんなで見たりする。
毎回ぼくは事前に一人でざっくり読み返し、離の回答をちこちょこ振り返って、今思うことや、問いをメモしておく、しかし当日メモしたことを全部話したりはしない。せっかくの月に一度の機会なので、みなさんのコメントをたくさん聞きたいと思っている。毎回アフロール艦長が映像を記録してアップしてくれるので、ぼくは後日聞き返しながら、おかしな目次(チャプター)っぽいものを個人的につくって、メンバーに共有するという遊びをしている。
今月の本のれんラジオの本来のテーマは「対話」なのだが、ラジオメンバーのみなさんも、千夜千冊で対話についての話を探すと、本格的な哲学関連の本が中心となるので、この『江戸の読書会』がピックアップされたのではないかと思う。他にもさまざまな本が取り上げられていたが、ぼくはオードリー・タンの本が紹介されていることに目がいった。多分来月イシスコミッションの鈴木健さんが、田中優子学長と対談されることに関連しているのだろう。
ぼくはオードリー・タン本人に関しては、まあ「いい人」なんだろうなと感じているが、AIを活用するデジタル民主主義に関しては、つまるところ「デジタル民主主義」というブランディングなのではないかなと思っている。
まずぼくは、デジタル民主主義では、AIが何百何千何万人の意見を集約して分析分類要約するらしいが、その過程でAIを操作して権力者に不利な意見や情報を、人々に気づかれないようにシャットアウトすることも可能なのではなかろうかと思う。
というのも、台湾政府は先のコロナ禍を、デジタル技術によってコントロールできたことを成功例としているが、それは「コロナ騒動はワクチンを打たせるためのプランデミックだ」といった情報を陰謀論=不穏分子として除外し見えないようにしたから、「成功しているように見せること」に成功しただけではないかと、ぼくは疑っているのだ。
本のれんでは
テクノ専制政治(AIが人間社会を統治):イーロン・マスクなど
企業リバタニアリズム(暗号通過。個人が自己利益を追求する格差社会):ピーター・ティールなど
デジタル民主主義(多元的な相互作用による自己組織化型民主主義):オードリー・タンなど
というふうに分類していたが、ぼくは個人的には、台湾政治はそれらは一体となったものなのではと感じている。つまり…
ポリス的な表面:「デジタル民主主義」
↑
表裏の両立を可能にしているシステム:テクノ専制政治による監視と言論統制
↓
オイコス的な裏面:企業リバタニアリズム
という構造になっているのだと思う。例えば、台湾はデジタル技術に欠かせない半導体のシェアで世界一を誇っているが、浙江財閥関連企業TSMCの半導体工場によって、河川の25%、農地の5%を汚染で失った。人工透析率は世界首位、肺がん率は北朝鮮に続きアジア第2位であるという。そのTSMCに、日本政府は国民の血税4760億を貢いだ上、かつてチッソの企業犯罪の犠牲となり水俣病に苦しんだ熊本に半導体工場を誘致した。しかもTSMC熊本工場は、半導体と生産工程が似ているというフェンタニルを製造し、日本から輸出させて多くのアメリカ人を殺した。
だから台湾のデジタル民主主義というのはオイコスを、台湾の地方や海外(日本)の地方といった”ベイントソンのエリー湖”に、押し付けて隠しているに過ぎないのではないかと考える。
すでに世界各国では、大手企業が持つビックデータをAIで解析し、ユーザーを政治思想ごとに分類し、そのグループをターゲットに洗脳されやすさでスコアリングして階層別に分類し、これまで投票に行ったことのない層を任意の候補者に投票させるという実験が、あらゆる選挙で大々的に行われているそうだ。
だからぼくは、これからの社会での民主主義について考えるなら、深田萌絵さんの一連の著作を読んだり、佐藤優さんとも縁のある苫米地英人さん本を共読するなどして、「認知戦」について学んでおかないと、簡単に政府の都合のいいように動かされてしまうのではないかと思う。
この一か月くらい起こっているのも、いわゆる認知戦なのだろう。壺市総理の支持者が多いように見せかける→国会での茶番質疑で台湾有事を煽る→SNSで壺市を批判したり、憲法や平和主義を掲げる人々を、「反日・左翼・中共・スパイ」扱いし誹謗中傷する→炎上している間に危険法案(スパイ防止法=治安維持法)通そうとする…といったことが起きている。
人によってはYouTubeやXの数字が操作されたり、投稿や動画が消されたりシャドウバンされたり、ライブ配信がつながらなかったりアカウントごと凍結されたりという妨害もしょっちゅう起きている。
共読やブックウェアと言えば、「別典祭」のオツ千は、ぼくもさやさやさんと同じく、ホズミさんの『嘆異抄』編集工学ver.をじっくり聞いてみたかったなぁと思う。
本のれんは、メンバーの方々が理想的な対話を模索するだけでなく、対話が成り立たない場合もあることもきちんと伝えていたのがぼくとしてはホッとした。また、「素読→講釈→会読」の流れを現代のシュチュエーションに持ち込むというアイデアがとくにおもしろかった。
ぼくはこうしてブログを書くことが、複数の人々との対話になっているようにも感じている。たまたまかもしれないが、先月のブログをアップした後、鈴木宣弘さんが政経プラットフォームに出演された。はるにゃさんのようなベランダ菜園派に向けて(?)そーやんさんが『失敗しないコンポストの選び方』の服部雄一郎さんとコラボレーションしていた(なにやらコンポスト部というものがあるらしい)。
ぼくはこの千夜を結構何回か読んだことがあり、以前は「掩巻」や「慎独」など本の読み方に注目していたが、今回は今年の「九州の千夜千冊」企画で横井小楠を担当していた縁もあって、会読を日本で最初に採用した藩校が熊本藩の時習館だったという一文に気づくことができた。会読によって、熊本は幕末に小楠のようなとんでもない傑物を輩出できたのかと驚いた。
セイゴオ先生も、今夜のお話の中で、治世や世直しや社会運動はことごとく本の読み方につながっていたのだと仰っている。今ならなおさらこんなに多様なメディアがあるのだから、TOLANDVROGにも出ていた奥野卓志さんのように、もっと異種配合的にネットワークをつくっていくのがいいのだろう。もっと本と本、人と人、本と人々とが、「横議」「横行」「横結」を起こしていったらいいのだ。良い本には世の中を動かす力があるのはもちろんだが、それに加えて大切になのが、ぼくらがそうした本をどう読むか、本を通じてどんな対話をしていくか、どんなブックウェアを仕立て、社会変革の風を孕むか、である。
星々の声を届けよ寒昴



