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千夜千冊・1746夜、ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガーさんの「状況に埋め込まれた学習」を読んで思い浮かんだことを書いています。
今夜のお話のテーマはISIS編集学校や「物語編集術」のことのように思われたのですが、コースや稽古の内容について一学衆のぼくが詳細を話すことは、大事な虎の巻を持ち出すみたいなことなので無理だなと思いました。
でもほんの少しだけ「破」の感想を漏らすとするなら、「破」でぼくは千夜千冊とはまた違った、今までに無い、普通の会社や組織ではできない濃密な言葉のやりとりをしている…のを実感しているということです。
もし感門の盟でお会いするようなことがあり、もし先生とお話しするような機会がありましたら、ぼくの書いた物語の「偶然が必然になった遊び」についてや、今夜の感想をお話したいものです。いや~、夢です。憧れです。
しかしこんな状況では、今から話すことがさっそく無くなってしまったような(笑)。代わりに何を話しましょうか。千夜千冊にはセイゴオ「ほんほん」という、先生と本にまつわる状況が掲載されているので、ぼくも最近の読書状況を書こうかと思います。
ぼくは今でも、小学生の頃から家にあった学習机でマンガを描き、パソコンをしています。マンガは最近今話のパソコン編集作業に入りました。ぼくはあまり机にちゃんと座って本を読みません。電車で移動中に読み、食べながら読み、歯を磨きながら読み、寝転んで読み、読んでそのまま寝ることが多いです。読んで寝るところは一緒ですね。
ぼくが読むのは専ら図書館の本です。家の本棚はどんどん増えていく親父の時代小説が占拠しており、ぼくは自分の本棚というものを持っていません。
以前は図書館で何を借りていいか迷って、結局料理本以外あまり借りないことが多かったのですが、最近編集学校の効果なのか、けっこう何でもパッと借りてみたり、本に引き寄せられて借りている感じがします。
例えば先日、気分転換しようと思って、オススメコーナーに立ち寄り、小川洋子さんの『科学の扉をノックする』を借りたら、1章で紹介されていた国立天文台の渡辺潤一先生の肩書きが「彗星学者」で、その紹介が妙に物語の主人公のことを言っているように思え、嬉しく感じました。
先日他には、俵万智さんの『サラダ記念日』と、副島隆彦さんの『陰謀論とは何か』を借りました。短歌と陰謀(笑)。読書初心者なので、有名な作品も読んだことが無いためか、取り合わせもキテレツですね。
副島隆彦さんの『陰謀論とは何か』は、ぼくがそもそも陰謀論とは何かがよく分からないので借りてみたのですが、ぼくの感じていることは、だいたいこの方の支持する説の通りでした。しかし副島さんからすると、一般的に考えられている「陰謀論」と、この方が研究している「権力者共同謀議」は正確には別なのだそうです。つまり
「陰謀論」=ありえないこと
「権力者共同謀議」=事実
と副島さんは分類したいところ、現状多くの人が
「陰謀論」=「権力者共同謀議」=ありえないこと=オカルト…と混同し忌避しているか
「陰謀論」=「権力者共同謀議」=(全部)ありうること…と思って
二極化している状況なのだろうと思います。
ぼくは副島さんと異なり、人工地震はありうると思っており、エイズ・SARS・鳥インフルエンザは細菌テロではなく、情報操作とワクチンによる殺人だと思っています。 しかしぼくは全ての異常気象が人工的な操作だとは思っていません。排ガス・排水による大気・水の汚染による海水温上昇などの環境による要因の方が大きいと思っています。この本を読んで陰謀にもグラデーションがあって人それぞれなのだと分かりました。
ぼくは初心者なせいか、「陰謀論者」という呼び方などはあまり気になりませんでした。
この本の最後はまさに今のことを言っていると思いました。
おお、そろそろ物語稽古に戻らなければ…!
そうそう、明日は母の誕生日なのです。
一年は短いけれど一日は長いと思っている誕生日(俵万智)