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千夜千冊・1750夜、「益田勝実の仕事」を読んで思い浮かんだことを書いています。
応募メールには「さしかかる前に」と書いたけれど、よく考えたら「さしかかりながら」描かねばねらないし、書かねばならないのだと思いました。
そしてぼくは、もしたとえ受かったとしても、そのことは家族には秘密です。今回の費用はもちろんぼくのバイト代から捻出するのですが、家族はイシスのことを何も知らないので、ぼくがこの代金を払ったと知ったら、ぼくと家族の価値観の違いから「金を払ってそれを受けることよって一体どんなこと(利益)があるのか。つまり就職が叶うとか出世するのか。」ということを問い詰められそうなので秘密にしたいのですが、そうやって秘密にしなきゃいけない後ろめたさがあります。
ぼくにも「寺田悠人の仕事」が必要なんだろうか…。「神さま仕事をください!」と思う時もあるし、「金なんか」と思う時もあって答えが出ません。
今夜のお話を読んで、ぼくは益田さんのことを知らなかったのに、その「武家が朝廷から征夷大将軍を任命され、その承認のもとに幕府を経営するようになった。だから天皇制度は征夷大将軍制度の変形(やきなおし)だ」という考えに、ぼくの考えがよく似てたことに驚きました。
それから、出雲の国譲りを会社の行方に例え、特にコトシロヌシを旧勢力、オオクニヌシを新勢力の出雲グループとしたられたのが分かりやすくて、「なるほど」と思いました。
しかしこれを現代日本の政治に例え変えたら、高天が原ってワシントンで、天孫一族って国際銀行家グループじゃないかという気もしてきました。でもぼくは逃げ去る日本の総理大臣にコトシロヌシの悲哀は感じません。どちらかというと永田町という社殿に鎮座し続けられれば、日本のことなんてどうでもいいオオクニヌシ?それは副総理か、いやいやそんな例えをしたら本物のオオクニヌシを祀る出雲の人々に失礼か…なんて考えが浮かんでしまいました。
とにかく支配者層金の亡者一族が、人形を操って、高齢者から順番にワクチンで殺そうとしていることだけは確かだと思います。ぼくは人形の首がどの顔に挿げ替えられても、事態は変わらないような気がしています。
コロナについては、少し違った意味ですが、ジョルダーノ氏の「⑤感染症の根本要因は僕らの軽率な消費活動にある」という意見に共感します。
なぜならぼくは、支配者層は、環境の悪化と資源の枯渇を恐れていて、「コロナ詐欺→ワクチン+5G」によって人口削減をしようとしているのだろうと思っているからです。そしてぼくは人口増加とそれにともなう軽率な消費活動によって地球がヤバイことになっているのは、実感として事実だと思っています。
ワクチン反対・トランプ支持者・環境悪化による気候変動は嘘だ という人もいるし
ワクチン反対・反トランプ・環境悪化による気候変動は嘘だ という人もいますが
「ワクチン反対陰謀論者=トランプ支持者=気候変動は嘘だと思っている無責任人間」というレッテル貼りは巧妙なやり方だなぁ、はははは(笑)と、感心はしませんが、そう思います。
ぼくは大統領も人形(だから民主党でも共和党でもシナリオが多少違うだけ)+ワクチン反対、+気候変動は事実(一部気象操作)ではないかと思っています。ぼくは全部が全部、「支配者の悪事だから自分の消費活動は世界に関係ない」という態度は都合が良すぎるというか、未来の生命に対し無責任なように思います。
でもぼくは支配者層のやり方は間違っているし、逆効果だと言います。
コロナ詐欺自粛で移動エネルギーの消費、大規模イベントのエネルギー消費は減りましたが、ネットショッピングに移行しただけで物質の消費量とそれによるゴミの量はかわりませんし、ネット・テレビの電力消費は増えたのではないでしょうか。相変わらず永久的に危険な廃棄物が出続ける原発を稼働し、肉食や畜産業の減少(とそれに対する補償)があったわけでもなく、過度の消毒などによる化学物質の消費、マスクや使い捨て手袋などの無駄な消費は言わずもがな。そして5Gにより人々の免疫力が低下しただけでなく、虫や鳥が死に、生態系そのものが劣化したり壊れたりしています。これの一体何が、どこが持続可能な地球のためのスマート化なのか。
人口を抑制しつつ地球の持続可能性を模索したいなら、ぼくだったら事情を話して協力してもらいます。今生きている人が食っていける工夫、今ある物で物事がおもしろくなっていく工夫をしながら、消費と廃棄の狂ったような贅沢をしなくても、手間暇をかけることを楽しむ価値観、みんなで幸せに生きれる方法を創発し、文化にしていくだろうと思います。同時に緑を回復させていく中村哲さんのようなやり方が相応しいモデルだと思います。
ともあれまず、この非常(異常)事態を乗り切るにはどうすればいいか…ですね。
今夜はたくさんのヒントを貰いました。
一つはやはり「日本の問題は日本でおわりではないのだ」ということ。「日本という方法」を用いるにしても、世界全体のあらゆる分野のことを考慮しなければいかないことがあらためて分かりました。
もう一つが「宥恕のアジール」。これが岡部さんとの「村」ことにしても、マンガという「想像上のアジール」にしても必要な共同体形成のヒントなのだと感じました。
そして「モノ神の未知の能力を引き出す」こと。
今夜のお話で、ぼくが三度会った風の名前が分かりました。一度目は3・11の揺れの直前昼寝をしていたとき、二度目はその少し後「日本を知らなくてはならない」という焦燥に駆られ、伊勢から奈良を通って京都を旅したとき、三度目は先生とみなさまと本楼であの「どこにもない遊び」をしたときです。
二度目のとき、ぼくは奈良の三輪山に行ったのです。誰もいなくて、ぼくと天地だけでした。狐の嫁入りなのに、あの風で傘が壊れました。
何故こんなことが起こるのかよく分かりません。しかし今は、何かぼくが為すべきことがあるのだろうと信じるしかないと思っています。けれども自分だけそういう運命めいたものがあるのではなく、誰にでも起こり得るものだと思います。
ただ、その別様の可能性に、ひとりひとりが気づいて動くしかない。
だからこそ、そのちっぽけなひとりとして、ぼくも動くのだ…と思いました。