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神と翁の民俗学

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada



千夜千冊1141夜・歴象篇、山折哲雄さんの『神と翁の民俗学』を読んで思い浮かんだことを書いています。

 

 

 ぼくの母方の祖父は戦争で片足を負傷して、それが原因で母が小学校4年の頃に亡くなったそうである。だから山辺の祖父の思い出は無い。

 海辺に住む父方の祖父は近所に住んでいた。ウチは母が働いていて、ぼくら姉弟は鍵っ子だったので、ぼくが小学校低学年のころまで、祖父は夕方家に来て留守番をしてくれていた。とくに一緒に遊んでくれたわけでは無いが、ぼくが時代劇を描いたのは間違いなく祖父の影響である。祖父の部屋には池波正太郎を中心にたくさん時代劇小説があって、いつも時代劇の再放送がかかっていた。Peaceの煙草と、甘い紅茶やドーナツが好きで、英語やフランス語が喋れる、ちょっとハイカラな翁だった。

 

 一昨日は久々にさちふくな翁・Tさんのお宅で飲み会となった。Tさんは酒好きの神で、日本各地の美酒を紹介してくれる。この日は酒盗と木村さんの奇跡のリンゴをアテに(かなりおかしな組み合わせだが)、下戸のぼくは小さいお猪口でちびちび飲んだ。Fさんの奥さんや、友達のマクロビ料理家さんが、湯豆腐と自家製ドレッシングのサラダ、手作りのガンモドキや茸ポタージュ、大豆を混ぜ込んだおむすびなどを持ってきてくれて、よい素材の、とても美味しいおかずをたくさんご馳走になった。

 

 話題はいつも通り、料理の作り方から選挙の裏話、ケムトレイルからUFOまでざっくばらんである。

 どの政党もすぐ、福祉の問題をパイの取り合いにすり替え、老人対若い世代という対立に持ち込もうとする。若者には子育て世代や学生を支援すると言いながら、老人ホームに行って認知症のお年寄りから半ば強制的に票をかき集め、当選すれば彼らをワクチンの実験台に使って殺すのだ。政治屋は自分たちの非道を誤魔化すために、お年寄りが邪魔者であるようなイメージを社会にすり込もうとしている。いつか自分たちだって年老いて死ぬというのに、その頃には至れり尽くせりの介護をしてくれる全知全能のAIを搭載したロボットが、金で買えるようになる予定なのだろうか。

 

 最近はワクチンを打つ人が減った分、大量の有害物質をケムトレイルとして撒いているようだ。日本の異様な暑さも線状降水帯もゲリラ豪雨も、気象操作に加え、メガソーラーの熱と上昇気流、原発の高温排水による海水の温度上昇によるものだろうとぼくは考える。

 朝倉では過去豪雨があったとき、砂防ダムが決壊し人が亡くなったというのに、政治屋が土建屋と組んでふたたび砂防ダムをつくり、護岸工事で川を塗り固めてしまった。今回の選挙でも自然破壊を復興だとか言って、自分たちの手柄にしている壺教自民のくりはら渉という議員が煩いらしい。

 Oさんによると、昔ダムに反対していたが、それを大声で主張することもなく、ただ子供たちに川に触れてもらい、自然の大切さを学んでもらおうという教室を開いていた地元の人が、ある日家ごと火事になり焼死体で見つかるということがあったそうだ。おそらくダム利権で儲けていた壺教自民に関係するヤクザか半グレに殺されたのだろうと思う。

 どこもかしこも壺まみれの不正だらけなので、ぼくは日本の永田町とマスコミがやっていることは、もはや政治だとは思っていないのだが、高菜漬けづくりの名媼・Oさんのお母さんはずっと、堤かなめ議員を応援しているそうだ。どこの政党も信用できないが、議員自身はごく真面目な人の場合もあるので、上っ面ばかりのゴタクを並べていない人間かどうかを、よく見極めたい。

 飲み会では他に、参政党を作って辞めた吉野敏明という人のことや、子供たちの胎内記憶を集めた絵本のこと、古神道の健康法などが話題になった。Tさんがぼくが昔描いたアマテラスやスクナヒコナの画を、大事に飾ってくれているのがとても嬉しかった。ぼくは久々に占いをした。やっぱり仲間と飲むのは楽しいものだ。

 

 今夜のお話は、日本の神仏について、仏が若く神が老いているのは何故なのか、著者である山折哲雄さんの、おもしろくもあやうい仮説をもとに「翁」についての思索をめぐらせる。この本が出版されたのは湾岸戦争に突入した1991年である。サイバーパンクなど「バーチャル・リアリティ」という概念が普及する一方で、「コミュニケーション不全症候群」が社会問題として取沙汰された。千夜千冊が書かれた2008年に、日本で秋葉原無差別殺傷事件が起きたことと何かがリンクしているように思われる。また、翁を人間のお年寄りとして見ると、08年に後期高齢者医療制度が開始され、75歳以上が対象となったことが浮かぶ。

 宗教史と思想史の専門家である山折さんは当時、神仏習合・本地垂迹・神本仏迹・神仏分離・廃仏毀釈をはじめとした、日本の社会文化の根底にかかわる問題を切りくずそうとしたのだが、セイゴオ先生は、この本と社会を切り結び、「神さび」し翁も、若き「仏の化身」も見失った日本に、その面影を再生させようと試みたのではなかろうか。

 

 自分で言うのも変だけど、今夜のお話を知った上で『侍JOTO』を読むと色々と不思議な発見がある。侍JOにはかなり色々なタイプの翁が登場するのだ。

 例えば先夜(1141夜)のお話にも稲荷神が出てきて、鳥居に付随して「天の鳥船」というものが紹介されたが、稲荷といえば侍JOでは、香具師の元締めの、鷲鼻の九兵衛という翁のもとで働いていている政吉が、子分の太助とともに稲荷寿司を売っていたりする。ちなみに九兵衛の表向きの生業は「舟宗(ふなそう)」という船宿である。

 

 連載の終盤、吉野様と万右衛門と林先生が出てくるところは「式三番」の三人の翁舞になっている。それで思わず、はて誰が白式尉・黒式尉・父尉なのか、「法身・報身・応身」なのかなどと考えてしまった。さらに後々「二翁・一稚児」になるというのも、そういうつもりでしたわけでもないのに、その通りになっていてちょっと吃驚する。

 無意識のうちに、ぼくも翁モデルを求め、どんな風に年老いていきたいか、そのヴァージョンを編集し、増やしたかったのかもしれない。もっとカッコイイ翁・媼になりたいと思う人がフユと良いなと思ったりする。

 

 ぼくはあえてフリーターに身を「やつし」ているわけではなく、ただ落ちぶれているだけなのだが、編集学校に入ってしばらくしてから、自分が「ほかいびと」っぽいように感じるようになった。要するに、編集術を学んでもぼくは変な人間なのだけれど、そのまま自分らしく居られるようになった気がする。それは地元の仲間との間柄や、イシス編集学校という共同体が、ぼくのようなちょっと変な人間を受け入れるだけの器や、互いを称え合うサイクルやステージ(祭りの庭)を持っているお蔭だと思う。

 マレビトはきっと他にもたくさんいるはずだ。だからもっと複雑多様に“メシア”の役割を分かち合い、代わっていくとおもしろそうだ。

 

赤に黄に紅葉染め抜く山の風

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