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第77回感門の盟

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

 イシス編集学校「第77回感門の盟」について書いています。ギリギリ分かる人にしか分からないようにしようと思って書いていますが、差し障りがあれば消そうと思います。 

 感門団に入れてもらったけれど、ぼくがあまりにも特に何の技術もないため、手伝うというよりも、子どもが社会科見学をしているようなものでした(汗)。

 コロナについて、ぼくは誰がどこまで知っているのか分かったような気がするのですが、それでもまだ人数は少なく、ヤバイ状態が続いているんだと感じました。


 色々な人に声を掛けられ妙な気分でした。「そうか、みんなZoomで観てたからか」と分かると、今度はこそばゆい気分です。ぼく自身はほとんどの人に初めて会ったような感じでした。みんな親切で気持ちのいい人たちばかりです。

 同期の別の院のHさんの身長が高くて驚きました。周囲の人々と度々「ネットとリアルの感覚の違い」についての話になりました。初日の前半は心細いので、暫くHさんにくっついて行動していました。

 38守「ちょんスイ」で、感門テクニカル班のT田さんと再会しました。T田さんに元氣に肩をたたかれました(笑)。彼は多分知ってるのではと思います。「師範代に早く来ないと」と言われました(苦笑)。

 先生が受付に降りて来たとき、Hさんが緊張で後ろにズズズと下がったのがおもしろかったです。ぼくと彼と二人どちらともなく、先生が「(恰好が)気合入ってるね」と言ってくださり嬉しかったです。「うさと」の服をさとううさぶろうさんに貰ったので、そのお返しとして、うさとの宣伝のつもりで着て来て良かったです。

 リアル感門団のお手伝いをするも、ほとんどの仕事はぼくが来る前に済んでいて、単にお弁当を食べながら感門を楽しみに来たみたいになってしまったようで恐縮です(汗)。

 K右筆やK別当がわりと早く来られ、3FでK別当、Hさんと歓談しました。T別番とは名前トークで盛り上がりました。K別当は天才肌なだけでなく、心遣いや気配りが行き届き、柔軟で迅速な方でした。ああこれこそがイシスの火元師範代なのだと、しみじみと感じました。

 しばらくしてぼくの院のK別当方師、K別番が来られました。K方師が「お腹が空きすぎてお痛い」と言っているのが、高校生の頃のぼくみたいでおもしろかったです。3Fまで階段で急いだのか、マスクで息が苦しそうだったのがちょっと心配でした。

 ブレイクアウトは大人数だったのでワチャワチャしました。同じ院のIさんがテキスト参加だったので読み上げたりして場の編集をしました。T沢さんをみんなで応援して、なんだかぼくらの院らしい「自由」を感じることができました。

 式はオープニング映像で感動してしまいました。表沙汰の映像を編集し直して音楽をつけただけなのになぁ。S本さんと「演出の力ってすごいですねぇ」などと言い合いました。

 ぼくはもしかしてと思いスピーチを用意したのですが、見当違いの内容を準備していたので全く役に立たなかったです。ぼくはもっとああゆう場で、相手に応じて話すための編集稽古を積まないといけないなと思いました。もっと仲間のことを話すべきだったのに言葉が出なかったのが心残りです。

 式自体は幸せな時間でした。いや、大変な宝物をいただいて今も幸せです。

 火元のみなさまに本当にマガジンを喜んでもらえたことが、ぼくは嬉しくてたまりません。あの瞬間のみなさまの様子や笑顔を、記憶の奥の大切な思い出をしまう場所に刻みたいです。

 夜はお弁当を食べる時、別の院のO右筆と隣になって、マンガや家族のことを色々と話すことになりました。ちょっとした人生相談のようでした。やっぱりさすが火元。自分の創をもとに「普通の大人の常識」とは違った見方を貸してくださり、心に明るい火が灯りました。

 一日目の帰り道はK別番と一緒になりました。またまた、今度はマスクをしているK別番の息が苦しそうで心配でした。多分言って大丈夫なので言えばよかった。気が利かなかったです。


 韓国文学の話になったり、別の院のOさんと一緒になって、院の違いについての話になりました。Oさんの院のK別当は凄い人ですが、その素晴らしさとは別に、ぼくはぼくの院でなければ、このようにはなれなかっただろうと思いました。ぼくはぼくの院が好きです。

 二日目、わりと早く起きたのに、実は昨日の余韻に浸りすぎて電車を間違え、快速に乗り川を越えてしまいました。ビックリして焦りました。うっかり寺田あるあるです。

 Zoom班でもタイピングが遅く、ますますあまり役には立てなかったです。トイレにあった忘れ物を届けたり、隣で作業していて色々教えてくださった47守のT師範代(?)が電磁波について知っており、ぼくのグッズに興味を示されたので紹介するぐらいしか貢献できませんでした。

 二日目のブレイクアウトは周囲の音が入るのと、電波が届きにくいということがあって、なかなかZoomに入れなかったです。ポケットWi-fiがあると安定するそうですが、あれの電磁波はかなり身体に悪いです。


 二日目の夜は終わった後、物語の女の子とお話しました。彼女は自分の事故の要因をよく分かっていて、そのために落ち込んでいる様子でした。

 また、別の院のWさんとHさんとOさんと、本楼の隅で井戸端会議みたいに膝をくっつけて、イシスについて、今回の感門について、講話の指摘から刺激を受け、突っ込んだ話し合いになりました。とくにOさんがK別当に言われたことをシェアしてくださって、色々ごつんと来ました。

 

 どのくらい来たかというと、帰途突如呆然としてしまいました。ぼくはホテルに帰ってホロホロ泣きました。講話のところどころが表紙からイメージされていたと分かっていました。だから今まではイシスと離れるのが寂しくて涙していたのですが、今回は同じ切ない気持ちでも、今までとは全く違うことを感じていました。

 そしてぼくはめそめそしている場合ではありません。コロナのこと、マスクのこと、日本がどれだけヤバイか、主に別の院の方々に言えなかったことを悔いています。みなさまはぼくよりも何倍も頭がよく、人生経験も豊富なだけに何と言っていいか分からなかったです。しかしなんとかしなければならない。

 帰りの便で思い浮かんだのですが、「子供服」というと幼児~小学1年生くらいまでの年齢向けのものは、凝ったデザインで素材も良いものがたくさんあるのですが「3年生あたりから中学生ぐらいまでが着るものが無い」と世の中のお母さんたちは結構嘆いています。ぼくは教育の充実にも同じ側面があり、その年齢に向けたものが手薄になっているので「無いもの」だと思います。


 またこちらはお楽しみ要素なのですが、両院マガジンチームの女性陣から、裏表紙の絵やFさんの絵が入ったMグッツ(トートバックなど)を作りたいという話が出ています。O総匠も裏表紙の絵を気に入ってくださり大変嬉しかったです。他にも映画を通じた勉強会や、共読会をしようという話があります。


 感門に参加したことで、ぼくにも色々気持ちの変化が起きました。まず、ちょっと自分の本棚が欲しい。そしてS学匠にも花伝を勧められているのですが、マンガを描きお届けしたいということもあり、これから何を最初にしたら一番世界を変えられるかという「断点」で迷っています。

 とにかくこれからマガジンをキッカケに、同季の両院でいきなり動き出します。

 ぼくらはPMSを30人にします。



Fさん作ミニ火元

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