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5月初旬に、セイゴオ先生が監修された、近江ARSのプロジェクトのプロジェクト・ブック、近江ARSいないいないばあBOOK『別日本で、いい。』が刊行されたましたが、ぼくはいいなぁと思いながらまだ購入できていません。先日花伝寄合からお知らせがあって、朝日新聞のサイトへの先生の寄稿から、ようやくその一端を知ることが出来、先生は近江をひとつのモデルに、「ARS(アルス)」という方法によって、別様の可能性をひらき、セカイを語り直そうとされているのだということが分かりました。
「近江ARS TOKYO」がどんな様子だったのかは、守の教室でご一緒した黒膜衆のTさんが撮った写真などで見知ったのみです。一体どんなことが起きたのかな。当日の何日か前に夢の中では、ぼくの作った歌をUさんの演奏で、ドリアン・ロロブリジーダさんが歌ってくれていました(笑)。
最近、今働いている会社の、ぼくの所属する部署が、預金通帳的な都合で外注になることが決まりました。新しく入る別の会社に雇ってもらったとしても、時間帯が大幅に変わり勤務しにくくなるので、ぼくは転職することになるかもしれません。ケムトレイルだらけの日本の空模様のごとく、どうなることやらという感じです。
マンガはペン入れまで終わったところです。ぼくは下描きなら下描き、ペン入れならペン入れと、作業ごとにまとめて進めていくので、ペン入れが終わったら背景を入れていくことになります。キャラクターたちに感謝をしながら描いていきたいと思っています。
マンガに加えて、この度イシス編集学校のエディットツアーをすることになりました。もとは14離で何かするつもりだったのですが、色々逸れたり、「EDEX-編集工学・社会実装プロジェクト」でしようと思っていたことと混ざったりしながら、企画が相互編集されていき、地元でちょっとした編集ワークをすることになって、地域編集へ向けてようやく最初の一歩を歩み始めた感じがしています。色々な機関とコンタクトを取ってみて、思わぬ良いリアクションがあったり、けんもほろろに断られたりと、一歩進んでは…という感じではありますが、新しい経験なためか、何でもが面白くて、飄々と進んでいけます。
穂積さんが作ってくれたエディットツアーの旗のデザインに、テンションが上がりました(完成が待ち遠しい!)。
他に共読ナビの仕事も始まり、今年の夏は忙しくなりそうです。
こないだのAIDAオープンの影響を受けて、佐藤優さんの『十五の夏』を読むことにしました。分厚いから時間がかかるかと思って、とりあえず前編を借りたのですが、あまりにもおもしろくて、7~8月の間に少しづつ読むつもりが、ほぼ徹夜で一気読みしてしまいました。ぼくは社会主義についてよく知らないので、佐藤さんと先生が仰っていた、黒田寛一という人の本などを読んでみたいなとも思っています。
先日は14離の会議で曳瞬院&センセン隊のSさんが、山本貴光さんについて色々と編集語りをしてくださったのですが、最近ぼくのパソコンは、Zoomがすぐ切れてしまうので、とぎれとぎれにしか聞くことができませんでした。しかしSさんがしっかり準備されていたおかげで、聞き取れたわずかな部分だけでも相当におもしろかったです。たとえば書籍や概念など、すでに編集されたものをツールとみなし、距離を取って歴史的現在に落とし込む…という方法は、ひょっとしたらぼくも意識せずに使っているのかもしれません。ぼくが考えてみた「言払い」も、ある意味お金というものを遊び道具とみなして生まれた発想なのだろうと思います。
会議の後半では、Оさんがインボイスや租税回避地のことを挙げて「グローバル&中央集権って、多様性&ローカライズが嫌いなんだろうね」と言われて、グローバル化や中央集権化による社会の歪みの実例を挙げるというのをやってみたら、離の火元組のUさんが喜んで離のお題に追加する(?)のではないかと言っていました。
グローバル化の社会の歪みは色々あるけれど、姪の将来のこともあり、今ぼくが気になっているのは、日本の大学において、日本の大学において、外国人留学生が優遇されている一方、日本の学生が借金地獄に陥っていることです。
『カンタ!ティモール』では、グローバル化や中央集権化を指向するアメリカと日本の軍産複合体は、インドネシア軍を使って東ティモールの村を焼き払い、女性に危険な避妊薬を投与し子供が生まれないようにするといった、人口削減のための弾圧や圧政、虐殺をする一方、インドネシア人を東ティモールに大量に移住させることによって、土地を乗っ取り、共同体を解体し、資源を搾取していました。やり方は違っていますが、今度は日本人がワクチンや食品添加物や遺伝子組み換えや放射能や電磁波によって病気にされ殺され、流産も増え、増税と物価高、次々と出される悪法によって生きている人々も追い込まれています。政府は労働力と称して大量の移民を入れることで、東ティモールにしたことと同じことをしたいようです。
新聞の記事から、言い淀んできたことを本気で吐露することによって、敗戦・占領以来、日米同盟の一角の国になりきった日本が、欧米型のグローバルスタンダードに向かうだけになって、「異」を唱えることを怖れた状態に風穴を開けたいという先生のご決意が分かり、チラッと拝見できたご本の写真に散りばめられた言葉の端々からも、近江という「うつわ」に結集した人々の熱気が感じられて、やっぱりこれは本を手に入れて、じっくり読んでおかないといけないと、あらためて思いました。
ぼくの暮らす地域では、すでにコミュニティを活性化させようとしている団体があるらしく、ぼくはその方々とこれから協力できないだろうかと考えています。活動は盛んな様子なので、それをもっとぼくの近所のほうにも広げると同時に、活動の背骨となる理論的な構築があると良いのではないかと思います。彼らとイシスがコラボレーションできたら最高です。
実際に本を読んで、もっと一つ一つの(Oさんの言うところの)言葉の解像度を上げていかないといけませんが、ぼくも仏教的多様性(不可思議)をARSとして捉え、芭蕉の「虚に居て実を行ふべし」をモットーに、「世界たち」を重視しながら、思索とエクリチュールと技倆を磨いていくことが、JAPANSの立脚点になっていくのではないかと思います。
今回はエディットツアーを作り上げていくプロセスの一端が、ほんの少しぼくの世界を少し広げてくれました。
ビオトープいっぱいの空飛ぶ目高