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線が顔になるとき

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada



 千夜千冊1841夜、ティエリ・グルンステンさんの『線が顔になるとき バンドデシネとグラフィックアート』を読んで思い浮かんだことを書いています。



 ぼくは顔が歪んでいた(まだ歪んでいるのかもしれないが…)。「歪んでいた」というのは、実は耳鳴りと頭痛対策として整体に行ってみたら、顔の歪みが治ったというか、顔つきが少し変わったような気がするからである。以前から歪んでいるなぁ、嫌だなぁと気になってはいたが、男が自分の顔のことを気にするのもなんだかなぁと思って放っていのだ。そうしたら頭痛にも関係していると分かり、ついに対処せざるをえなくなったのである。


 Tさんに診てもらって、ぼくは毛細血管が硬くなり、白質、赤血球の状態がよくないことが分かった。血液やリンパの流れが滞って、肩・首・頭部がガチガチになっているのだと考えられる。頭部が腫れているような感覚もあり、ひょっとしたら脳腫瘍ではないかと一時は不安だった。

 ならば整体がいいのではないかと思い、キャンペーンをしていたところに行ってみたら、これがとても効果があった。整体の先生によると、身体の痛みや不調は、ストレス→身体の歪み→循環と回復の滞り→身体の痛みや不調→ストレス…という悪循環構造になっているらしい。ぼくの場合、今回はスマートメーターの電磁波が、発症のトリガーだったワケだが、メーター以前からの5G電磁波の影響もあったのか、身体の片側に緊張が溜まって歪みが生じ、組織が酸欠になったり、血液・リンパの流れが滞って、主に頭部が硬くなっていた。頬杖をついたり、片側でものを噛んだり、片側を下にして寝ていたという癖から来る歪みも、不調に拍車をかけていたようである。整体の先生に30分程度の施術を受けると、頭部の片側の腫れが引いて驚いた。

 その後Tさんのお宅で新年会があったので、「Tさん健康図書館」から、整体やツボの本を処方してもらい、ぼくは最近、東洋医学の北の横綱・ツボ押しを推しまくっている。


 もはやいつものことだが、話が逸れてしまった。そうそう。ツボを押しているうちに、左右で歪んでいた顔のパーツの位置が、平行になってきたような感じがするのである。健康のことを抜きにすると、癖や歪みというある種の個性が薄れたのがよかったのかどうか、ぼくはわからない。あまりにも整った状態を求めようとすると、何もかも健全にコントロールしようとする感じがして嫌だが、整体に行ったことで整形を止める人は多いようだ。


 今夜のお話は、マンガ家たちがどのように「顔」に挑んできたかを実作例にもとづきながら、半ばグラフィックアート史ふうに、ときどきは芸術論ないしは思想的に紹介したものだが、ぼくの知らない西洋のマンガ史を知れて勉強になった。

 マンガなどを描いている身としては、先生が補強してくださった冒頭の顔の歴史も興味深く、バンドデシネ (band dessinée)の潜在マンガ工房「ウバポ」(Oubapo)、潜在的言語遊戯工房「ウリポ」(Oulipo)に見立てられた千夜千冊図版作成チーム「千駆千嘨隊」(せんくせんしょうたい)のお話、そして特に先生の「顔」語りがおもしろい。


  子供のころからぼくはマンガのキャラクターの顔に夢中だった。すでにマンガを描いていたので、流行りのプロの絵を写したり真似たり、今思うと、そこから自分の好きな目鼻、顔の形を探しながら編集していたのかもしれない。

 しかし先生と同じく、人間の顔の造形自体には、あまり興味が無かった気がする。今でもそうだが、とくにぼくは人の顔を憶えるのがとても苦手で、特に美人やイケメンがみんな同じ顔に見えてしまうらしい。

 対してイシスの人々(イシス人)は、芸能人でもないのに、みんな顔もキャラクターが立っているというか、似顔絵にしやすい顔をしているように見受けられる。ぼくは似顔絵や自画像を描くのが苦手なのだが、イシス編集学校では、その人の情報である顔と性格や考え方などのキャラクター情報が、相互同時に丁度いい塩梅で入ってくるためか、略図的原型に落とし込みやすい感じがする。もしかしたらイシス国自体がベデ(BD)的世界観を搭載しているのかもしれない。


 そのようなイシスの仲間と、どんなふうに社会実装のための編集実験をしていったらいいか、ぼくは迷っている。体調不良で不在のうちに先行していたEDEXのプロジェクトは、もう少し軽い感じかと思ったら、けっこう会社的というか、ちゃんとした仕事的だった。恥ずかしながら、スレッドを見るまでは「作曲がしたいです!」とか「友達のお店が売れるようになるにはどうしたらいいですか~」とか、勧学会的に言おうとしていたら、雰囲気が違っていた…。ぼくは会社で社員として事業を立ち上げるというような経験が無いので、どう入っていいのか、何を言ったらいいのか、ノリがつかめない。こうしたときリアルに会えたらもっと話が進みやすいのだろうか。

※こちらの絵は、14離の退院式の記念に、両院の仲間とともに、火元組へ贈った冊子にぼくが描いた、ミニ・セイゴオ先生である。


 「虚にいて実をおこなうべし」をどうやったらいいか。ぼくがブログで書いていることとEDEXをどうつなげたらいいのかも、よく分からない。たとえば今の日本(植民地)のあっちと、こっち(別様)について、ぼくなりのシソーラスを連想していくとこうなる。


●あっち

SDGs 持続可能な「開発」 NWO 世界政府 超管理社会 テクノクラート専制主義 全体主義 AGI ワンヘルス ダボス会議 WHO WTO 『1984』『マトリックス』『ブレードランナー』 ブレーンマシーンインターフェイス(BMI) スマートシティ スマートメーター スマート農業 5G6G電磁波 ID2020 マイナンバー 小児性犯罪 児童人身売買 CIA ワクチンパスポート 気象操作 人工地震 指向性兵器 虐殺(ジェノサイド) 在日米軍 日米地位協定 人口削減 デザイナーベビー 遺伝子組み換え ゲノム編集 人為的食糧危機 炭素クレジット 世論操作 ショックドクトリン デジタルファシズム デジタル教育  


●こっち

多極的 多様な文化と価値観 ローカル 無農薬無化学肥料の循環型有機農業 在来種 自然栽培 杜 里山 農村 都市というより町の連なり 小さなコミュニティ 寺子屋 地域通貨 コミュニティ通貨 大福帳 贈与システム  


…と、ザっと分けてみることはできるが、特に「こっち」に関して、ぼくは自分の興味の強い分野以外の言葉をあまり挙げられていない。

 また実践とはどういうことかという問題がある。例えばツボならツボを押してみるところまで行けば実践だけど、ぼく自身は畑の手伝いを時々することはできても、母や友達のようにまではできそうにない。とりあえず里山を潰して電磁波テーマパークを作ろうという三菱のアホ事業を終わらせるために署名しておこ


 ぼくだけのことにしても、やりたいこと、やってみたいこと、なんとかしなければならないと思っていること、やるべきことがたくさん増えてきて、いっぱいいっぱいになっている。イナ・シーガルの『体が伝える秘密の言葉』によると、電磁波に加えて、このいっぱいいっぱい状態が頭部へのストレスになっていた面もあるようだ。一体どうしたらいいのだろう。


やりたいこと…マンガを描く

やってみたいこと…作曲

なんとかしなければならないと思っていること…友達の店、社会の様々な問題

やるべきこと…学び(千夜千冊・おっかけ&ほんのれんラジオを聴く、読書)


『侍JOTO』についてはテーマ曲も作詞作曲した。また去年は「なつという女(ひと)」を描きながら、なつさんのための歌というか曲を頭の中で作ったので、実際の音楽にしてみたくて、電子ピアノとパソコンをつないで作曲するにはどうしたらいいかを調べて、部品などを買ってみたが、父が亡くなったり色々あって、そのままになってしまった。ずっと前に先生にノートでお渡した歌や曲を、実際に聞けるようにして、いつかお届けできたらいいなぁとは思ってはいるのだが、タイミングが難しい。イシスには梅澤さんや上杉さんなど音楽家の方がいるので、機会があればご一緒に何かできたらと憧れるが、あんまり話したことが無い。しかしお二人ともそれぞれまったく異なる魅力を放つ素敵な御仁だ。


 友達の店に関しては、まず友達当人と話さなくてはならないのだが、新年会で会いそびれた。社会のことは、ぼくはどういうスタンスで接していくべきなのだろう。このまま、そのままブログで行くか。ほかに何か道があるのか。

 おっかけ千夜千冊&ほんのれんラジオも、今まだ聴くのが遅れている。がんばらなければいけないが、またどうしようもないほどの体調不良に陥ってもイカン。こうしたときぼくは、このタイミングのズレも、天からの采配と思うことがある。


 ぼくにとって自分のマンガのキャラクターたちは、分身というよりは、ぼくのなかに在る、境界を越えた他者であり、命だ。彼らは顔を描いているうちに名前が降ってくる。描くことは招魂であり、名は音連れだ。


『侍JOTO』の小夜さんという深川芸者のキャラクターは、宇江佐真理さんの『髪結い伊三次捕り物余話』に出てくる「お文さん」から大まかなイメージを発想したが、彼女の性格なり活躍場面を想像しているうちに、黒や紫の着物が似合う、愁いを帯びた流し目の顔と「小夜」という名前が浮かんだ。時を経てセイゴオ先生のレジスタンス仲間であり、ミューズである山口小夜子さんを知って、名前ばかりか、お顔の特徴までどことなく小夜さんに似ていることに気が付いた。有名なモデルさんだから、ぼくも幼少期にどこかで山口小夜子さんを見たことがあって、小夜さんの顔を考えたとき偶然その記憶が蘇ったのか、暗黙知的に肖っていた。神さまは時々粋なことをなさるものだ。


 唇をひらく間もなく小夜時雨

 


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