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聖と呪力の人類学

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada



 千夜千冊1848夜、佐々木宏幹『聖と呪力の人類学』を読んで思い浮かんだことを書いていす。

 

  

 一体何を書くべきか迷ったが、「嘘がなくとも、白状しなければならない」としたら、誰にも理解されないとしても、ぼくが体験したこと、感じたことを書いてみるしかないのだろう。

 

 今夜のお話は「憑く」とは何なのかを、セイゴオ先生が古今東西の憑霊(トランス状態)を参考に案内されている。とくに沖縄のノロやユタ、そして十代天皇の崇神(ミマキイリヒコ)によるヤマトオオクニタマ(倭大国魂)の遷座に焦点をあてて、日本の聖と呪力を中心に読み解いている。

 

 先生が「憑く」とはどういう現象なのかが気になりだしたのは、田中泯さんとインプロヴィゼーションをしていた70年代半ば、よくトランスする者たちに遭遇したことがキッカケのようだ。

 

 ぼくは大勢の人がいる場所でトランス状態になったことは無いが、ぼくが三次元的に初めて先生とお会いしたのも、田中泯さんと先生の『意身伝神』というパフォーマンスを観に豪徳寺へ行ったときのことだった。ほとんど即興のように感じられる公演で、土方巽さんを偲ぶための不思議な夜だった。

 泯さんたちの踊りが終わった後、ぼくはマンガのファイルが入ったUSBを先生に贈った。夜食交歓会に誘われて、先生が天むすを指して「これは何かな」と言ったので、ぼくが「天むすです」と言った。天・ムスヒ(結び・産霊)。神様は時々こういう妙な戯れをする。Nさんのはからいでぼくは先生と泯さんの前の席に座ることになり非常に緊張した。

 何を話したのかうろ覚えだが、泯さんに「人は何度でも生まれ変わっていいんだよ」という言葉をいただいた。ぼくは挫折続きの人生なので、そういうふうに言ってもらえて嬉しかった。

 明け方になってセイゴオ先生があることを言われて、ぼくの進む道が照らされた。

 

 それから守を受講したけど、先生と話すような機会はめったにあるわけではない。あったとしても、先生の前に行く度、ぼくはしどろもどろになってしまい、まともな会話などできなかった。

 個人的には引きこもりの状態から、徐々に外に出て、人とコミュニケーションが取れるようになり、マンガを描いたり、接客のバイトを始めたりしたが、日本の危機的状況を知るにつれ、気持ちばかり焦った。そこで千夜千冊を読んで感想を書くことで、先生と話すつもりになってみることにした。言ってみれば「擬き」だが、本当に問・感・応・答・返が起こりだして、周囲にも広がり、それがずっと続いている。

 千夜千冊を読んでいると、どうしようもなく泣けてくることがある。今夜は岩田慶治さんの『草木虫魚の人類学』(0570夜)と柳田国男さんの『海上の道』(1144夜)に参ってしまった。一体どう感謝したらいいのか分からなくて、ぼくはずっとジタバタしている。

 

 編集学校の「守」の学衆だったころ、ブログを通じて、先生に歌を贈りたいと伝えたら、夢の中で呼ばれた。そこで本当に豪徳寺へ行ってみたら、先生は不在なのだが、何かみなさんが協力して、ぼくに何かを暗示されている気配があった。Sさんが歌詞と曲のノートを受け取ってくださった。上空だけ三輪山に行った日のように風が強く吹いていた。

 ぼくは何が何だかよく分からなくて、とても寂しかったのだが、昔はお寺で修行を希望する人が門前で一日立っていると中に入れてもらえたという話や、柿本人麻呂の千夜千冊(1500夜)、Tさんから聞いた太陽を直視する方法を思い出して、日が沈むまで立って太陽を見続けた。あの時は一種のトランス状態になっていたのだろうか。結局先生には会えずに帰った。ここらへんの記憶は途切れ途切れになっている。

 

 ぼくは上京していたころ、一度三輪山に行ったことがある。

 一人暮らしをしてバイトをしながらマンガを描いていると、どうしてもマンガを描く時間が少なくなっていくので、2011年、ぼくは日雇いのバイトに切り替えるために、今までのバイトを3月12日で辞める予定にしていた。そして3月11日になった。人工地震の直前だった。昼寝していると、窓の外に髪を振り乱し大きく手を広げたシルエットが現れて、物凄い風が吹いてぼくの身体が浮き上がった。また変な夢を見たと思って、落ち着こうとココアを飲んでいたら、地震が来た。

 

 ぼくは一旦帰郷し、その時のマンガの担当編集者さんへの義侠心みたいなものから東京へ戻った。あの頃は多くの人がそう思っていたのだろうけど、ぼくも日本のために何をしたらいいのだろうと考えながら、同時に『侍JOTO』を描き始めようと準備していたので、取材のつもりで伊勢と奈良と京都に行った。その途中に三輪山に行った。

 なぜだかあの日山を歩いていたのはぼく一人きりで、周囲には誰も見えなかった。雨上がりで、恐ろしいほどの風に弄ばれ、身体が右に左によろめいた。持っていた傘が玩具みたいに壊れた。

 

 それからぼくは「日本を何とかしたい、世界を変えたい」という危機感を抱えたまま、「破」を受講して、「離」へ行き、花伝所を通って、アニマ臨風教室の師範代になった。

 今は共読ナビをしながら、マンガを描き、メダカの世話をし、今年の夏に開催するエディットツアーの準備をしている。何か新しい仕事を探さないといけない。こっちは食い扶持なので、ぼくに出来ることなら何でもいい。ただマンガを描きながらイシスの活動をしながらできる仕事が要る。

 

 東ティモールに「ルリック」があふれているように、ぼくは日本でもぼくと同じように不思議な夢を見たり、偶然とは思えない出来事に遭遇したり、幽体離脱をしたり、宇宙人(霊的な存在)と会ったりしている人と、わりとよく出会うので、自分がさして特別だとは思えない。ただ何故自分がこうした体験をするのか、その意味を考えさせられる。それがマンガを描いたり、ブログを書いたり、何か行動を起こすときの課題や目的に影響を及ぼしている。


 本当は誰もがそうした存在なのではないだろうか。そんなのはオカルトだとか病気だと思っている人に起こらないだけなのではないか。もしくは起こっていても気づかないか、そうでなければ、みんな異常者扱いされるのが嫌で、他人に話さないだけなのかもしれない…などとぼくは思ったりする。

 

 ただ、電磁波自然破壊によっても、日本から世界からアニミズムが消失していっていると感じる。東ティモールのシャーマンは、人々が大地を敬う心を失ったとき、多くの人が死に、世界が滅ぶと言った。ぼくはそれをみなさんと一緒に止めたいのだ。

 

 蜻蛉生まるまた明日遊ぶ風の中

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