肥満と飢餓
- Hisahito Terada
- 2025年10月31日
- 読了時間: 8分

千夜千冊1610夜・世走篇、ラジ・パテルさんの『肥満と飢餓 世界フード・ビジネスの不幸のシステム』を読んで思い浮かんだことを書いています。
ついに九州の千夜千冊『九』玄氣玄英影号が届いた。「ぼくの九州同舟制」冒頭から、なんだか泣きそうになる。ナカノさんもきっと万感の想いだろう。セイゴオ先生のドキュメントや田中優子学長の寄稿、イシスコミッションの方々や太田総匠、先生と縁のある方々の「わたしの九州の一冊」など、盛りだくさんで見どころ満載だ。一応ぼくの図解も載ってる。各本の紹介文は提出前に何度も確認したのだが、こうして紙の本になるとまた別の喜びがある。先生、九天のみなさんとイシス編集学校の、乾坤一擲です。
10月の本のれんラジオは『今日なに食べるー「食=商品」を問いなおす』というテーマだったので、ラジオ放送の中でメンバーがチラッと口にした、『肥満と飢餓』を選んだ。
ぼくは料理したり美味しいものを食べるのが好きなほうだ。よく料理番組を見たり、料理本を読んだりする。でもそんなに外食はしないし、料理上手というワケでもない。どちらかというと一人で食べるより、誰かとお喋りしながら食べるほうが好きである。ただ今回のぼくのブログは、人によっては読まないほうがいいかもしれないことを先に言っておこう。
今夜のお話では、WTO(世界貿易機構)が大企業に有利なアグリビジネスを促進したことによって、各国の農業や食文化が破壊され、肥満と飢餓が同時に拡大しているという問題がとりあげられている。
セイゴオ先生は「自分を数値化するのがイヤ」なので肥満には関心が無かったが、肥満が食品害や貧困と結びついているとなると、その動向を文明思想や社会思想として考えなければならないと思われたそうだ。
ぼくも自分が数値化されるのは嫌で、体重などは自分がこれでいいと思えばそれでいいのではないかと思うが、ぼくの周りには、健康や食に関してやたら詳しいTさんという、ちょっと不思議なおじさんや、自然栽培の農家をしているOさんなどがいるので、「飢餓と肥満の文明」や「バイオキャピタルの文明」に色々と言えることはあるかもしれない。
今夜のお話は冒頭、2003年の9月10日、WTOの閣僚会議で、韓国進歩的農業連合の主導者であるイ・キョンが、グローバル・キャピタリズムによって多くの農民が農場をを失ったことに対する抗議のため「WTOは農民を殺す!」と叫び、自分の胸を突いて自害した痛ましい事件が取り上げられている点が印象的だ。
韓国と同じく日本の農業と食の現場も、自民党政府の、長年のコングロマリット(多国籍複合企業)追従政策のせいで危機的な状況に陥っている。
特に最近は、本のれんラジオでも紹介されている鈴木宣弘さんが、食糧危機やコメ問題を、元農水大臣で弁護士の山田正彦さんが、遺伝子組み換えやゲノム編集や農薬の問題を訴えておられ、今はぼくらや生産者が求める食品表示のための裁判を検討している。
今、水道民営化で日本の水を外資に売り渡そうとしている麻生の手下の壺一内閣は、日本の米を減産しながら米を輸入するというあからさまな売国政策を行っている。日本人から水を奪い、農家の方々が一生懸命作ってくれた米を海外に安売りし、日本人には残留農薬米やプラスチック米やゲノム編集米を食わせようとしているのだ。先生はこんなことになるずっと前から、ヴァンダナ・シヴァさんの著作を中心に、たくさんこの手の本を読まれ、米や水、遺伝子組み換えなど、食に問題意識を持っておられた。
本のれんラジオが、前半フードテックを特集し、昆虫食の話や、情報を攻殻機動隊みたいにインプットするといった話になったときは、大丈夫かなぁと心配してしまった。
政府が特にコオロギ中心とした昆虫を国民に食べさせたいのは、人類をAI端末化するための人体実験をするためである。草薙素子みたいになれる、そんな夢の技術なわけがない。コオロギはワクチンに入っていたグラフェンを体内に堆積する。グラフェンは人体を電池化させる。政府は国民をAIの命令を盲目的に聞いて動くだけのバイオロボットか、『マトリックス』的な人間電池にしたいだけである。
最近オツ千ライブでニック・ランドの『暗黒の啓蒙書』が取り上げられ、林頭が結構はっきりと暗黒啓蒙や加速主義の問題点を取り上げていたが、ぼくも…というか、ぼくは以前からシンギュラリティやらトランスヒューマニズムなんてのが嫌いだ。そういうのはSFとして観るからおもしろいのであって、そんなお前らの勝手な欲望を現実化させるために他者を犠牲にするなよと思っている。もっとはっきり言うなら、ぼくはワクチンと5Gの人体実験によって知人や仲間が殺されたことに、ずっと憤りを感じている。
だからオツ千のお話に全体的には共感しているのだが、ぼくはSDGsと、政府の政策に反対するデモ行進とは、(ぼく自身はまだデモに参加したことはないけれど)参加している当事者の方々からすると、全く別物なのではないか思う。特に昨今の農家さんによるトラクターデモや、北海道の環境破壊や売国政策に対して知事のリコールを求めるデモ、移民による迷惑行為や犯罪が不起訴になっていること、中国人による日本の土地や水源の買い占めに端を発する反移民デモなどは、一揆に近いやむにやまれぬ抵抗なのだと感じている。そうした人々を排外主義者とかレイシストとレッテル貼りして、受け皿をつくりそこねたために、多くの人が都民ファーストだの日本人ファーストだの、権力を握るまで救世主のフリをする口だけエセ愛国者(右も左も壺グローバリスト)に騙されてしまったというのが現在の状況なのではなかろうか。
いや、SNSの情報がコントロールされているだけで、信者の数などは相当盛られているのかもしれない。Tさんから借りた、深田萌絵さんの『米中AI戦争の真実』が、AIによる言論統制の技術的な背景をかなり詳細に説明してくれている。
アメリカは中国共産党と”台湾浙江財閥の中華マフィアに支配された日韓”を戦わせたいのではなかろうか。そうして東アジアが勝手に戦争をして人口削減してくれれば、グローバリストは大喜びだろう。だから今起こっていることは、本当は左VS右でもなければ国同士の戦争でもない。多くの人に小泉竹中以降何も変わってない自民維新売国壺一と、野党壺谷などとの茶番劇から目を覚ましてほしいと願っている。
ラジオであまり取り扱われなかったのが、畜産や漁業関係だ。ぼくは10月の初め頃Tさんのお宅に行って、恒例となってる掃除&お片付けをし、Fさんの奥さんが炊いた栗ご飯をご馳走になったのだが、その時も食に関する色々な話を聞いた。
ぼくはコンビニが廃棄食品を豚や鶏などの餌にしていることは知っていたが、廃棄業者によっては、わざわざ弁当箱から取り出したりビニールを剝がすのは面倒だから、そのまま粉砕してドロドロに加工し食べさせているとは知らなかった。マイクロプラスチックと言えば魚類のイメージが強いが、つまりコンビニ弁当や安い出来合い品、冷凍食品やカップ麺やファストフードを食べるということは、大量の食品添加物や共食いさせられている動物だけでなく、弁当容器などのプラスチックを食べさせられている動物を食べるということだ。
魚も漁獲量が減ったのでゲノム編集し養殖…という流れになっているが、その養殖に使われる化学薬品が、海洋汚染を引き起こしているという悪循環を知らない人は多い。
色々なことを知るほど、ぼくはそういうものを食べなくなった。子供のころとか、知らないうちはマックのバーガーを食ったこともあるので、ぼくも人肉を食わされてしまっていたのかもしれない。こんな酷い世の中なので、もうファストフードを信用してない。
でも、家族と暮らしているので、何もかも自分の意思を通すことはできないし、体に悪いものを食べることもある。結局タイトルにあるように、ぼくらが「今日何を食べる」かが、この世の不幸も幸福も作っているのだ。
本のれんは後半は、中村桂子さんなどを取り上げていて、土や大地に根差し、生産者や自然に感謝するという方向に行こうとしているのだなということは伝わった。
ニレさんやサヤサヤさんが言っていた話もよく分かる。自然栽培農家のソーヤンさんが言っていたが、人が手を加えない森は暗くなってしまうので、適度に人や動物が空気や光が入るようにしていくことが大事なようだ。ぼくも人間が自然とともに暮らすには、人間の出す排泄物などの有機物、それ以外のゴミ(金属やプラスチック)をどうしていくかということまで考えないといけないのだろうと思う。
それにしてもはるにゃさんの作物は「虫がつくのに肥料不足で育たない」とはどういうことなのだろう。詳細が分からないので何とも言えない。ぼくのところの畑も昔は虫がよくついていた。最近は土ができてきて、苗との相性が悪くない限りは、そこそこ色々な作物が育つようになった。ウチは野菜くずなどの生ごみは(全部ではないが)、カラスに掘り起こされないよう、畑に深めの穴を掘って埋めている。
最後うめこさんを中心に、作る人視点も入れてくれたのも良かった。ぼくの母は老人ホームでお年寄りの食事を作っていて、正規の仕事に加え、栄養士さんが企画して老人食堂を開き、近所のお年寄りに、低価格でほとんど手作りのお弁当を提供している。市から出るが雀の涙程度の補助金と、定年した職員によるボランティアに支えられなんとか運営している。ラジオでは機械の技術が上がれば、流動食のお年寄りも普通の人と同じメニューが食べれるよねという話だったが、地方の老人ホームには最新の高価な機械は導入できない。でも母たちは、歯が弱いお年寄りのご飯も、他の人と同じものを一つづつみじん切りにしたり、おかずごとに分けてミキサーにかけて提供している。全部人力でしている。母たちはただのパートだが、自分たちで畑をして、作物を老人ホームの食事に使うこともある。
Oさん、Tさん、Fさんの奥さんに母、周りにこんな人々がいて、ぼくはつくづく幸せ者だと思う。今日も命をいただきました。ごちそうさまでした。
月色の栗飯を食む秋を食む



