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膜は生きている

執筆者の写真: Hisahito TeradaHisahito Terada

千夜千冊1795夜、日本化学会編の「膜は生きている」を読んで思い浮かんだことを書いています。 https://1000ya.isis.ne.jp/1795.html  情報を整理しておくと、ロシアとアメリカ勢(国際金融勢力)が敵対しているように見せかけて、戦争を引き起こしたいらしい。一番危険なのがEMP電磁パルスなどによるインフラの破壊だという。オーストラリア政府も中国と同じく少数民族や国民を弾圧をしている。世界中で大規模なデモなどの反対運動、科学者や医者や民間人の抵抗活動が続いている。  もうテレビの言っている「コロナの死者」=「ワクチンの死者」であると断言してよさそうだ。ワクチンの問題の成分とは「スパイクタンパク」ではなく「グラフェン」であり、一連のワクチンはmRNA遺伝子を改変するのではなく、「ナノプロセッサー」と「グラフェン」という物質によって、人間をWi-Fiに接続する。目的は殺して減らして残った少数を管理することであり、そのためにイスラエル下のデジタル庁は、位置情報と個人情報と生体情報を紐づけたい。  「スパイクタンパク」による「ワクチン後天性免疫不全症候群(VAIDS)」説は、グラフェンと5Gの関係に気づいてない人間を引っ掛ける目的があるのではないかとぼくは推測する。製薬会社と傀儡政府を一時的に切り捨て、通信や軍事とワクチンの関係、電磁波やデジタル化とワクチンの関係に目を向けさせないための陽動作戦だ。  ただし日本人向けのワクチンにナノプロセッサーが入ったものは今のところ無いか、ほとんど無いか、はじめから無いのではないかと思われる。ロシアンルーレットであることは言うまでもない。成分と濃度と個人の健康状態の違いによって、障害者になる場合もある。  5G電磁波の観点からすると、製薬業界や医療業界だけでなく、通信会社、5Gタワーを設置してきた企業グループも関係している。下請け業者や一般の社員は騙されている可能性が高いが、健康被害や生態系への影響を無視してきた上層部は確信犯なのだろう。  それらの企業から多額の献金をもらっている政治家や政治団体を名乗る犯罪者団体が、憲法を変えてワクチンという名の毒物を強制接種させることを目指している。選挙も単なる数字を発表し、シナリオ通りの嘘をテレビで流すだけで済む。彼らは自分たちが捨て駒だということに気づいていない。そんな彼らに従うことを止めなければ、やがて全員殺される。問題はどうやって止めていくか、どうやって離れていくかなのだと思う。  中学生までは歩いて登校していたので、冬は霜焼けに悴(かじか)んだ手を温めながらマンガの絵を描いていたものだ。今夜の千夜千冊は、そんな寒い日にセイゴオ先生がお母さんにホットミルクをいれてもらったという話から始まる。ホットミルクにできる皺のような薄い膜は、牛乳成分中のタンパク質が加熱によって温められておこるラムスデン現象(Ramsden phenomenon)による。日本の「ゆば」も同じ現象でできているらしい。ぼくは牛乳の膜は苦手で、湯葉は多分食べたことが無い。豆乳料理をすると、ぐちゃぐちゃしたそれらしきものができるけど、あれも苦手だ。  今夜のテーマはそういった「膜」。編集学校にいると、必ず膜の重要性を学ぶこととなる。なぜかというと、世界は膜だからだ。くわしくは本編を読むのがいい。  膜は二つ以上の「界」が出会っているところに生ずる。膜は「界面」なのである。化学では、ある均一な液体や個体の相が、他の均一の相と接している境界でエネルギー的な変化がおこっている領域のことを界面と呼ぶ。  ぼくが最近読んだ川田薫博士の『生命の正体とは何か』にも、生命体に移入するエネルギーは、細胞・器官・個体レベルでそれぞれ階層構造をもっている(と考えている)とあった。膜=「界面」とはその層と層の「あいだ」のことなのだ。  先生は自然界であれ社会現象であれ、生態系のどんな場面もたいていは膜で仕上がってきたのだと言う。  そう言われてみると、ついこの間までぼくは「49守」のための教室名の案を出すために、言葉の「膜かげん」をこねくりまわしていた。  単語、スペル、表意文字、語句、熟語、フレーズ、イディオム、発音と訓み、句読点、類語、引用、文節、装飾句、メタファー、文脈、文意、コミュニケーションなどは、みんな膜でつながっているのだ。そういうつながりのルールを文法というのだけれど、その文法がグラマー(grammar)やグロサリー(glossary)でできているのは膜的だ。グラマーとは言葉のつながりぐあいのこと。グロサリーとは日用語の類語集のことだが、もともとは舌の動き方のことらしい。  グラマーとグロサリーに同時に遊んでみようと思う。たとえば、膜は被包的であって、かつ透過的である。包むはたらきと同時に、「透く(漉く・梳く)」機能がある。マスクから「ス」を透(す)いたら「膜(まく)」になる。  マスクは口や顔を覆って、酸素や二酸化炭素の出入りまで塞ぎ、致命的な脳の低酸素状態を引き起こすが、皮膚などの膜は何かを覆っているとはかぎらない。塞いでいるともかぎらない。覆いつつ塞ぎつつ、そのどちらでもなく、何かの選択のために、何かの透過のために、そして組織や器官の形態の支持のために、そしてそれらの機能の維持のために、呼吸や発汗など、必要なものを選択・透過して取り入れ、不必要になったものを排出する。  マスクをしていると、そういった皮膚の機能が阻害され、脳や内臓も多大な悪影響を受ける。そうしてマスクの中はすぐ雑菌だらけになるなので、じつは1時間ごとに新しいマスクにしないと意味が無いらしい。どれだけ資源を無駄にし、環境を破壊すれば気が済むのだろう。そして何より息苦しいので、ぼくはバイトのときと、レジやカウンターなど「検閲」があるところ以外ではマスクをしない。でもそんなにじろじろと見られることもない。ぼくの周囲にいる人々は心根が優しく”大人”なのだろう。  ぼくは去年バイトに行く時いつもご一緒するおばさんと、たまたま車両に迷い込んだ蜻蛉を2人で協力して救出して以来、ちょっとした知り合いになった。ぼくはマスクをしないが、おばさんはマスクをしている。でもおばさんはぼくがマスクをしてなくても気にしない。ぼくが本など読んでいると、むしろむこうから親しく話しかけてくれる。ぼくはおばさんの健康が心配で、マスクの「魔」を「空(す)いて」いけたらいいのになと想う。

 マスクだけでなく消毒も人体にダメージを与える。アルコール消毒は細胞間脂質を溶かし、病原体から皮膚を守る常在細菌も殺してしまう。  こんな馬鹿げた不健康化を他者へ強要するのは、感染症対策基本法第4条違反の違法行為にあたる。だったら企業や公共機関が、給料というエサや職務上の立場を利用して社員や部下に、客や利用者に対し「マスクや消毒を求めさせる」のも強要罪や人権侵害にあたるのではないか。  今夜のお話を読めば、細胞の生体膜と同じく、地球にも宇宙にも膜があることがわかる。地球を一つの個体と見立てたら、地球上のすべての動物や植物は、それぞれの皮膚を生体膜とする細胞同士なのだ。皮膚というその場所では、生き物にとって不可欠な相互作用が起きている。こんな当たり前のことは、母親から生まれた子どもなら誰だって容易に想像できるはずなのだ。  ぼくの周囲にもまだマスコミを信じてウィルスを恐れている人がいるし、色々なことを知っていても「みんながマスクをしているからマスクをしている」「仕事だからマスクをしている」「変な目で見られたり、仕事をクビになりたくないからマスクをしている」人が多いのではないかと思う(ぼくもバイト中は鼻マスクをするしがないフリーターだ)。あるいは自分の居場所である組織を世間から攻撃される惧れがあるため、界面上ではマスクをせざるをえないと考えているのかもしれない。  しかしこのまま大人がマスクをし続ければ、子ども達も一生マスクをし続けるだろう。同じ理由でワクチンで死ぬか障害者になるまでワクチンを打ち続けるだろう。卒業式も修学旅行もマスクをしたまま。友達と触れ合うことも、一緒に遊びながら大声で歌うことも無い人生を送るのだ。ただ自由に充分な酸素を吸うというだけのことが許されないのだ。  もうすぐ3歳になる甥は鼻くそを食べる。自分がかじった食べ物を「はい、どーぞ」と楽しそうに大人の口に突っ込む。涎も汗も涙もどこへでもぬすくりつける。膜が生きていて皮膚が生きているのと同じく、彼は生きている。


霜焼けの頬まるまるとしゃぼん玉

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